第十七話 つないだ手
約束の日、わたしは鏡の前で二着のワンピースを見比べていた。
淡い青色のものと、クリーム色のもの。
こちらのほうが顔色が明るく見えるかしら。でも、青色も捨てがたいわ。
今日は、ルシアンがおすすめのレストランに連れていってくれる。
ようやく青色のワンピースに決めて、髪もいつもより丁寧に整えてもらった。
耳元には小さな飾りをつける。
「……これで、いいかしら」
鏡の中で微笑んでみたけれど、なんだか落ち着かない。
もう一度だけ髪を確かめて、わたしは部屋を出た。
***
待ち合わせの場所には、すでにルシアンがいた。
わたしを見つけると、片手を上げて近づいてくる。
「お待たせしました」
「僕も今来たところだよ」
そう言った彼が、ふと足を止めた。
わたしの顔を見て、それから髪へと視線を移す。
「今日は、いつもと雰囲気が違うね。すごく綺麗だ」
「ありがとうございます」
「行こうか」
照れているわたしをじっと見ていることがわかったけれど、そっとしておいて欲しい。
川沿いの通りには、たくさんの露店が並んでいた。
焼き菓子の甘い香りがして、その隣では色鮮やかな花が売られている。
布や小物を並べた店の前には、買い物を楽しむ人たちが集まっていた。
「今日は賑やかですね」
「この辺りは、休日になると人が増えるんだ」
仕事で通ったことはあるけれど、こんなふうにゆっくり歩くのは久しぶりだ。
花売りの店先に目を向けると、ルシアンも歩調を緩めてくれた。
「気になる?」
「ええ。でも、今日はレストランが楽しみです。どんなお店なのですか?」
「もう少し先だよ。着いてからのお楽しみにしておこうかな」
「そんなふうに言われると、余計に気になります」
彼と笑い合っているうちに、通りの人が増えてきた。
向こうから大きな荷物を抱えた人が来て、わたしは道の端へ避けようとした。
「エレノア、こっち」
ルシアンがわたしの腕を引くと、すぐそばを荷物が通り過ぎる。
気づけば、彼の胸元に触れそうなほど近くに立っていた。
「大丈夫?」
「はい。ありがとうございます」
「この先も混んでいそうだね」
彼は通りの先を見てから、わたしに手を差し出した。
「手、つないでもいい?」
差し出された手を見つめたまま、すぐには返事ができなかった。
つないで、いいの?
「嫌なら、無理には――」
「嫌じゃないです」
わたしは視線を落とし、小さく言い直した。
「……つないでください」
彼の手に、自分の手を重ねた。
大きな手が、わたしの指を包み込む。
歩き始めると、自然と彼の隣へ寄ることになった。
もう、露店を見る余裕なんてない。
つないだ手を意識しすぎて、どう歩いていたのかわからなくなりそう。
「エレノア?急に静かになったけど、どうした?歩きにくい?」
「いえ。……少し、緊張しているだけです」
そう答えると、ルシアンは前を向いたまま笑った。
「僕もだよ」
「そうは見えません」
「そう見えるように、頑張ってるんだ」
目が合うと、困ったように笑い返される。
なんだか、ずるい。
そんなことを言われたら、彼もわたしを意識しているのかと、期待してしまうもの。
ルシアンが案内してくれたのは、落ち着いた雰囲気のお店だ。
中に入ると、料理とバターの香りがふわりと漂ってきた。
家族連れや、向かい合って食事を楽しむ人たち。
先ほどまでの通りの賑やかさとは違って、穏やかな話し声が聞こえる。
席へ案内されるところで、つないでいた手が離れた。
わたしは空いた手で、そっとワンピースの裾を整える。
「素敵なお店ですね」
「気に入ってもらえてよかった。仕事の合間に一人で来たり、商会の人と来たりするんだ」
向かいに座ったルシアンが、メニューを開いた。
「おすすめは、この煮込み料理。肉が柔らかくて、野菜もおいしいんだよ」
「では、わたしもそれにします」
「ほかのものも見なくていいの?」
「今日は、ルシアンのおすすめを食べに来たのですもの」
彼は嬉しそうに頷いて、二人分の料理を頼んでくれた。
運ばれてきたお皿からは、湯気が立っていた。
ひと口食べると、お肉がほろりと崩れる。
「……おいしい」
思わず呟くと、ルシアンがこちらを見ていた。
「よかった」
「何度も来たくなりますね」
「うん。忙しいときほど、ここの料理が食べたくなるんだ」
「わかる気がします。ほっとする味ですね」
添えられたパンをちぎりながら、店内を見渡した。
気取らずに食事を楽しめる場所なのね。
ルシアンがここを選んでくれたことが、嬉しかった。
食事をしながら、彼が普段どんなふうに過ごしているのか聞いた。
忙しいと食事の時間が遅くなることもあると聞いて、つい眉を寄せてしまう。
「ちゃんと召し上がってくださいね」
「気をつけます」
彼がわざと姿勢を正して答えるから、笑ってしまった。
「お説教のつもりではありません」
「わかってる。心配してくれてありがとう」
わたしは頷いて、もうひと口、料理を口へ運んだ。
今度は、照れた顔を見られないように。
***
店を出る頃には、通りを行き交う人も少なくなっていた。
空の色が少しずつ変わり、建物の影が道に長く伸びている。
「おいしかったです。連れてきてくださって、ありがとうございました」
「また一緒に来てくれる?」
「ええ、ぜひ」
さっきは、どんなふうに手を重ねたのだったかしら。
あんなに簡単にできたのに、今は腕が触れそうになるだけで、気になってしまう。
ルシアンが、少し歩く速さを落とした。
「エレノア」
「はい?」
「さっきは、人が多かったからって理由があったけど」
彼の視線を追うと、わたしの手を見ていた。
顔を上げた彼と、目が合う。
「それでも、帰るまでつないでいてもいい?」
差し出された手に、今度は迷わず自分の手を重ねた。
「わたしも、そうしたかったです」
そう言って、少しだけ握り返す。
ルシアンが目を細め、わたしの手を握り直した。
人の少ない通りを、二人でゆっくりと歩き始めた。




