魔王様、明日の会議は欠席してください
「――は?」
魔王の声が、玉座の間に響いた。
高城律は、壁一面の予定表を指したまま繰り返した。
「会議、八割なくしましょう」
真っ先に反応したのはガルドだった。
「貴様はつい先ほど、我が軍について何も知らぬと言ったばかりではないか。それで八割だと?」
「八割は仮置きです」
怒鳴りかけていたガルドの動きが止まった。
「……仮置き?」
「本当に八割減らせるかは、これから調べます」
「なら、なぜ八割などと言った」
「最初から一割減らすつもりで見たら、一割しか減らせないからです」
ガルドが眉をひそめる。
「大きく減らす前提で見れば、絶対に残さなきゃいけないものが見えてくる。八割という数字に、今はそれ以上の意味はありません」
玉座の間に、短い沈黙が落ちた。
赤い目をした女だけが、口元を隠して小さく笑う。
「ふふっ。私は嫌いではありません、この人間」
「セレス」
「失礼しました、魔王様」
まるで反省していない。
律は名前だけ覚えておいた。
セレス。立場は後でいい。
今は、反対された理由の方が価値がある。
八割という数字そのものに根拠はない。だが、大きく動かそうとすれば、何を守りたいのかが表に出る。
反対されること自体は問題ではない。何を理由に反対するのか。そちらが情報だった。
「高城」
「はい」
「余は、意味もなく会議を開いているわけではない」
「そうだと思ってます」
レオノーラが、わずかに目を細めた。
「……そう思うのか?」
「はい。意味がないと分かっていて、日の出から夜まで会議を続ける人は、そう多くないです」
事故や報告漏れ、権限を渡した先での失敗が起きるたび、組織は報告や承認を一つずつ増やしていく。
どれも、その時には必要だったはずだ。
後から結果だけを見て「無駄」と切れば、その会議が生まれた理由まで一緒に消してしまう。
前の世界で、律は何度もそれを見てきた。
「だから、なくす前に理由を見たいんです」
予定表へ視線を戻す。
「何のための会議なのか。誰が出て、何を決めているのか。まず、そこから見せてください」
レオノーラは少し考えたあと、玉座の脇へ声を投げた。
「フィーネを呼べ」
◇
数分後。
玉座の間の大扉、その両脇に彫られた石像が同時に目を開いた。
『入室者を確認』
緑色の光が扉の前をなぞり、石像の低い声が続く。
『許可』
高さ五メートルはありそうな石扉が、重さを感じさせない動きで壁の中へ沈んでいった。
見た目は古代遺跡。やっていることは、かなり高度な本人確認だ。
この世界を見た目だけで判断すると、たぶん何度でも間違える。
扉の向こうから、小柄な少女が駆け込んできた。
濃紺の外套。額の左右には、親指ほどの短い角。両腕には、今にも崩れそうな羊皮紙の束を抱えている。
「お、お待たせいたしました! 魔王直属書記官、フィーネ・アルク。ただいま参りました」
「フィーネ。この男の調査を手伝え」
「承知しました!」
勢いよく答えたあとで、フィーネは初めて律を見た。
目が合う。
「高城律です」
「フィーネ・アルクです。よろしくお願いいたします」
今しがた聞いた名前を、もう一度律儀に名乗った。緊張しているらしい。
「こちらこそ」
「ちなみに、この男は余の会議を八割消すそうだ」
レオノーラが付け加えた。
フィーネの目が、分かりやすく丸くなる。
――この人、大丈夫?
