第二十一話 隣国の街
隣国との取引が安定してきた頃、わたしはお父様に一つの提案をした。
「そろそろ、向こうに小さなお店を構えてみたいの。直接お客様の反応を見ながら、扱う商品を増やしていけたらと思って」
お父様は資料に目を通すと、わたしに返した。
「なら、自分の目で場所を見てきなさい。予算を超えないこと、最初から大きくしすぎないこと。商品の搬入と保管にも無理がないことだ」
「ええ」
「その条件を満たしているなら、契約まで進めて構わない」
「わたしが決めていいの?」
「そのために見に行くんだろう?」
ベルフォード商会が、隣国に初めて構える店だ。任せてもらったのだから、しっかり選ばなくては。
今回、現地を案内してくださるのはセシリアさん。
すでに隣国に店を持つルシアンにも、契約や輸送について助言をお願いしている。
「でも、こんなに教えてもらっていいの?同じ商会を営んでいるのに」
出発前に尋ねると、彼は笑った。
「主力商品はほとんど競合しないし、輸送をうちに任せてもらえれば、僕にも利益が出るからね」
「ふふ、そういうことね。では、条件も相談させてください」
「もちろん」
彼と仕事の話をするとき、こうして遠慮なく相談できるのが好きだ。
教えてもらうことは多いけれど、わたしも、よい取引相手でありたいと思う。
***
隣国に着き、セシリアさんと合流したわたしたちは、候補の物件を見て回った。
一軒目は大通り沿い。人通りも多く、店の前を歩いているだけで買い物客が次々に横切っていく。
けれど、家賃を確認して、資料を閉じた。
「ここは見送ります。この額では、最初からかなりの売上が必要ですもの」
二軒目は家賃も安く、倉庫も広かった。
ただ、通りに出てみると、買い物をしている人をほとんど見かけない。
「まだこの街で知られていないお店を、ここまで探しに来てもらうのは難しそうですね」
「ええ。長く商売をしているお店なら、また違うのでしょうけれど」
セシリアさんの返事に頷き、次の物件へ向かった。
三軒目は、大通りから一本入ったところにあった。
近くには布地や食器を扱う店、少し先には菓子店もある。若いお客様が、店先で足を止めていた。
「この辺りは、ここ数年で小さな商店や工房が増えているんです」
渡された資料を見ると、家賃は一軒目の六割ほど。予算にも収まっている。
店内へ入り、入口から奥まで歩いてみた。
「入口は少し狭いけれど、棚の置き方で工夫できそう。倉庫も、最初はこの広さがあれば十分ね」
「大量に置くつもりはないんだよね?」
「うん。まずは少しずつ。売れ方を見てから増やしたいの」
ルシアンと裏口へ回ると、セシリアさんが搬入についても説明してくれた。
「小さな荷車なら、ここまで入れます。大きな荷は手前で積み替える必要がありますが」
「それなら、今考えている量では困らなさそうですね」
わたしは入口へ戻り、もう一度外を見た。
お菓子を買ってきたらしい親子が、向かいの店をのぞいている。
「ここ、いいかもしれません」
「僕もそう思う。最後に決めるのはエレノアだ」
「分かってる。明日の朝も、見に来ていいでしょうか。違う時間の人通りも確かめたいです」
「ええ。では、明日もこちらで」
セシリアさんが頷いてくれたので、三軒目を第一候補として、その日の内見を終えた。
***
遅い昼食を取りながら、セシリアさんが一軒目の話をした。
「初めてのお店だと、華やかな場所を選びたくなるものですけれど、迷われませんでしたね」
「家賃の数字を見たら、迷っていられなくて」
「僕も、最初の店は大通り沿いだったよ。家賃には苦しんだけど」
「ルシアンも、そんなことがあったの?」
「もちろん。最初から何でも分かっていたわけじゃないからね」
セシリアさんも、懐かしそうに笑っている。
二人は昔からの仕事仲間なのだもの。わたしの知らない話があるのは当然だわ。
料理が運ばれてくると、セシリアさんは礼を言い、ふと笑った。
「この料理、下の子が好きなんです。今日は主人が子どもたちを見てくれているのですが、ちゃんと食べているかしら」
「お子さんがいらっしゃるんですか?」
「ええ、二人。下の子はまだ甘えん坊で、今朝も出かけるときに泣かれてしまいました」
「そうだったのですね」
わたしは手元の水を一口飲んだ。
ご結婚されていて、お子さんもいらっしゃるのね。
