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第九話 それぞれの道へ

昨晩、メイリーと用意したトランクには、わたしが実家から持ってきたものを中心に入れた。

伯爵夫人として選んだ普段着、夜会のドレス、アクセサリーは全てアーヴィンの妻として、相応しく見えるために選んだものだから、これからのわたしには必要ない。

婚姻中の財産については、顧問弁護士を通して整理することになっているし、今はこれでいい。


メイリーに朝の身支度を手伝ってもらうと、わたしは小さく息を吐き、部屋を見渡した。

ここに初めて来たときは、とてもわくわくしていたのに、いまはここから出ていくことが嬉しいだなんて、おかしいわ。

もう、ここには戻ってこない。


「お世話になりました」


部屋に向かって頭を下げ、わたしは扉を閉めた。


メイリーとともに玄関に向かうと使用人たちが揃っていた。

わたし、朝食も取らずに出ていこうとしていたから、まだ早い時間なのに。


「奥様、なにもできなくて申し訳ありません」

「奥様からお聞きする商会のお話は、とても楽しく、新鮮でした!」

「どうかお元気にお過ごしください」


使用人たちは口々にわたしへ温かい言葉をくれた。


「すみません、奥様。私が皆に伝えたのです。私自身もあの時まで行動に移せなかったことを後悔しておりましたから」


「そうなの。皆、こんな形で出ていくことになり、申し訳ないわ。あなたたちが何もわからないわたしにこの家のことを教えてくれてとても助かったわ。ありがとう」


アーヴィンの行動を知っていながらも止めることができなかったのを皆後悔しているみたいだった。

主人を咎めるなんて、難しいものね。見送ってくれるだけで、十分だわ。


外に出ると、ベルフォード家の馬車から父が降りてきた。


「おはよう、エレノア。帰ろうか」


「ええ、お父様。メイリー、荷物を持ってくれてありがとう。あなたがいてくれて、救われたわ」


お父様に挨拶をし、くるっとメイリーの方を振り返ると、メイリーは目に涙を浮かべていた。


「とんでもないです。エレノア様。あなたが幸せであることを、わたしは願っています」


「ありがとう。それでは、またね、メイリー」


隣に立つお父様を見ると、屋敷を見上げていた。

その視線を辿ると、ちょうどアーヴィンの執務室のところの窓から、彼がこちらを見ていた。


「……」


アーヴィンはその場で静かに頭を下げた。

わたしとお父様も、その場で黙礼する。顔を上げると、アーヴィンはこちらを見て、窓から離れた。

それを見届けると、お父様がわたしに手を差し出した。


「さあ、お母様が待っているよ」


「ええ、帰りましょう」


***


ベルフォード家に着くと、玄関の扉が開いた。

お母様は、笑顔で歩み寄ってきて、ぎゅうっと抱きしめてくれた。


「エレノア、おかえりなさい」


「ただいま、お母様」


その後、家族で食卓を囲み、久しぶりに親子三人での朝食をとった。

話題は商会の話や、お母様の趣味である刺繍の話だ。

とても楽しくて、時間が過ぎるのがあっという間だった。



それからの毎日は、すこし商会の手伝いに出る時もあったけれど、離婚に向けた書類の確認や打ち合わせで忙しい日々を送っていた。

レインハルト家からの返答は何度か来ているけれど、応じない。そればかりだった。

けれど、ベイクさんは張り切っていて、『ご心配なく、お任せください』とおっしゃっているので、わたしは彼の指示に従って、言われたことをこなしていた。


わたしがレインハルト家を出て数週間経った頃、商会での荷運びの指示を出していると、ベイクさんが走って商会に来た。


「エレノアさん!お時間よろしいでしょうか」


「ええ、父の執務室へ向かいましょう。ごめんなさい、あとをお願いします」


商会員にお願いすると、ニッと笑って請け負ってくれた。皆、わたしの事情を知っているからベイクさんの用事もお見通しなのよね。



父の執務室で席につくと、ベイクさんがわたしと父に向けて一枚の紙を差し出した。


「レインハルト家が、離婚に同意する意向を示しました」


「本当に?……嬉しいわ。でも、どうして」


「ベルフォード商会との縁が切れるのが嫌なのでしょうが、これまでの金銭の流れや先方とそのお相手の情報を集め、証拠として次々と提出しました。もう言い逃れの余地がないと思ったのでしょう」


「何から何まで、ありがとうございます」


「エレノアさんのお人柄のおかげですよ。さあ、手続きを進めましょう。いくつかご証明いただきたい書類がございまして」


そうして差し出された最後の書類には、離婚前、離婚後の名を書く箇所があった。

 ――エレノア・レインハルト

これは、もうこれで最後になる名前。


――エレノア・ベルフォード

これは、これからわたしが書いていく名前。


書類を確認したベイクさんが、静かに告げた。


「これで、正式に離婚が成立しました」


わたしの人生を、わたしの手で取り戻す。

レインハルト伯爵夫人ではなく、誰かの妻でもない、わたし。


ここから、新しいわたしの人生がはじまる。

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