口には出していないが、顔にはだいたいそう書いてあった。
「まだ消しません」
「まだ……」
「まず調べます。明日の予定から見せてもらえますか」
フィーネは一瞬だけ迷い、それから強く頷いた。
◇
律とフィーネを先頭に、レオノーラとガルドも中央記録院へ向かった。
玉座の間を出て間もなく、律は足を止めた。
一つだった廊下が、途中から三方向へ分かれている。
正面には、人間でも問題なく歩ける石造りの通路。右上には壁に沿って細い回廊が走り、左下には、大人なら四つん這いにならなければ通れそうにない小さな通路が伸びていた。
フィーネによれば、上は翼族、下は小鬼族や小妖族が主に使うらしい。
大型種族には、さらに別の道があった。
窓の外。別棟へ向かって、幅十メートルはありそうな巨大な橋が伸びている。その中央を、牛ほどもある四足歩行の魔族が悠々と歩いていた。
律は三つの動線を見比べた。
最初に浮かんだのは、統一されていない、という評価だった。
すぐに捨てた。
翼を持つ種族に地上の廊下だけを使わせる意味はない。小さな身体の種族に、巨人と同じ階段を上らせるのも馬鹿げている。
違う身体を持っているなら、違う方が合理的だ。
標準化すればいい。
そんな雑な仮説は、一分も持たなかった。
悪くない。
外れたと分かったなら、それだけ理解は進んでいる。
「どうしました?」
フィーネが振り返った。
「何でも同じにすればいいわけじゃないなと思って」
彼女は意味が分からないという顔をした。
「こっちの話です」
律は歩き出した。
廊下の壁の奥では、紫色の光がゆっくりと脈打っている。
それは《魔力脈》と呼ばれ、照明や暖房、防壁、通信、昇降盤など、城の機能へ魔力を供給しているらしい。
便利な世界だ。少なくとも、仕組みを正しく使えている範囲では。
そう考えた直後だった。
数歩先の壁へ埋め込まれていた黒い水晶が、赤く明滅した。
『北方第三砦より緊急連絡!』
男の叫び声が廊下へ響く。
フィーネの表情が変わった。
黒水晶から青白い光が噴き上がり、空中へ景色を形作っていく。
雪に覆われた砦。崩れた城壁。吹雪の中を走る兵士たち。
掌ほどの人影が、立体映像の中を慌ただしく行き交っている。
羊皮紙が現役なのに、遠隔地の景色は立体で映せる。
また一つ、この世界を単純な物差しで測れない理由が増えた。
『敵魔導砲、再充填を確認! 次弾まで二十呼吸!』
その瞬間。
レオノーラの空気が変わった。
「中継核は」
『まだ生きています!』
「座標を寄越せ」
空中に三重の魔法陣が展開した。
黒。
紫。
深紅。
見たこともない文字が、幾重もの円環の上を高速で駆ける。
レオノーラが片手を上げた。
指先に黒い炎が灯る。
熱はない。
なのに、律の身体が反射的に半歩下がった。
理屈より先に、本能が近づくなと告げていた。
「《黒炎界》」
黒炎が細い糸となり、水晶へ吸い込まれる。
投影された雪山の上空に、巨大な黒炎の壁が立ち上がった。
直後、白い閃光が弾ける。
腹の底を震わせる轟音。
敵の魔導砲が黒炎へ直撃し、廊下全体を白く染め上げた。
それでも。
黒い壁は消えない。
『防御成功!』
通信の向こうから歓声が上がった。
レオノーラは何事もなかったように手を下ろす。
「中継核が落ちれば、次は届かぬ。撤退判断は現地司令に任せる」
『はっ!』
黒水晶の光が消えた。
廊下に静けさが戻る。
律はしばらくレオノーラを見ていた。
「何だ」
「……普通に強いんですね」
「余を何だと思っていた?」
「一日中会議している人」
「貴様」
隣で、フィーネが慌てて口元を押さえた。
笑ったらしい。
律の意識は、もう別のところへ移っていた。
派手な魔法より気になることがある。
「今の防御、魔王様にしかできないんですか?」
「同じ役割を果たせる術者は他にもいる。ただ、この距離へ干渉するには中継核が要る」
なら、次に気になることは一つだった。
「どうして、その人たちではなく魔王様へ直接連絡が来たんです?」
「余が最も確実だからだ」
答えに迷いはなかった。
律は、光を失った黒水晶を見た。
合理的だ。
だからこそ厄介だった。
一番強い人へ持っていく。一番確実な人に決めてもらう。緊急時だけを切り取れば、何も間違っていない。
それを毎回やればどうなるか。
律は、その結果に覚えがあった。
視界の端に、細い光が走った。
《構造視》。
自分が拾った情報同士のつながりを見せる力。正解を教えてくれるわけではないし、知らない事実を勝手に補ってくれるわけでもない。
玉座の間でレオノーラへ集まっていた光へ、新しい一本が加わった。
緊急時の軍事対応。
やはり、何かが彼女へ集まり続けている。
◇
中央記録院は、律が想像していた図書室とはかなり違っていた。
羊皮紙の棚の隣に石板が積まれ、その向こうでは記録用の水晶が淡く光っている。文字の浮かぶ骨片まであった。
問題は媒体の多さだけではない。
石板を読み上げる者、その内容を羊皮紙へ写す者、水晶の記録を別の形式へ転記する者。何人もの書記官が、異なる記録の間をつないでいた。
律はしばらく黙って眺める。
