第二話 伯爵家への嫁入り
朝食を終えると、お父様に談話室に呼ばれた。
お父様とお母様はすでに二人がけのソファへ腰掛けてわたしを待っていて、わたしが席につくとお父様が書類をこちらに向けて差し出した。
「お待たせしました。お父様、お母様。今日は大切なお話があるのよね」
「ああ、こちらを見てくれ。お前にレインハルト伯爵家から縁談がきている」
「レインハルト伯爵家から?なぜわたしに?どうして、貴族の方が……」
お父様が読み上げた家名に、驚いた。
わたしは豪商の娘とはいえ、爵位を持たない商家、つまりは平民。
いくらベルフォード商会が王都有数の商会だからと言って、驚きを隠せない。
だって、レインハルト家は、古くから続く名門伯爵家で、広い領地を持ち、王都でも知られた家柄。
身分だけをみれば、釣り合うとは言い難いもの。
わたしが考え込んでいると、父も少々難しい顔をしながら、口を開いた。
「お相手は、伯爵家嫡男のアーヴィン・レインハルト様だ。近々、爵位を継承なさるようだ。もし、この縁談を受けたらお前は伯爵夫人となる」
「ご嫡男なのね。わたしが……伯爵夫人。でも、なぜわたしなのかしら。お会いしたことも、ないわ」
「レインハルト家も、今は昔ほど余裕があるわけではないらしくてな。広い領地を維持するには、それなりの金がかかる。屋敷の維持にも金がかかるし、使用人や騎士もたくさんいるだろう。古い家柄であるほど、守らなければならないものが多い」
お父様は静かに話を進めた。
たしかに、そのような状況であれば豪商の娘であるわたしとの縁を望むのもわかる。
「ベルフォード家と親族になれば、レインハルト家には大きな後ろ盾ができる。商会との取引を通じて、これまで縁のなかった商業網とのつながりも持ちたいようだ。対してこちらは、貴族社会とのつながりを得ることができ、王都の社交界に人脈ができれば、商会にとっても好都合なんだ。さらに飛躍することもできると踏んでいる」
「なるほど……」
つまり、レインハルト家は我が家の財力を望み、ベルフォード家は名門伯爵家の名と人脈を望む。
互いに足りないものを補えるのね。政略結婚だ。
考え込むわたしを、お母様が心配そうに見つめている。
「エレノア。あなたの気持ちが一番大事なのよ。嫌ならお断りしていいの」
「そうだ。お前の気持ちを無視するつもりはない」
ううーんと、すこし俯く。
貴族との結婚ね。わたしには縁遠い世界だから考えたこともなかった。
けれど、お父様が築いてきた大切なベルフォード商会を守るためにも、貴族社会とのつながりは決して悪いものではない。
「お相手の方は、わたしが商人の娘であることを気にされていないのでしょうか?」
「ああ。問題ないと聞いている。むしろ商会での働きぶりを伝え聞いたようで、好意的なようだよ」
生まれを恥じたことはないけれど、貴族の家に嫁ぐのなら受け入れていただきたいし、すこし安心できた。
商会で働いているわたしを知ってくださっているのよね。胸の奥に小さな期待が生まれた。
「わたし。一度お会いしてみたいです」
***
数日後、レインハルト家にて顔合わせの場が整えられた。
「お会いできて光栄です。エレノア嬢」
「こちらこそ。アーヴィン様」
初めてお会いしたアーヴィン様は、アッシュブロンドの髪色に灰みがかった緑色の瞳をもつ、整った顔立ちのいかにも貴族男性だった。落ち着いた物腰に洗練された服装、伯爵家の嫡男らしい堂々とした立ち居振る舞いをする方だ。わたしが緊張しながらも、微笑んでいると、彼は優しく話しかけてくれた。
「ベルフォード商会は、随分と大きな商会なのですね。お父上の経営手腕はとても評判で、よく耳にします」
「ありがとうございます。父は商売のことになると、とても厳しいのですよ」
「あなたも、商会でお仕事をされているのですよね。お若いのに、お父上のお手伝いもされていると伺いました」
「はい。まだ勉強中ですが、父の力になりたくて」
「それは素晴らしいですね」
アーヴィン様は感心したように頷いた。その視線はわたしの顔から、すこし離れたソファ席でアーヴィン様のご両親と話しているお父様へと一瞬だけ移った。
その後も商会の話や普段どのようなことをして過ごしているのかなど、話をした。
話が落ち着いた頃、アーヴィン様はわたしの方に向き直ると、姿勢を正して口を開いた。
「エレノア嬢。レインハルト家としては、ベルフォード家とは正式にご縁を結ばせていただきたいと思っております」
「わたしも、両家にとって良い関係を築けたらとおもいます」
「では、私の妻になっていただけますか?」
