第十五話 知らなかった予定
『先日お話ししたケーキのお店へ、ご一緒しませんか?』
そこまで書いて、わたしはペンを止めた。
宛先はルシアン。商談のお誘いではなく、ケーキ屋さんへのお誘い。
一緒に行く約束はしているのだから、そんなに悩むことではないのに。
仕事の手紙なら迷わず書ける続きが出てこない。
なんとか書き進め、最後に『都合のよい日を教えてください』と書き添えてから、もう一度読み返して封をした。
翌日には返事が届いた。
ぜひ、と書かれた手紙には、空いている日時も添えられている。わたしもその日なら大丈夫だ。
「……そんなに嬉しいのか?」
顔を上げると、向かいで書類を見ていたお父様が笑っていた。
「何がですか?」
「いや、ずいぶん楽しそうに手紙を読んでいるから」
「今度、お気に入りのお店をご案内するんです」
「そうか。楽しんでおいで」
「はい」
否定することでもないので、素直に頷いた。
わたしの好きなお店を、彼にも気に入ってもらいたい。
手紙を引き出しへしまい、仕事の書類を手に取った。
早めに済ませておけば、約束の日も気兼ねなく出かけられるわ。
***
「ルシアン!」
待ち合わせた大通りで彼を見つけると、思わず声をかけた。
こちらに気づいた彼は、笑顔で歩いてくる。
「待たせた?」
「いいえ。わたしも今来たところです」
「よかった。今日は楽しみにしてたんだ」
「わたしもです。さあ、行きましょう」
今日はわたしが案内する番だ。
大通りから細い道へ入り、白い壁の店へ向かう。窓辺には花が飾られていて、扉を開けると甘い香りが迎えてくれた。
「ここです。昔、お母様に連れてきてもらってから、ずっと好きなお店なんです」
「可愛らしいお店だね。エレノアが好きそうだ」
彼が店内を見回す間も、わたしはついケーキの並ぶ方へ目を向けてしまう。
よかった。今日もいつものタルトがあるわ。
窓際の席につくと、さっそくメニューを広げた。
「ルシアンは、どんなお菓子がお好きですか?」
「甘すぎないものかな」
「酸味があるものは?」
「好きだよ」
「それなら、こちらのレモンタルトはどうでしょう。レモンの酸味がしっかりしているんです」
「じゃあ、それにする」
即決した彼に驚いて、メニューを差し出した。
「ほかにもありますよ?」
「エレノアのおすすめを食べに来たんだから」
そう言って笑いながら、わたしにメニューを返してくれる。
「では、わたしは果物のタルトにします。一番好きなんです」
「それも気になるな」
「あとで少しお分けしますね」
注文を伝えると、ほどなくして紅茶と二つのタルトが運ばれてきた。
わたしの前には、クリームの上に季節の果物がたっぷり並んでいる。
一口食べると、思わず頬が緩んだ。
やっぱり、おいしい。
「ルシアンのは、いかがですか?」
彼がレモンタルトを口に運ぶのを、つい見つめてしまった。
気に入ってくれるかしら。
「うん。これ、好きだな」
「よかった!」
ほっとして声を上げると、彼が笑った。
「そんなに心配だった?」
「好きなお店ですもの。ルシアンにも、おいしいと思っていただきたくて」
小皿に自分のタルトを少し切り分け、彼の前へ置く。
「こちらもどうぞ。果物の酸味があるので、甘すぎないと思います」
「ありがとう」
彼はそちらも気に入ってくれたようだった。
わたしが好きなものを、同じように楽しんでくれる。それがこんなに嬉しいなんて。
「連れてきてもらえてよかった」
「わたしも、一緒に来られてよかったです」
口にするのは恥ずかしいけれど、彼が嬉しそうに微笑んでくれたので、素直になってよかった。
そのあとは、最近見つけたお店や、隣国の食べ物の話をした。
話の途中で商売のことが気になって尋ねると、そこからまた別の話へ広がっていく。
