第二十八話 ひとりで抱えて
隣国へ着くと、宿に荷物を預け、そのまま店へ向かった。
扉を開けると、布を広げていたリディアが顔を上げた。
「エレノアさん。お待ちしていました」
「お待たせしてごめんなさい。店の様子はどう?」
「変わりありません。今日も、織物を買ってくださった方がいらっしゃいますよ」
店の奥では、ほかの二人もお客様の応対をしている。
よかった。店はちゃんと動いているのね。
接客が落ち着くのを待って、倉庫へ案内してもらった。
棚の奥まで積まれた織物を見て、足が止まる。
「……これが、残っている分ね」
「はい。店頭に出す分は、こちらから移しています」
一反に手を添えた。織り目も色も、仕入れたときに確かめたとおりだ。
綺麗な布なのに。このまま置いておくなんて、もったいない。
「四件の次の仕入れ予定と、以前お問い合わせをくださった六件の条件を見せてくれる?」
「はい。執務室へお持ちします」
まずは、買っていただけるところを探さなくては。
***
それから数日、店と取引先を行き来した。
四件とも次の取引には前向きだけれど、先日納めたばかりのため、少量を定期的に、ということになった。
残りの六件は、希望する量や条件が合わず、話は簡単にはまとまらなかった。
お父様には、到着の知らせに続いて、確認できた取引先の予定を書き送った。
報告できることは増えるのに、肝心の織物がなかなか減らない。
「エレノアさん。店頭の在庫表と売上の集計は、こちらでまとめましょうか?」
帳面を運んできたリディアが、机の端に場所を空けながら尋ねた。
「ありがとう。でも、今回はわたしが確認したいの」
「それでしたら、集計したものを見ていただければ――」
「大丈夫よ。あと少しだから」
帳面を受け取って開く。
どの商品が、いつ、どのくらい売れたのか。全部、自分の目で確かめなくては。
「……何かありましたら、呼んでくださいね」
「ええ。ありがとう」
リディアが出ていくと、またペンを取る。
ここまで任せてもらったのだもの。わたしが立て直さなくては、お父様にも顔向けできないわ。
宿へ戻るのは、着替えや身支度をするときだけになっていた。
眠くなれば執務室のソファで少し横になり、目が覚めると机へ戻る。
もう少し進めてから。そう思ううちに、閉店後も残るのが当たり前になっていた。
「……あら?」
合計が合わない。
数字を一つずつ追い直すと、同じ売上を二度足していた。
これを引けばいいのね。
書き直そうとした手が止まった。隣の紙には、すでに正しい合計が書いてある。
わたし、さっきも計算していたの?
目元を押さえた。そのまま少しだけ目を閉じる。
かくりと頭が落ちて、はっとした。
いけない。まだ、終わっていないわ。
「エレノア」
聞き慣れた声に顔を上げると、扉のところにルシアンが立っていた。
「……ルシアン?どうして、ここに?」
思わず立ち上がった途端、足元が揺れた。
机に手をつこうとして、彼の腕に抱きとめられる。
「危ない。大丈夫?」
「ええ。急に立ったから、少し……」
背を支える手に力がこもった。
顔を上げると、ルシアンは眉を寄せてわたしを見ている。
「いつから、こんな働き方をしていたの?」
「そんな、大げさよ。ちょっと休めば平気だから」
彼の腕につかまっていた手を離そうとして、袖口の銀色が目に入った。
小さな羽と、淡い水色のガラス。わたしが贈った腕飾りだ。
今も、つけてくれているのね。
嬉しいはずなのに、顔を見られなくなった。
こんなところを見せたくなかった。会えたなら、仕事がうまくいった話をしたかったのに。
「わたしがやらなきゃいけないの。自分で決めたことだから」
彼の腕から離れ、机へ向き直った。
「まだ、確認するものが残っているのよ」
「うん。でも、今日は休もう。宿まで送るよ」
「これだけ終わらせてから……」
広げた帳面に目を落とす。
どこまで見ていたのかしら。売上の合計は出した。そのあと、何を確かめるつもりだった?
