第三十話 広がる
ルシアンを見送ってから、数日が過ぎた。
店の見本を眺めるお客様は少しずつ増え、職人に相談して注文を決めた方もいる。
リディアと布を並べ直していると、最初に注文してくださったご夫婦が入ってきた。
「こんにちは。またお願いしたいことがあって」
「いらっしゃいませ。今日は、仮縫いでしたね」
「ええ。今、仕立屋から出てきたところなの。別の布で、もう一組お願いできるかしら」
「もう一組、ですか?」
思わず聞き返すと、女性は嬉しそうに頷いた。
「鏡の前に二人で並んでみたら、とても素敵だったのよ。主人にも、あの青がよく似合っていて」
「妻は、試着している時から、もう次の色を考えていたんだ」
「あなたも一緒に選んでくださったでしょう?」
顔を見合わせて笑う二人に、わたしの頬も緩んだ。
「仕上がったら、夫婦で招かれているお茶会へ着ていくつもりなの。今から楽しみだわ」
そこへ、見本を眺めていた別の女性が近づいてきた。
「お話し中に失礼いたします。私にも、ほかの布を見せていただけるかしら」
「もちろんです」
リディアがその方を棚へ案内する。
わたしはご夫婦の前に、新しい布見本を広げた。
***
最初のご夫婦の服が仕上がり、出席されると伺っていたお茶会が終わった頃から、店を訪れる方の言葉が変わった。
「お茶会で拝見して、こちらの布だと伺ったの」
「淡い青に花の模様が入っていたわ。あちらかしら?」
リディアが接客の記録を見せてくれるたびに、あのご夫婦の名前があった。
後日立ち寄った奥様によれば、何人もの方から、どこで仕立てたのか尋ねられたという。
「主人がね、布を選んだときのことまで話していたのよ」
最初は、華やかすぎないかと心配していたけれど、気に入って、誰かに話してくださったのはとても嬉しい。
やがて貴族のお屋敷からも使いが来るようになり、わたしは布見本を抱えて商談に伺った。
注文の帳面が埋まっていく一方で、気になることも出てきた。
仕立てが、追いつかないのだ。
「次にお受けする分は、かなり先になってしまいます」
仕立屋の主人が、困り果てた顔で予定を書き込んだ帳面を見せてくれた。
「もともとのお客様の仕事もありますから」
「そうですよね……」
お客様が着たいとおっしゃっていた日と、空いている日を見比べる。
このままでは間に合わないわ。
「実は、知り合いの仕立屋からも尋ねられているんです。こちらでは揃いの服を注文できないのかと、お客様に聞かれたそうで」
「そのお店でも、扱ってみたいと?」
「ええ。見本を見せてもらえないかと」
それなら、ほかの店でも仕立てられるようにすればいい。
ただ、形を考えて、最初の見本を作ってくださったのは、目の前の方たちだ。
「ほかの仕立屋にも、力を借りられないでしょうか。見本や仕立て図を用意していただくことと、布の扱い方を教えていただくことを、こちらのお仕事としてお願いしたいのです」
主人が帳面から顔を上げた。
「注文をほかへ回すだけでなく、見本を作ったり、教えたりする仕事も受けるということですか?」
「はい。ベルフォード商会から布を仕入れるお店に、見本や図、技術の説明をまとめてご提供します。その代金は布代とは別にいただき、こちらへお支払いする分も含めて条件を決めたいのです」
そばで聞いていた女性職人が、作業台の布を手に取った。
「それでしたら、図には布の違いも書き添えたいですね。張りのあるものと柔らかいものでは、向く形も変わりますから」
「ええ。ぜひお願いします。説明していただく日も、無理のないように相談しましょう」
主人は少し考えてから、頷いた。
「まずは、腕を知っている職人に声をかけてみましょう」
「ありがとうございます」
***
「見本があって、仕立て方も相談できるなら助かります」
最初の仕立て屋の主人から紹介され、訪ねた店の主人は、並べた衣装を見ながら言った。
条件を確かめて契約を交わす。
やがて、そのお店の窓にも揃いの服が飾られた。
布を納めた帰り、向かいの通りから振り返る。
窓の前にいた夫婦が、ドレスとベストを交互に指していた。
少し話してから、二人で店へ入っていく。
わたしたちの商会の外でも、こうして広がっているのはやりがいがある。
次の取引先へ向かう足が、軽くなる。
以前から織物を扱っていた商人にも、見本を紹介した。
「うちも、付き合いのある仕立屋と組めないでしょうか」
「はい。その方も交えて、お話しできれば」
相談する相手が増え、納品先はほかの町へも広がった。
ベルフォード商会の店では、最初の仕立屋から定期的に職人に来てもらえるよう、相談日を決めた。
倉庫に積まれていた織物が、次々と荷車へ運ばれていく。
新しい注文に合わせて補充する分は、お父様と相談し、便を分けて送ってもらっている。
接客や荷の受け渡しをする人手も必要になり、面談をして新しい店員を迎えた。
