↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/34

第十三話 彼と二人で

数日後、わたしはヴァレンティ商会を訪れていた。


「こんにちは、エレノア。お待ちしていました」


「こんにちは、ヴァレンティさん」


名前を呼ばれて、少しだけ頬が緩む。

この前は驚いてしまったけれど、今日はきちんと返事ができた。早く慣れたいわ。


用意してきた資料を机に広げ、次に送る商品の数量を確認する。

売れ行きは良いけれど、だからといって急に増やしすぎると在庫を抱えることになる。先方から届いた報告をもとに、一つずつ相談していった。


「こちらは、このくらいまでなら継続して用意できます。追加する場合も、少し時間をいただければ」


「それなら、まずはこの数量で進めましょう。輸送の手配も間に合います」


「はい。それでお願いします」


話がまとまって、ほっと息をついた。

気になることをその場で尋ねられるし、彼も曖昧にせず答えてくれる。わたしも、できることと難しいことをきちんと伝えようと思える。


「エレノアと話していると、楽しいですね」


書類を揃えていた手が止まった。


「商談が、ですか?」


「もちろん、商談も」


「……も?」


顔を上げると、彼は楽しそうに笑っていた。


「それ以外のお話も、ですよ」


そう言われると、なんだか照れてしまう。

わたしも楽しいです、と言おうとしたのに、うまく言葉が出てこなくて手元に目を落とした。

そうだ。今日は、お礼を伝えようと思っていたのだった。


「先日のお菓子、とてもおいしかったです。父にも分けたのですけれど、喜んでおりました」


「よかった。お口に合ったんですね」


「ええ。ありがとうございました。わたしからも、何かお礼をさせてください」


「お礼ですか?」


彼は少し考えてから、わたしを見た。


「このあと、お時間はありますか?」


「はい。今日は商会へ戻るだけですから」


「では、お茶に付き合ってもらえませんか。近くに、気に入っている店があるんです」


「それで、お礼になるのでしょうか?」


「僕が嬉しいので。それで十分ですよ」


そんなふうに言われたら、断る理由なんてない。

わたしは頷いて、書類を鞄にしまった。


***


案内されたのは、商会から少し歩いたところにあるお店だった。

扉を開けると、焼き菓子の甘い香りがする。木の机や椅子が並ぶ店内は落ち着いていて、窓辺にはやわらかな日が差している。


「素敵なお店ですね」


「でしょう? 一息つきたいときに来るんです」


窓際の席へ案内され、向かい合って座る。

書類の代わりに置かれたメニューを見ながら、

商談とはちがうのだから当たり前なのに、少し不思議な気持ちになった。

このあとは、何を話してもいいのよね。


紅茶とお菓子を注文すると、彼が尋ねた。


「エレノアにも、気に入っているお店はありますか?」


「ええ! 大通りから少し入ったところに、おいしいケーキのお店があるんです」


思わず声が弾んだ。

昔から好きなお店で、商会の用事で近くを通ると、つい足を向けてしまう。

どんなケーキが好きか話していると、彼が笑っていることに気づいた。


「……わたし、お菓子の話ばかりしていますね」


「聞いていて楽しいですよ。今度、僕も連れていってもらえませんか?」


「もちろんです。ぜひ、食べていただきたいです」


「では、楽しみにしています」


次に一緒に行く場所が、決まってしまった。

わたしがおすすめしたお菓子を、彼も好きになってくれたら嬉しい。


運ばれてきた紅茶に口をつけると、ふわりと香りが広がった。


「商談をしているときとは、表情が違いますね」


「そうですか?」


「ええ。さっきまで真剣な表情をしていたのに、今はとても柔らかい顔をしている」


そんなに楽しそうにしていたのかしら。

カップを置くと、彼はわたしを見て微笑んだ。


「そういう笑顔、僕は好きですよ」


「……そういうことを、さらりとおっしゃるのですね」


「本当のことですから」


困った。なんと答えればいいのかしら。

頬が熱くなって、わたしはお菓子へ目を向けた。おいしそうだと思っていたのに、今は食べるタイミングまでわからない。


「エレノア、僕のことも、名前で呼んでもらえませんか?」


顔を上げると、彼は真剣な顔をしていた。


「名前、ですか?」


「僕だけ呼ばせてもらっているので。もちろん、無理にとは言いません」


わたしはずっとヴァレンティさんと呼んでいる。

彼の名前は知っているのに、いざ口にしようとすると、少し勇気がいる。


「……ルシアンさん」


小さな声になってしまった。

けれど、彼にはきちんと聞こえたようだ。


「はい。嬉しいです」


そんなに嬉しそうに笑わないでほしいわ。こちらがさらに照れてしまう。

わたしはごまかすようにお菓子を一口食べた。

甘さを感じて、ようやく肩の力が抜けた気がする。


それからは、好きな食べ物や、仕事のない日に何をしているかを話した。

幼い頃に父について商会へ行ったことを話すと、彼も商売が好きなのだと教えてくれた。


「お父様のお仕事についていくのが、楽しみだったんです。知らないものを見るのも、お話を聞くのも好きでしたから」


「それは、今も変わらないんですね」


「ええ。知らない土地のことを教えていただけるのも、とても楽しいです」


彼が話してくれる街や市場の様子を聞きながら、いつか自分の目でも見てみたいと思った。

質問を重ねても、彼は丁寧に答えてくれる。


気づくと、窓から差し込む光が夕方の色に変わっていた。


***


「今日は、付き合ってくれてありがとう」


店を出ると、彼がそう言った。


「こちらこそ。楽しくて、つい長居してしまいました」


「僕もです。また、こんな時間を作れたら嬉しいな」


「ええ。次は、わたしのおすすめのお店ですね」


「約束ですよ」


迎えの馬車の前で、わたしは彼に向き直った。


「それでは、また。ルシアンさん」


名前を呼ぶと、彼が微笑んだ。


彼は、わたしをエレノアと呼んでくれる。

わたしも、もう少し近づいてみてもいいかしら。


「……ルシアン」


呼び直すと、彼は一瞬目を見開いた。

それから、先ほどよりも嬉しそうに笑った。


「またね、エレノア」


わたしは頷いて馬車に乗り込んだ。

走り出した窓の外で、彼が見送ってくれている。姿が見えなくなるまで、そちらを見ていた。


次は、どのケーキをおすすめしようかしら。

彼の好きなものも、もう少し聞けばよかった。


鞄を膝に置いて、わたしは今日の話を思い返した。

商談の結果は、お父様にきちんと報告しなくては。


今は、名前を呼んだときの彼の笑顔が、頭から離れない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。