第十一話 ヴァレンティ商会の代表
約束の日、わたしはヴァレンティ商会を訪れていた。
大通りから少し外れた場所にある建物の前には、荷馬車が停まっている。皆、忙しそうだ。
入口で名乗ると、すぐに応接室へ案内してくれた。
壁には隣国の地図がかけられ、机には資料が揃えてある。
わたしも持参した資料を確認していると、扉を叩く音がした。
「失礼します。お待たせしました」
入ってきたのは、わたしより少し年上に見える青年だった。
黒に近いダークブラウンの髪に、青みを帯びた灰色の瞳。背が高く、濃紺の服がよく似合っている。
わたしは立ち上がり、頭を下げた。
「エレノア・ベルフォードです。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「ヴァレンティ商会のルシアン・ヴァレンティです。こちらこそ、よろしくお願いします」
この方が、隣国との取引を広げている商会の代表なのね。
もっと年上の方を想像していたわ。
「お手紙、拝見しました。困ったときに助け合える関係を、というお話でしたね」
「はい。わたしたちは、まだ隣国について調べ始めたところです。教えていただくことの方が多いと思いますけれど、こちらからもお力になれることがあればと思っております」
「ええ。お互いに何ができるか、今日はそのお話もできればと思っています」
穏やかに微笑んで、席を勧めてくださった。
わたしは鞄から資料を取り出して、机へ広げた。
「試験輸入した商品を調べるうちに、こちらの商品を隣国へ届けることもできないかと考えたのです。まだ案の段階なのですが」
「拝見しても?」
「もちろんです」
ヴァレンティさんは資料を受け取ると、一枚ずつ目を通した。
黙って読んでいる間、わたしも手元の控えを見つめる。
何度も計算したのだから、数字は合っているはず。実際に取引をしている方にはどう見えるのかしら。
「この商品なら、需要はあると思います。ただ、こちらの輸送経路は、費用がかかりますね」
「そうなのです。別の港も考えたのですけれど、輸送日数が増えてしまって」
「では、こちらはどうでしょう」
広げた地図の上を、彼の指が動いた。
わたしも身を乗り出して、指し示された港を見る。
「ここからなら、隣国の南部へ直接入れます」
「でも、その港は冬に波が荒くなると聞きました。それで候補から外したのですが」
「ええ。ですから、使える時期に利用するのです。冬場は別の港へ切り替える。その費用も含めて計算してみてください」
「なるほど……同じ港を使い続ける必要はないのですね」
わたしは急いで書き留めた。
一年を通して使える経路を探していたけれど、時期によって変えればいいのだわ。
「ありがとうございます。戻ったら、もう一度計算してみます」
「ほかにも気になることはありますか?」
「よろしいのですか?実は、現地の商人とのお付き合いについても伺いたくて」
聞きたかったことをまとめた紙を取り出すと、彼は少し目を見開いた。
あら、書きすぎたかしら。
「すみません。全部を今日伺おうというわけではないのです」
「いえ。よく調べていらっしゃると思って」
そう言って笑うと、わたしの質問に一つずつ答えてくれた。
話を聞いていると、調べただけではわからなかったことが繋がっていく。
わたしも夢中になって、資料に書き込みを増やしていた。
***
商会へ戻ってから、お父様に面会の内容を報告した。
航路を見直し、扱う商品の候補も絞って、改めて取引案を送る。
数日後に届いた返事には、いくつか確認したいことがあると書かれていた。
紙の上で説明するより、直接お話しした方がよさそうね。
わたしは次の面会をお願いする手紙を書いた。
二度目の訪問では、前よりも緊張していない。
「こんにちは、ベルフォード嬢」
「こんにちは、ヴァレンティさん。先日はありがとうございました。おかげで、輸送費を見直すことができました」
「それはよかった。今日は、取引先の候補についてもお話ししましょう」
机に並べられた資料を、一緒に確認していく。
条件のよい相手ばかりに見えたけれど、比べてみると、それぞれに違いがあった。
「こちらの方は、短期間で多く売ることを重視していらっしゃるのですね」
「ええ。利益も見込めます」
「でも、わたしはこちらの方とお取引したいなと思いました」
別の資料へ指を置くと、ヴァレンティさんが顔を上げた。
「理由を聞かせていただけますか?」
「一度の利益は少なくても、長くお付き合いができそうだからです。取引先のお客様との関係も大切にしていらっしゃるようですし」
「なるほど」
彼は資料へ目を戻し、少し考えてから続けた。
「確かに、最初の取引相手としては、こちらの方が合っているかもしれませんね」
「はい。わたしたちは、まずは向こうで信用を得るところからですもの」
知らない土地へ商品を送るのだから、間に立つ方を信頼できるかどうかは大切だ。
条件がよいからと、それだけで決めたくはない。
「ベルフォード嬢は、相手の考え方も大事にされるのですね」
「父に教えてもらったのです。人との繋がりも大切だと」
「そうなんですね、人脈はとても大切だと、私も思います」
ヴァレンティさんは目を細め、わたしを見ている。
お父様の話になると、少し得意げになってしまうのよね。恥ずかしいわ。
わたしは資料を手元に寄せ、話を戻した。
「でしたら、まずは商品の種類と量を絞って始めるのはいかがでしょう。売れ行きを確認してから、次を考えたいです」
「僕も賛成です」
顔を上げると、彼は少しだけ笑った。
「失礼しました。つい、普段の話し方になってしまいました」
「構いません。わたしも、夢中になるとつい」
「では、お互いさまですね」
わたしも笑ってしまった。
最初はきちんとお話ししなくてはと気を張っていたけれど、今は次の意見を聞くのが楽しみになっている。
わたしの考えを聞いたうえで、違うと思ったことも話してくださるから、相談しやすい。
その後、小規模な取引から始める案をまとめた。
持ち帰ってお父様に確認してもらい、細かな条件を詰めていくことになる。
「本日もありがとうございました。何度もお時間をいただいてしまって」
帰り支度をしながら頭を下げると、ヴァレンティさんは穏やかに答えた。
「こちらにも得るものがありますから。今後も、直接お話ししていただけると嬉しいです」
「わたしでよろしければ、ぜひ。もっと隣国のことを教えていただきたいですし」
「もちろん。僕も、ベルフォード嬢と話すのは楽しいですから」
「……そうですか?」
「ええ」
まっすぐに答えられて、少し照れくさくなった。
商談のお話なのに、何を照れているのかしら。
「では、またよろしくお願いします」
そう言って、わたしは差し出された手を握った。
帰りの馬車で資料を開くと、余白にはわたしの書き込みがびっしりと並んでいた。
お父様に報告したいことがたくさんある。確認したら、次の面会までに準備しなくては。
「また、お話ししたいわ」
ふふっと笑ってしまった。
隣国との取引は、まだ始まったばかり。
けれど、次にあの方と会う日が、もう楽しみになっていた。