媒体同士をつなぎ、転記工程を減らし、記録の持ち方そのものを変える――そんな改善案が、頭の中にいくつも浮かんだ。
そこで止めた。
今は違う。
三日間の契約は、現状分析だ。
見つけた問題を片っ端から直し始めれば、調査が終わる前に自分が新しいボトルネックになる。
問題を見ると、直したくなる。
それも、律の悪い癖だった。
「高城さん」
フィーネが長机に羊皮紙を広げた。
「明日の魔王様の予定です」
北方戦線会議、食糧配給会議、魔石配給会議、軍団長定例、各種族代表者会議。
種類は違うのに、どれも最後にはレオノーラの名前が付いている。その隙間にも、小さな打ち合わせがびっしり並んでいた。
律は予定表の端から端まで目を走らせる。
玉座の間で遠目に見た印象より、ひどい。
「これ、魔王様が全部出るんですか?」
「基本的には」
食糧配給から魔石、軍団同士の調整まで、ほとんどの案件が最後にはレオノーラの承認へ行き着くらしい。
「仕事、趣味ですか?」
「違う」
「なら、なぜここまで自分で決めるんです?」
レオノーラは、すぐには答えなかった。
予定表へ視線を落とす。
「任せた結果が、これだ」
以前、食糧配給を軍務局へ委ねたことがあるという。
軍務局は戦力への影響が大きい竜族への補給を優先した。その結果、獣人族への配給が三日遅れ、二つの部族が連合を離脱しかけた。
魔石配給を各軍団へ任せた時には、第一軍団と第四軍団が配分を巡って衝突した。
「余が決めれば、少なくとも皆が従う」
律は返事をしなかった。
筋は通っている。
任せた。失敗した。だから、自分で抱えた。
その順番には、覚えがあった。
三浦の顔が、一瞬だけ脳裏に浮かぶ。
理解できてしまうのが、少し嫌だった。
「なら、会議削減は撤回するか?」
「いいえ」
「なぜだ」
「仮説が変わったからです」
律は予定表をもう一度見た。
最初は、会議が多いこと自体が問題だと思った。
違う。
会議は、もっと深い問題の結果として増えている。
緊急通信も、食糧配給も、魔石配給も、別々に見えていた出来事が一つの形へ寄り始める。
ばらばらだったものがつながる。その感覚に、律の頭が勝手に冴えていく。
最悪だ。
こういう瞬間が、一番好きだった。
「判断が、魔王様へ集まりすぎています」
律は言った。
「急ぐ案件ほど、一番確実に決めてくれる人へ持っていく。だから魔王様の仕事が増える。魔王様が必要な会議も増える」
仕事が集まるほど、さらに魔王へ持ち込むのが一番早くなる。
循環している。
「会議は原因じゃない」
律はレオノーラを見る。
「症状です」
誰も口を挟まなかった。
律は、その沈黙の中でフィーネへ視線を移した。
彼女はここへ来てからずっと、誰より多くの言葉を書き留めている。
「フィーネ」
「はい」
「毎日、こういう会議を記録してるんですよね」
「はい」
「君から見て、どうです?」
羽根ペンが止まった。
フィーネは、反射的にレオノーラを見る。
「魔王様じゃなくて、君に聞いてます」
「……私は、書記官です」
「だから聞いてます」
律は、それ以上言わなかった。
待つ。
会議室では、肩書きの高い人間が一番多くの情報を持っているとは限らない。
毎回そこにいて、誰が何を言い、何が決まり、何が決まらなかったのかを見続けている人間だからこそ、気づけることがある。
やがて、フィーネが口を開いた。
「会議で決まらなかった案件は、次の会議へ持ち越されます。でも、その次の会議にも魔王様はいらっしゃいます」
少し迷ってから、続ける。
「ですから……急ぐ案件ほど、魔王様がおられる会議へ持ち込めば早いと、皆が考えるようになりました」
律の中で、最後の一本がつながった。
「それです」
フィーネが顔を上げる。
「今の話、かなり大事です」
「私の話が、ですか?」
「はい」
少女は目を丸くした。
ずっと会議室にいた。決まったことも、決まらなかったことも、たぶん誰より見ている。
なのに、これまで誰も彼女に聞かなかった。
律は予定表へ視線を戻した。
会議の整理も、決裁権限の切り分けも、報告と判断の分離も、すでに頭には浮かんでいる。
だが、まだ早い。
ここで作り替えれば、現状分析ではなく改革支援になる。そして何より、今の仮説が本当に正しいのかをまだ確かめていない。
「魔王様」
「何だ」
「明日の会議で、一つ検証させてください」
律は予定表の一番上を指した。
『全軍戦況会議』
「これは予定通り開いてください。参加者も議題も、そのままで」
後ろでガルドが腕を組む。
「なら、何を変える」
「一つだけです」
直すのは、その後でいい。
まず見る。魔王がいなくなった時、この組織の何が止まるのか。
それだけで、今の仮説はかなり絞れる。
律はレオノーラを見た。
「魔王様」
「何だ」
「明日の会議、欠席してください」
フィーネの羽根ペンが、床へ落ちた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は、魔王不在の全軍戦況会議。律の仮説が本当に正しいのか、最初の検証が始まります。




