第五話 美しいご令嬢
クラリッサ・ローレンス
あの茶会で聞いた彼女について、アーヴィンに尋ねることはまだできていない。
社交界にいれば、夫が他の女性と顔を合わせることは珍しくないけれど、噂になるまで親しくしているのは、なにかあるのではないかと疑わざるを得ない。
けれど、どこか信じていたい自分もいるから、どうしたら良いのかわからず、頭を悩ませる毎日だ。
わたしは今、王都の貴族たちが集まる夜会に出席している。
華やかな音楽の中、広間には色とりどりのドレスが揺れている。
何人かの貴族夫人と挨拶を交わした後、ボーイから飲み物を受け取っていると、背後から柔らかな声がした。
「レインハルト伯爵夫人」
振り返ると、そこに立っていたのは、金茶色の髪に、琥珀がかったローズブラウンの瞳をした美しい令嬢。
自然と目を引く、とても華やかな方だわ。
どなたかしら、ああ。もしかして……
「はじめまして。わたくし、クラリッサ・ローレンスと申します」
どきりと、心臓が跳ねる音がした。
――この方が。
「……クラリッサ様」
「まあ。ご存知でしたの?」
「先日、お名前を伺って」
わたしが扇を広げてにこりと微笑むと、彼女は無邪気に笑った。
「以前から、レインハルト伯爵夫人のお話は伺っていましたの。とても聡明で、社交界でも評判の方だと。それで、ご挨拶したいと思っていたのですよ」
「まあ。光栄ですわ。ありがとうございます」
わたしがお礼を言うと、彼女はにこにこと、愛らしく微笑んでいた。
今のところ、嫌な印象がまったくないのよね。
本当に、親しいだけなのかもしれないわ。
彼女との話が弾んでいると、広間の向こうからアーヴィンが歩いてきた。
「エレノア」
「アーヴィン。もう、ご挨拶はよろしいのですか?」
「ああ、終わらせてきた。クラリッサ嬢、妻とお話されていたのですね」
いつもはわたしの元まで戻ったら、すぐに手を取ってエスコートしてくださるのに、
今日は違うらしい。クラリッサ嬢の方に目を向けて、話している。
「はい、ずっとお話ししてみたかったのです」
「そうですか」
二人はとても自然に挨拶を交わしていたし、アーヴィンの表情がいつもより柔らかい。
「お二人はお知り合いなのですね」
「ええ、何度かお話しさせていただいていますわ」
「クラリッサ嬢との話は、つい弾んでしまうんだよ」
そう言って、二人はにこやかに微笑んでいる。
……やっぱり、わたしへの声より、優しい声色をしているわ。
気のせいだと、思いたいのに。
夜会が終わり、馬車に乗り込むと隣に座ったアーヴィンは、珍しく上機嫌だ。
いつもはどこがいけなかったのか、と指摘してくることの方が多いのに。
「クラリッサ様は、とても素敵な方ですね」
「ああ、そうだろう?」
その返事があまりに、優しげで、びっくりしてしまう。
先日の茶会で聞いた話が、頭をよぎる。
――最近、アーヴィン様をよく見かける。
――ローレンス男爵家のご令嬢と一緒にいらっしゃることが多い。
わたしは王都の夜景が流れていく馬車の窓の外へ視線を向け、気持ちを落ち着かせる。
「……よくご存知なのですね。きっと、お仕事でお会いすることが多いんですね」
「ああ」
彼は短く答えると、それ以上何も言わない。
どんな表情で言っていたのか、見ることはできなかった。
***
あれからも、屋敷を空ける時間が増えているアーヴィン。
お仕事もあるのだろうけれど、本当に?彼女に会う時間なのではなくて?
そう思っても、聞けないわたしは臆病者だ。
その分、わたしがしなければならない仕事も増えていた。
仕事に追われながら、彼に帰宅時間を尋ねる日々。自分でも、心が疲弊しているのがわかる。
彼の執務室で、ベルフォード商会から届いた書類の整理をしていた。
最近は一層、明らかに金額の大きな取引や融資の相談が増えている。
お父様は何も言わないけれど、きちんとお話したほうが良いわよね。
片付け終えて、執務机に置かれた一枚の書類にふと目が止まった。
手にとって、中を確認すると、レインハルト家からの、支払いに関するものだった。
「こんなに?……金額が大きすぎるわ」
けれど、家のことを第一に考える彼がしていることだもの、きっと必要なことなのだわ。
そう思って、書類を置き、執務室を出た。
わたしは朝から王都の商業地区で用事を済ませていた。
父から頼まれた書類を届け、馬車へもどろうとした時、通りの向こうに見覚えのある姿を見つけ、思わず足を止めた。
「……あれは、アーヴィン?今は、お仕事中のはずだけれど、なぜここにいるのよ……」
間違いなく、アーヴィンだ。
その隣には、クラリッサがいた。恋人のように腕を組んでいる。
クラリッサが彼を見上げ、何か話すと、彼はとても楽しそうに笑った。
もう、わたしには随分前から見せてくれない笑顔じゃない。
「……」
二人はそのまま、通りの角を曲がっていった。わたしはその場に立ち尽くしていた。
「奥様……」
用事についてきていた侍女が、わたしを心配そうに見ている。
「ごめんなさいね、帰りましょう」
そう言って、馬車に乗り込んだ。
あれは、もう。疑うしかないわよね。
わたし、どうしたらいいの。
王都でその姿をみてしまった翌日の夕方、屋敷の廊下を歩いているとアーヴィンの私室から話し声が聞こえた。
どうやら、扉が完全に閉まっていないようだ。
「……もう少し、待ってくれ」
アーヴィンの声が聞こえて、足を止め、息を潜める。
誰と、話しているのかしら。
「でも!わたくしは……」
クラリッサ様の声だわ。
「エレノアには、言わないでくれ」
その言葉が、わたしの耳に強く残った。




