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次の日の同じ時間に、シズクはヤッホーと現れた。
「まだ思い出せないの?」
彼女の口調は鋭かった。心にするりと滑り込み、そこの奥の奥へと突き刺さった。
今日は伯父が僕の好きな(らしい)ゲームや、家族のアルバムを持ってきた。ゲームをしてみたが、やり方が解らずすぐに飽きてしまった。記憶はぷくとも浮かばなかった。次に家族のアルバムを見てみたが、誰が誰なのか解らなかった。写真の中で笑っている男の子を指差し、この子は誰? 僕の友達? と伯父に聞いた。伯父は苦笑いして、それが僕であることを教えてくれた。女の子の写真もあった。それが僕の姉だった。髪の長い、かわいらしい人だった。
入学式、卒業式、運動会や公園などなどでの一場面一場面に写る僕は笑っていた。
――こんなふうに、僕は笑うんだ。
日中アルバムを眺めていたが何も思い出せず、伯父は夕方には帰った。アルバムとゲームは置いて行ってくれた。
「明日から仕事だから、夜にしか顔を出せないんだ」
そう言って部屋を出て行った。ドアが閉まるとすぐ、窓からシズクが現れた。
「自分の親なのに? 自分のお姉ちゃんなのに? 家族との最後のときすらも?」
シズクは嫌味な笑みを零していた。嘲笑というやつだ。
「まあ、あたしも家族の最後のときを知りはしないんだけれどね」
シズクは口元を笑わせていながらも、目だけは悲しみを湛えていた。
「君も一人なの?」
「そう」
純な笑顔に、僕はそれ以上何も言えなかった。シズクは昨日と同じように近付いて来て、わざわざ耳元で囁いた。
「あたしは一人。きみと同じ。だからあたしたちは独りじゃないの。解る?」
言い終えると彼女は顔を離し、そっと右手で僕の頬に触れた。恐怖からぞくっとした。シズクの右手は冷水に漬かしたあとみたいに冷たかった。体温というものがまるでなかった。
「惺は一人、あたしも一人。足せば二人。だから独りじゃないの。どちらかを失くさない限り」
僕には、シズクが賢しらにものを言っているようにしか見えなかった。
「今日はもう帰るわ。また明日ね、惺」
シズクは窓から身を躍らせ、見えなくなった。途端に僕は寒気を覚えた。
多分この冷たさは、彼女が今まで身に纏っていた寂寥なのだろう。彼女はそれを置いていったのだろうか?
考え事をしながら眠りについた。
日が昇り朝が来た。でも、昼間はこれといってすることもなく、気紛れにアルバムを捲ってみたり、ゲームをやってみてすぐに負けたりした。他に僕が出来ることなんて、食事の時間に栄養のある食事を摂ることぐらいだ。暇で仕方なかった。それに――
――どうしても記憶が戻らない。
不満足な感じはするが、今の僕にはそんなことはどうでもいいことだった。とはいえ、何か重要なものが他にあるわけでもなかった。記憶のことは重要だと思っている。だけど、解らない。
自分は何者なのだろうか?――べつに誰でもいいじゃないか。
僕は荒涼とした砂漠でも歩いているような途方もなさに、気が塞いでいた。
夕方になると伯父がやって来た。伯父は僕の体調を尋ねたあと、気長に思い出せばいいさ、と言ってくれた。ホッとした。
伯父が帰ったのは夕食の前だった。また明日も来るよ、と言って手を振った。その顔は疲れ切っていて、今にも砕けてしまいそうに思えた。だけど僕は、小さく手を振ることしか出来なかった。
静寂が残った。
シズクが来ないことを不思議に思ったが、よくよく考えれば僕の所へそうそう来るはずもない。窓からやって来るのを見れば、これは彼女にとって秘密な行動であることは解る。毎日来るとは言っていたが、来る隙のない日ぐらいあるだろう。
――そういえば、どうしてシズクは僕のもとを訪れて来たのだろう?
素朴な疑問が生じた。何か変だ。仕組まれている感じがする。
シズクは僕が意識を取り戻したその日にやって来た。当たり前みたいにやって来た。まるで見舞いでもしに来たかのように。
――シズクは僕のことを前から知っていたのでは……?
そんな気がした。
そうだとしたら、シズクとは何者なのだろうか?……変な気分だ。僕は僕自身のことすらよく解らないのに、僕以外の人物について詮索している。
――僕はきっと、ただのお人好しだったんだろうな。