それを聞いて安心している自分が、すこし恥ずかしい。
午後は、セシリアさんの取引先にも挨拶に伺った。
この国では、契約の条件だけでなく、最初に顔を合わせることを大切にする商人も多いという。
相手の話を聞き、わたしが話しやすいように紹介してくださる彼女を見ていると、聞きたいことが次々に浮かんだ。
以前はルシアンと親しいということばかり気にしていたけれど、こんなに学べることがあったのね。
帰り際、お礼とともにその気持ちを伝えると、セシリアさんは笑った。
「明日も、気になることがあれば遠慮なく聞いてくださいね」
「はい。よろしくお願いします」
***
翌朝、三軒目の物件を訪れると、昨日とは違う人たちが通りを歩いていた。
工房へ向かう職人や、買い物かごを持った人。近くの店では、開店の準備をしている。
しばらく人の流れを見てから、中へ入った。
家賃は予算内。広さも無理がなく、搬入と保管の条件も確かめた。
入口に立ち、まだ何もない店内を見渡す。
低い棚を手前に置けば、外からでも奥まで見えるかしら。織物は、実際に手に取っていただけるように並べたい。
「ベルフォード嬢、どうします?」
セシリアさんの問いに、わたしは顔を上げた。
「ここにします」
ルシアンが隣で笑った。
「決まったね」
「うん。ここに、ベルフォード商会の商品を並べたい」
仲介人を交えた契約の確認では、家賃の支払時期や修繕の取り決め、内装を変えてよい範囲を一つずつ確かめた。
分からないところはセシリアさんに聞き、ルシアンにも経験を教えてもらう。
最後まで読み終えて、ペンを取った。
――エレノア・ベルフォード。
契約書にサインするのは、いつになっても緊張する。
「よろしくお願いします」
契約書を差し出してから、ようやく息を吐いた。
お父様に、決まったと報告できる。
建物を出ると、早速次のことが頭に浮かんだ。
「次は内装ね。棚を作ってもらわなくては。それに、働いてくださる方も探して――」
「エレノア。今日はここまでにしない?」
「でも、まだやることがたくさんあるでしょう?」
「続きは明日から。今日は、契約が決まったお祝いをしようよ」
隣でセシリアさんも頷いている。
わたしは開きかけた資料をしまった。
「そうね。では、今日はここまで」
「契約、おめでとうございます。私は商会へ戻りますので、これで失礼しますね」
「二日間、本当にありがとうございました」
彼女を見送ると、ルシアンがわたしに手を差し出した。
「ここからは、恋人として誘ってもいい?」
「うん。どこへ行く?」
***
食事を済ませ、二人で街を歩いた。
仕事中には通り過ぎていた店先も、今は気になって足を止めてしまう。
露店に並ぶ腕飾りを見つけて、わたしはルシアンの手を引いた。
「ねえ、これを見てもいい?」
細い革紐の中央に、銀色の小さな飾りがついている。
花や星の形もあったけれど、目に留まったのは羽の形だった。付け根には、小さな色ガラスが一粒はめられている。
「綺麗ね。これなら、仕事の邪魔にもならなさそう」
「お二人でいかがですか。同じ意匠を持つと、離れていても縁が続くと言われているんですよ」
店主の言葉に、隣を見た。ルシアンもこちらを見ている。
「一緒に選ぶ?」
「うん」
わたしは、淡い水色のガラスがついたものを手に取った。
「ルシアンには、これがいいな」
「エレノアの瞳の色だね」
「……そう。つけてくれる?」
「もちろん。じゃあ、君にはこれ」
彼が選んだのは、深い青灰色のガラスがついた腕飾りだった。
差し出されたそれと、彼の瞳を見比べる。
「ふふ、お互いの色ね」
「贈り合おうか」
わたしたちは、それぞれ相手に贈る分の代金を払った。
露店を離れたところで、ルシアンが青灰色の腕飾りを持ったまま、わたしの手首を取る。
革紐を巻き、ほどけないように結んでくれた。
「きつくない?」
「大丈夫。今度はわたしにつけさせて」
差し出された彼の手首に、水色の腕飾りを結ぶ。
並べてみると、ガラスの色は違うけれど、小さな銀色の羽はお揃いだ。
「仕事で離れているときも、つけていてくれると嬉しいわ」
「うん。エレノアもね」
わたしは頷いて、そのまま彼の手を握った。
「今日のお祝いができたね」
「ええ。お店ができたら、また一緒に見に来てほしいわ」
「もちろん」
歩き出すと、手首で小さな羽が揺れた。