紙に添えた指が動かない。
ルシアンは急かさずに、隣で待っていた。
「……わかったわ」
ようやく答えると、彼は頷いた。
扉のそばには、リディアも立っていた。
ほかの店員はもう帰ったはずなのに。リディアが残っていたことにも気づかないなんて。
「リディア、ごめんなさい。あなたも帰って休んでね」
「はい。エレノアさんも、どうかお休みになってください」
馬車の座席へ背を預けると、身体が重く沈むようだった。
「ルシアン。こちらに来る予定だったの?」
「うん。本当は数日後だったんだけれど、君の手紙を読んで、少し早めたんだ。王都で先に済ませられる仕事を片づけてきた」
「わたしの手紙で?」
「急な仕事で隣国へ行くとしか書いていなかったからね。何があったのか、会って聞きたくて」
あの短い手紙を思い出した。
理由を書こうとして、何も説明できずに封をしたのだ。
「宿へ行ったら、まだ店にいるはずだと聞いたんだ。荷物だけ預けて、迎えに来た」
「そうだったの……」
言わなくてはいけないことが、たくさんある。
けれど、馬車が揺れるたびにまぶたが下りてくる。話しかけようとしたはずなのに、次に聞こえたのは、到着を知らせる彼の声だった。
ルシアンも同じ宿に部屋を取っていた。
宿の女性に付き添ってもらって、自分の部屋へ向かう。
「また明日ね、エレノア。おやすみ」
「……おやすみなさい」
寝台に横になると、枕に頬が沈んだ。
明日は、ちゃんとお礼を言おう。
目を開けると、部屋はすっかり明るくなっていた。
慌てて身体を起こす。気づかないうちに眠っていたようだ。
昨日、何度も計算し直していた数字が浮かんだ。
あれは店頭の売上だった。取引先の予定と合わせて、今月どれだけ代金が戻るのか確かめたかったのよね。
今なら、続きがわかる。
身支度を整えて食堂へ下りると、ルシアンが席から手を振ってくれた。
「おはよう。よく眠れた?」
「ええ。朝まで、ぐっすり」
「よかった。何か食べよう。僕も、まだなんだ」
向かいに座ると、焼いたパンの匂いにお腹が鳴ってしまった。
ルシアンが笑い、わたしも少しだけ笑った。
「昨日は、ありがとう。それと、ごめんなさい。せっかく来てくれたのに」
「迎えに行けてよかったよ」
わたしは頷き、届いたパンを一口食べた。
温かいお茶を飲んでから、顔を上げる。
「何があったのか、聞いてくれる?」
「もちろん」
荷の遅れと、代わりの品を送ったこと。そのあとに届いた織物が残り、次の仕入れに使うお金を戻せずにいること。
ルシアンは最後まで、黙って聞いてくれた。
「だから、立て直し方を考えに来たの。でも、思うように進まなくて。もっと調べなきゃと思っているうちに、あんなふうに……抱え込んでしまっていたみたい」
「リディアさんたちには、手伝ってもらっている?」
「集計をすると言ってくれたけれど、断ったわ。わたしが決めた仕入れだもの。まずは全部、自分で確かめないと」
ルシアンはカップを置いた。
「任せた帳面を、あとで一緒に確かめることもできるよね」
「……ええ」
「店を開いたときには、そうしていたんじゃない?」
お店を任せて王都へ戻った日のことを思い出した。
今回だって、わたしが着いたときには、ちゃんとお客様を迎えていた。
「責任を持つことと、全部を一人でやることは、同じじゃないと思うよ」
わたしはカップへ手を伸ばした。
袖口から、自分の腕飾りが覗く。深い青灰色のガラスに触れて、それからルシアンを見た。
「……リディアに、悪いことをしてしまったわ。手伝ってくれると言っていたのに、聞こうともしなかった」
「今日、話してみたら?」
「ええ。そうする」
彼が微笑んだ。
ようやく、その顔をまっすぐに見られた。
「来てくれて、ありがとう。会えて嬉しいわ」
「うん。僕も」
卓の上に置いた手に、彼の指が重なった。
「今日は、ルシアンもお仕事よね?」
「うん。予定を早めた分、こちらで済ませることがあるから」
「では、お互い頑張りましょう。わたしも、店へ行ってくるわ」
店へ着くと、リディアが顔を上げた。
「おはようございます。お休みになれましたか?」
「ええ。心配をかけてごめんなさい。昨日は、遅くまでありがとう」
「いいえ。お顔を見て安心しました」
執務室へ入ると、机には昨夜の帳面と書類が残っていた。
わたしは椅子を一つ寄せ、重なっていた紙を整理した。
「リディア。昨日言ってくれた集計、お願いしてもいいかしら?」
彼女が少し目を見開く。
「もちろんです」
「ありがとう。わたしは取引先の予定をまとめるわ。それができたら、一緒に見てもらいたいの。お客様の様子も、教えてくれる?」
「はい。ほかの二人にも聞いておきますね」
帳面を抱えていく彼女を見送り、手元に残した書類を開く。
全部を広げていた昨日より、机がずいぶん広く感じられた。
まずは、わたしの受け持った分を進めましょう。
あとでリディアたちと、相談するために。