「はい。喜んで」
アーヴィン様の申し出に緊張しながら答えると、アーヴィン様は満足そうに笑んだ。
とてもお優しい方だし、わたしの話をしっかりと聞いてくださる。
それに、商会のこともとても興味深くきいてくださった。この方ならよい関係を築いていけそうだと思えた。
「特に、これからのレインハルト家にはあなたのような信頼できる方とのつながりが必要ですから」
「わたし……お役に立てるでしょうか」
「ええ、あなたならきっと」
そう言って、わたしの手をとり口付けた。これにて婚約成立となる。
わたしを必要としてくれていることがわかって、とても嬉しかった。
「では、書類などの準備もありますから、両親を交えてお話ししましょう」
「ええ。よろしくお願いします」
アーヴィン様のエスコートで両親たちのもとへ向かうと、お父様とお母様は、決めたのだね、と言うような表情でこちらを見ていたので、わたしはこくりと頷いた。
***
正式に婚約が決まってから数週間経った頃、わたしはレインハルト家の屋敷を訪れていた。
婚礼衣装や新居の準備について話し合うためだ。
応接間には、アーヴィン様、それに彼の両親であるレインハルト伯爵、レインハルト伯爵夫人が揃っている。
「婚礼については、こちらで手配を進めておこう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
伯爵の言葉にわたしが頭を下げると、手元の書類をまとめていた伯爵が顔を上げた。
「一つ、あなたにお願いしておきたいことがある」
「なんでしょう?」
「当面の間、ベルフォード商会からレインハルト家への融資をお願いできないだろうか」
「融資……ですか?」
突然の要望に、わたしは思わず瞬きをした。
目の前の伯爵は穏やかな表情を崩さず、優雅に頷いた。
「ああ、婚礼にも相応の費用がかかる。それに領地の修繕も必要になっていてね」
「それでしたら、父に相談してみます」
「ありがとう、助かるよ」
すると、隣に座っていたアーヴィン様が口を開いた。
「結婚すれば、ベルフォード家とレインハルト家は親族になるのですから、それほど難しい話ではないでしょう」
「……そうですね」
すこし気になったけれど、頷いた。
これからわたしの家族になる方が困っているのだもの。助けたいと思った。
「ありがとう、エレノア」
そう言って、夫となる人は柔らかく笑ってわたしの手を握った。
その笑顔に、安心していたところで、伯爵夫人が口を開いた。
「それとね、エレノアさん。もう一つお聞きしてもいいかしら。嫁いだ後も、ベルフォード商会とのお付き合いは続けていただけるかしら?」
「もちろんです。父ともそう話しております」
「それなら安心ね。レインハルト家も、これまで以上に商会との取引を増やしたいと思っておりますの」
「はい、父にも伝えておきますね」
「ええ、そうしてちょうだい」
わたしが素直に頷いたのを見て、彼女は嬉しそうに微笑むと優雅に紅茶を飲んだ。
妻になるのだから、自分の家と夫となる人の家をつなぐこと、支えることは当然のこと。そう思っていた。
アーヴィン様はわたしを馬車までエスコートしてくれた。
「今日はありがとう。君が来てくれて、本当に心強いよ」
「わたしも、アーヴィン様のお役に立てるなら嬉しいです」
アーヴィン様を見上げて微笑むと、彼は少し考えるような顔をしてから言った。
「結婚したら、ベルフォード商会のことをもう少し君から聞かせてもらえるかな。今後、レインハルト家でも取引先を見直す必要があるからね」
「もちろんです。必要であれば父にも相談します」
「助かるよ、エレノア。頼りにさせてもらうよ」
「わたしにできることなら、なんでもします」
そういうと、彼はほっとしたように微笑んだ。
彼の役に立てることが嬉しい。心からそう思った。
目の前にいる婚約者を見つめながら、これから始まる新しい生活に、胸を膨らませていた。
***
結婚式の日、純白のドレスに身を包んだわたしは、鏡の前にいた。
後ろに立つお母様は、わたしの肩に手を添え、目に涙を浮かべてわたしを見つめている。
「綺麗よ、エレノア。幸せになりなさい」
「ありがとう。お母様」
お母様からの言葉に胸が温かくなった。
愛する人と家庭を築き、夫を支え、いつかは子供に恵まれて。
そのときはベルフォード商会の仕事からは少し離れることになるかしら。
それでも、わたしにはわたしの幸せがあるわ。
彼は、わたしを必要としてくれているのだもの。
幸せな結婚の始まりになるのだと、そう信じていた。