紅茶を飲み終えても、もう少しだけ、と席に残った。
聞きたいことも、話したいことも、まだあるのだもの。
***
店を出ると、陽が少し傾いていた。
「次は、僕のおすすめの店へ行こうか」
「ええ。今度はどんなお店ですか?」
「料理のおいしいところ。エレノアにも食べてみてほしいんだ」
「楽しみにしています」
次の約束ができたことに、自然と口元が緩む。
また一緒に出かけられる。
並んで大通りへ戻っていると、彼がこちらを見た。
「仕事じゃなくても、こうして会えるのは嬉しいね」
「……はい」
「僕は、こういう時間が好きだな」
わたしも。
すぐにそう思ったけれど、すこし恥ずかしい。
それでも、今日は自分から誘ったのだから、楽しかったと、きちんと伝えたい。
「わたしも好きです。ルシアンと、こうして過ごす時間」
彼は柔らかく笑った。
「また、行こうね」
「はい」
別れたあとも、次はいつ出かけることができるかなと考えていた。
***
数日後、商会で輸送の資料を確認していると、気になる箇所があった。
次に商品を送る際の経路について、ヴァレンティ商会の方針も聞いておきたい。
面会をお願いする手紙を出すと、その日の午後に返事が届いた。
けれど、そこに書かれていたのは、思いがけない知らせだった。
「……出張?」
ルシアンは現在、隣国へ出張中。
帰国はおよそ二週間後になるという。
今回の確認には代理の方が対応してくださるそうで、訪問をお願いした日時も問題ないと書かれていた。
わたしは手紙を読み返した。
二週間も、王都にいないのね。
この前会ったときには、何も言っていなかった。
次のお店の話までしたのに。
もちろん、互いの予定をすべて伝え合う間柄ではない。
彼にも仕事があるのだから、出張だってするでしょう。
手紙を置き、資料の続きを確認しようとした。
けれど、なかなか集中できなかった。
***
翌日、ヴァレンティ商会で迎えてくれたのは、代理を務める男性だった。
「ベルフォード嬢、お待ちしておりました」
「本日はよろしくお願いいたします」
彼は必要な資料を揃えて待っていてくれた。
わたしの質問にも丁寧に答えてくれて、気になっていたことはすべて確認できた。
「では、こちらの港を使う場合は、この日数を見込めばよいのですね」
「はい。手配についても、こちらで対応いたします」
「ありがとうございます。こちらの出荷予定も、改めてお送りいたします」
仕事の話は滞りなくまとまった。
お礼を伝えて席を立つと、男性が微笑んだ。
「ヴァレンティが戻りましたら、お越しになったことを伝えておきます」
「……はい。お願いいたします」
商会を出てから、つい振り返ってしまった。
今日は、彼が見送ってくれることもない。
帰りの馬車では、確認した内容を手帳にまとめた。
これなら出荷に向けて準備を進められる。何も困らなかったし、代理の方にもよくしていただいた。
ルシアンがいたら、話が終わったあとに少しお茶でも、と誘ってくれたかもしれない。
ルシアンに話したいことがあったのに。
……わたし、仕事の確認に来たのよね。
「お会いできると思っていたんだわ」
声にすると、余計に寂しくなった。
***
商会の仕事はいつもどおり忙しかった。
取引先と話し、届いた商品を確認し、お父様に相談する。
彼が王都にいなくても、毎日は過ぎていく。
ただ、面白い話を聞くと、ルシアンにも話したいと思ってしまう。
机の引き出しを開けると、ケーキ店へ誘ったときの返事が目に入った。
あの日は、あんなに楽しかったのに。
「出張のこと、教えてくださってもよかったのに……」
しばらく会えなくなるなら、あの日の別れ際に、気をつけて行ってきてくださいと伝えたかった。
「……わたし、拗ねているのかしら」




