第二十話 閑話 支払いの期限
「旦那様。買取商が参りました」
家令の声に、私は帳簿から顔を上げた。
机の端には、今日引き渡す品の一覧を置いてある。
「わかった。今行く」
自分で呼んだ相手だ。
それなのに、立ち上がるまで少し時間がかかった。
離婚の際に取り決めた支払いは、これまで期日通りに済ませてきた。
だが、期日ごとの返済を済ませても、屋敷や領地を維持するための支出は続く。
次の期日に必要な金を残そうとすれば、手元の資金では足りなかった。
今朝も計算し直したが、数字は変わらない。
私は品の一覧を手に、執務室を出た。
売るのは、来客用の馬車一台と、長く使われていない調度品。それに、倉庫に保管していた銀器の一部だ。
土地や、代々受け継いだ品には手をつけていない。
「こちらの馬車でしたら、この額で」
買取商が差し出した紙を見て、私は眉を寄せた。
「……もう少し出せないか。手入れは欠かしていない」
「ええ、状態はよろしいのですが、型が古くなっておりますので」
馬車へ視線を移した。
まだ十分に使える。買ったときには、この何倍もの金を払ったはずだ。
だが、ここで断って、次の買い手を待つ余裕はない。
「わかった。その額で頼む」
「ありがとうございます」
使用人たちが品物を運び出していく。
玄関脇にあった調度品がなくなると、壁際が妙に広く見えた。
これで、次の支払いには間に合う。
私は受け取った書類を折り、家令へ渡した。
***
午後、クラリッサが訪ねてきた。
応接室で迎えると、彼女は挨拶を済ませるなり、窓の外を振り返った。
「先ほど、荷物を積んだ馬車とすれ違いましたの。こちらから出てきたようでしたけれど」
「買取商だ」
「……買取商?」
「家のものを、いくつか買い取ってもらった」
彼女の視線が私へ戻った。
「伯爵家のものを売ったのですか?」
「ああ。使っていない品を整理したんだ」
彼女は黙ったまま私を見ていた。
私は椅子へ腰を下ろす。
「次の返済に充てる。家の維持費もあるからな」
「そんなに、苦しいんですの?」
「余裕がないとは、前にも話しただろう」
クラリッサは向かいに座り、膝の上の書類へ目を落とした。
「店の話か?」
「……ええ。支払いのことで、ご相談したくて」
彼女が差し出したのは、香水店ローズブランシュの帳簿と請求書だった。
まだ支払っていないものが、いくつかある。
金額を確かめてから帳簿を開くと、先月仕入れた香水が、かなり残っていた。
「この分も、まだ売れていないのか」
「少しずつは売れていますわ」
「それでは、支払いに足りないんだな」
クラリッサは唇を結んでから、頷いた。
前に相談されたときは、新しい香水を仕入れたいという話だった。
今は、その前に仕入れた分の支払いまで滞っている。
「まずは、今ある商品の売り方を考えるべきじゃないか」
「考えていますわ。だからこそ、新しい商品が必要だと――」
「その仕入れ代まで、どうやって払う?」
彼女は答えなかった。
私は売れた数と仕入れた数を見比べた。
人気が出ると見込んで、多く仕入れたのだろう。
だが、見込みが外れたあとも、同じように金を出すことはできない。
エレノアなら、どこから見直すだろうか。
そんな考えが浮かび、私はページをめくる手を止めた。
彼女は、取引先の条件を一つずつ確かめていた。
私がただ早くしてほしいと催促していた間も、数字を見て、相手と話をつけていたのだ。
「アーヴィン様」
呼ばれて顔を上げる。
クラリッサが、不安そうにこちらを見ていた。
「今回の支払いだけでも、なんとかなりませんか?」
助けてやりたいとは思う。
けれど、午前中に売った品の代金を回せば、今度はこちらの返済ができなくなる。
「出せない。今日用意した金にも、使い道は決まっている」
「お店のことは、助けてくださるとおっしゃったでしょう?」
「状況が変わったんだ」
「わかっています。でも、私も困っているんです。遊びでお店をしているわけではありませんわ」
彼女の声が強くなった。
私は帳簿を閉じた。
「家財を売っているんだぞ。これ以上は無理だと、わかってくれないか」
「でしたら、私のお店はどうすればいいのです?」
その言葉に、こらえていた苛立ちが出た。
「エレノアなら、自分でなんとかしているはずだ」
クラリッサの顔から表情が消えたのを見て、しまった、と思った。
「……どうして、ここでエレノア様のお名前が出るのですか」
「ただ、状況を理解してほしいと言っているんだ」
「私にそう言えばいいでしょう」
膝の上で、彼女の手が握られる。
「今、あなたの前にいるのは私ですわ。どうして、あの方と比べるの?」
「クラリッサ、そういうつもりでは――」
「比べたでしょう!」
彼女は帳簿を引き寄せ、請求書をその間に挟んだ。
紙の端が折れたが、直そうともしない。
「せっかく会いに来ましたのに」
声がかすれていた。
「ひどいですわ」
立ち上がった彼女を呼び止めようとしたが、何を言えばいいのかわからなかった。
資金を出すと約束することも、さっきの言葉をなかったことにすることもできない。
クラリッサは扉の外に控えていた侍女を呼んだ。
「帰ります。支度をお願い」
「かしこまりました、お嬢様」
外套を受け取る間も、彼女はこちらを見なかった。
私は応接室に立ったまま、その背中を見送った。
***
執務室へ戻ると、家令が置いた売却品の一覧が目に入った。
私が認めた金額が、端に書き込まれている。
クラリッサを傷つけるつもりはなかった。
ただ、こちらの事情を察して、要求を引っ込めてほしかった。
エレノアなら、自分でなんとかしてくれたはずだ。
私は、別れたあとまで、彼女をそんなふうに頼っているのか。
愛想を尽かされるに決まっている。
椅子に座り、返済予定表を開くと、今日の売却代金を記入して、次の支払いに印をつける。
その下にも、期日が並んでいた。
私はもう一枚の紙を手元へ引き寄せた。
屋敷の支出を、最初から確認し直さなければならない。




