第八話 待てといわれても
メイリーを伴ってベルフォード商会の父の執務室へ訪れると、お父様はがたりと立ち上がった。
いつもは事前に伺う日を伝えているものね。
「どうした?今日来る予定ではなかっただろう」
「お父様、突然ごめんなさい。お昼時だけれどまだお忙しかったかしら」
「ああ、そろそろ休憩の時間なんだ、一緒にどうだ?」
父はいつもこの時間になると執務室で昼食がてら軽食を取るのだ。
この時間ならお話できると思ってきたけれど、お忙しい日ではなくてよかった。
「わたしは大丈夫よ。朝食が遅かったの。お父様はどうぞ召し上がって」
「いや。お前の話を聞いてからにするよ。大切な話なんだろう?座りなさい」
目の下のクマがお化粧で隠れきれていないのかもしれない。
昨日はなかなか寝付けなかったのだ。
ソファに腰掛けるとわたしは深呼吸をして、手をぎゅっと握った。
「わたし、アーヴィンと離婚したい」
「そうか。手伝えることはなんでもしてやるから、言いなさい」
「理由を聞かないの?」
「見当はついているよ。金の流れからすると、だいたいな」
「そうよね。わたしの持つ、つながりは欲しいみたいだけれど、わたし自身は不要みたいなの。捨てられるいつかを黙って待つのは嫌なの。わたしから捨ててしまいたいの」
「エレノア、お前はよく頑張っていたよ。客先から貴族社会で奮闘しているお前の様子も聞いていた。お前の努力を利用する人間がいた、それだけだ。帰ってきたらいいよ、ベルフォード家はお前を待っている」
「ありがとう、お父様」
頬を涙が伝った。
後ろに控えているメイリーがハンカチを差し出してくれるけれど、メイリーの方が泣いていた。
父は午後の予定を空けてくれた。
ベルフォード商会が長年付き合っている顧問弁護士のベイクさんの事務所へ付き添ってくれている。
離婚するためには様々な手続きが必要になる。
持参金やこれまでの融資、財産分与。いろいろあるから専門家にお願いしなくてはならない。
「こんにちは、ベイクさん。今日は離婚の相談をしたく――」
「かしこまりました、内容を確認させてください」
これまでの経緯や、メイリーと一緒にまとめた昨日の会話まで伝えると、
ベイクさんはうんうん。と頷いた。
「明らかに先方の有責ですので、申し立てすることは可能です。先方がすぐに同意しないでしょう。特に、これまでベルフォード商会からの支援が大きいですから」
「わたしもそう思います」
「そうですね、これ以上の融資を止めるのはいかがでしょう。婚姻関係が破綻していますし、当初の契約は無効と思っていいです。ああ、もうすでに実行が決まっているものは除いてになりますが」
「エレノア、お前が決めていい」
わたしの隣に座っているお父様が言った。
「わかりました。今後新たにレインハルト家への融資を承認しない手配をお願いします」
「いいのか?」
お父様は心配そうにこちらを見た。離婚が正式に成立する前に止めてしまうとわたしの立場が悪くなるのではないかと思っているのよね。
「大丈夫よ。もう、わたしのためにレインハルト家へ支援する必要はないわ」
「そうか」
お父様は納得したように頷くと、ベイクさんに向き直った。
「では、その方針で話を進めましょうか。婚姻を条件に渡したお金についても、返還を求めましょう」
「はい、よろしくお願いします」
申し立てに関する書類の手配をし、わたしは明日朝レインハルト家を出てベルフォード家に身を寄せておいたほうが良いという話になった。
「わたくしが責任を持って奥様をご安全に送り出します!」
メイリーが胸をどんっと叩いて言うので、わたしは笑ってしまった。
あなたがいてくれてよかった。
***
すっかり夜になってしまい、お父様にベルフォード家の馬車で送り届けてもらう。
「エレノア、今日は話を切り出さなくてはならないと思うが、また明日の朝迎えにくるから、頑張りなさい」
「はい。お父様、また明日の朝」
挨拶を交わして馬車を降り、玄関に入ると、そこにはアーヴィンが立っていた。
出迎え?そんなわけないわよね。
「今のは、ベルフォード家の馬車か?」
「ええ」
そう答えながら外套をメイリーに手渡し、着替えのために自室まで歩き始める。
アーヴィンも付いてくる。
「……追加融資の件か?」
「ええ。もう行わないことになりました」
アーヴィンの方を見ずにわたしは答えた。
すると、アーヴィンの足が止まった。わたしは気にせず階段を登る。
「は?どういうことだ」
「そのままの意味よ」
スタスタと歩き続け、わたしの部屋の前で足を止めると、すぐにアーヴィンも追いついてきた。
「エレノア。君からお父上に頼めば――」
「頼まないわ。もう必要ないもの」
「……なぜ?」
「なぜだかわからないの?ご自分が一番理解しているのではなくて?」
そこまで言うと、アーヴィンが黙ったので、そちらを見ると、自分の口元あたりに手を当てて、考え込み始めた。
バレていないとでも思っていたというの?
「わたしと離婚してください」
アーヴィンがバッと顔をあげ、目を見開いてこちらを見た。
「……駄目だ」
「駄目かどうかはあなたが決めることではないわ。わたしはあなたのことを思って、家のことを思って尽くしてきたわ。なのにそれを蔑ろにし、他の女性と親しくし、挙げ句その女性の店に融資を横流しだなんて、信じられないわ。結婚当初の契約が無効になるのは当たり前でしょう。後日顧問弁護士からの申し立てが届くはずよ、それに対応してちょうだい」
「待て!エレノア……」
「あら、あなたが待たせているクラリッサ様がいらっしゃるでしょう。待てだなんて、わたしは聞かないわ。明朝出て行きます。メイリー、支度を手伝ってほしいわ」
「はい。お任せください」
メイリーのみを自室に招き入れ、わたしは扉を閉めた。
最後に見えたアーヴィンは、両手で顔を覆って項垂れていた。