わたしが取引先を回っている間、リディアたちが仕事を教えてくれている。
「お使いになる日も、必ず伺ってくださいね」
リディアの隣で、新しく入った店員が帳面へ書き込んでいた。
倉庫では、布と伝票を照らし合わせる声がする。
宿に戻り眠る前に、ルシアンからの手紙を読むのが日課になっている。
彼からの仕事の近況が届き、その最後には、食事と睡眠を忘れないようにと書いてある。
「わかっているわ。今は、ちゃんと眠っているもの」
宿の部屋で返事のない手紙に答えて、笑ってしまった。
書きたいことはあるけれど、続きは明日の朝にしましょう。
便箋をしまい、机の灯りを落とした。
***
隣国へきてから、数か月が過ぎた。
執務室へ来たリディアは、帳面を両手で抱えていた。
「エレノアさん。今月までの入金を、まとめ終えました」
いつもより弾んだ声に、わたしも手を止める。
「遅れて届いた織物は、先月までにすべて売れました。その代金も、今回で受け取りが済んでいます」
彼女が開いた頁を目で追った。
倉庫に積まれ、行き先を探していた布。その一つ一つに、売れた先と受け取った代金が記されている。
「それから、こちらも」
次の紙には、布と見本などの売上、その下に費用が並んでいた。
王都から届いていた明細も広げ、リディアと数字を照らし合わせる。
最後に残った額を見て、もう一度、計算を確かめた。
「……最初の四件の赤字を埋めても、これだけ残るのね」
「はい。私も、何度か確かめました」
初めに見込んでいた利益を、大きく上回っている。
取り戻せた。あのとき、動かせなくなっていたお金も。
息を吐くと、肩から力が抜けた。
数字が少し滲んで見えて、慌てて瞬きをする。
「ありがとう、リディア」
彼女も、ほっとしたように笑った。
「皆さんにも、お伝えしましょう」
「ええ」
接客が落ち着いてから、皆に集まってもらった。
結果を伝えると、喜ぶ声が重なった。
「皆がお客様のお話を聞いて、力を貸してくれたおかげよ。本当にありがとう」
微笑もうとして、また目の奥が熱くなった。
ハンカチで目元を押さえると、リディアが嬉しそうに頷いている。
ようやく、帰る日を決められる。
お父様に、良い報告ができる。
出発の朝、店の前には皆が集まってくれた。
昨日中に、リディアたちと引き継ぎを確かめている。
お父様とルシアンへ手紙も帰国日を添えて、送ってある。
「では、行ってくるわ。よろしくね」
「はい。お気をつけて」
馬車の窓から振り返ると、リディアたちが手を振っている。
その向こうの店の窓辺には、揃いの衣装が並んでいた。
***
数日後、王都へ着いたのは、昼前だった。
そのまま商会へ向かい、お父様の執務室を訪ねる。
「お父様。ただいま戻りました」
「おかえり、エレノア」
勧められた椅子へ座り、帳簿と契約書を広げた。
お父様は、書き送っていた報告と照らし合わせながら目を通す。
「ずいぶん伸ばしたな。流行まで生み出してくるとは」
顔を上げたお父様が、微笑んだ。
「誇らしいよ、エレノア」
「……ありがとう。初めは、うまくいかないことばかりだったの。でも、皆と相談して、少しずつできることが増えていったわ。大変だったけれど、楽しかった」
「そうか」
「支えてくれて、ありがとう。お父様」
「ああ。よく頑張ったな。今日は休みなさい。続きは明日でいい」
「はい」
立ち上がると、ようやく旅の疲れを感じた。
けれど、どうしても今日、顔を見たい人がいる。
家へ戻って着替えると、ルシアンへ到着を知らせる手紙を書いた。
仕事が終わったら、少し会えるかしら。
届いた返事には、今日は休みを取っているので、これから訪ねたいとあった。
ということは、すぐに来るわ。
荷物を片づけていても、そわそわと窓の外を何度も見てしまった。
侍女が呼びに来たときには、すぐに部屋から出たので少し侍女を驚かせてしまった。
応接室の扉を開けると、ルシアンがソファから立ち上がる。
「おかえり、エレノア」
「ただいま、ルシアン」
声を聞くと、胸がいっぱいになった。
こうして顔を見るのは久しぶりだ。
向かいのソファへ座り、侍女がお茶を置いて下がるのを待った。
「元気そうでよかった」
「あなたも。あのね、話したいことがたくさんあるの」
「うん。聞かせて」
話し始めようとして、二人の間の卓を見た。
ルシアンが首を傾げる。
「どうしたの?」
「……お隣に座ってもいいかしら。久しぶりに会ったのに、ここでは遠いわ」
彼の目元が和らいだ。
「うん。おいで」
隣を軽く叩かれ、立ち上がる。
卓を回って腰を下ろすと、彼の腕に両手を添えた。
「会いたかったわ」
「待っていたよ、エレノア」
重ねられた手が温かい。
わたしは彼の肩へ、そっと寄りかかった。
夕食の支度が整ったと侍女が知らせに来るまで、わたしたちは隣り合って話していた。




