魔王様、まず会議を八割減らしましょう
はじめまして。
「もし、コンサルタントが異世界の魔王軍を立て直したら?」
そんな発想から始めた物語です。
剣や魔法で無双するのではなく、現状分析、仮説、組織改革、会議、物流、人材育成などを武器に、崩壊寸前の魔王軍を再建していきます。
コンサルを知らない方でも楽しめるように書いていくので、気軽に読んでいただけたら嬉しいです。
午前四時十三分。
高城律は、百十三枚目のスライドを開いたまま、マウスから手を離した。
画面右下には、午後十時過ぎに届いたメールが残っている。
『全体としてよくまとまっています。
もう少し経営目線を入れていただけますでしょうか』
「経営目線、ねえ」
声に出したところで、意味は増えなかった。
戦略、組織、人員、業務、システム、コスト、投資対効果。三年間の実行計画まで入っている。
それでも、もう少し経営目線。
便利な言葉だった。依頼した側も、何をどう変えてほしいのか言葉にしきれていない時、人はこういう表現を使う。
律は、分からないことを放っておくのが苦手だった。正確には、分からなかったものが分かる瞬間が好きだった。
相手は何に引っかかっているのか。結論か、数字か、リスクか。そもそも、この資料で役員に何を決めてほしいのか。
考え始めると、頭が勝手に候補を並べ始める。
その性格は、コンサルタントとしてはずいぶん役に立った。
人間としては、たぶんそれ以上に損をしていた。
窓の向こうでは、都心の街がまだ夜の底に沈んでいる。幹線道路の灯りと、いくつかの高層ビルの窓だけが暗闇に浮かんでいた。
四十階を超えるオフィス。ガラス張りの会議室。整然と並んだデスクに、三枚の大型モニター。
三十二歳。大手総合コンサルティングファームのマネージャー。外から見れば、順調なキャリアだった。
中にいる本人が、午前四時を過ぎても会社にいて、午後十一時に買ったサンドイッチを一口しか食べていないことを除けば。
「高城さん。まだいたんですか」
振り返ると、若手の佐倉がコートを羽織っていた。
「それ、こっちの台詞」
「僕は帰ります。高城さんも帰った方がいいですよ」
「あと一時間」
「昨日も聞きました」
「昨日は二時間って言った」
「改善してないです」
佐倉が笑った。律も少し笑う。
「もういいから帰れ。朝の会議、遅刻するなよ」
「……高城さんもですよ」
佐倉は何か言いたそうだったが、それ以上は口にしなかった。「お先に失礼します」とだけ残して、暗いフロアの向こうへ消えていく。
律はその背中を見送り、ふと肩に掛かった鞄へ目を留めた。妙に重そうに見えた。
三年前にも、似た背中を見送ったことがある。
三浦。入社二年目。頭の回転が速く、資料のセンスもよく、客先でも物怖じしなかった。
――こいつ、そのうち俺より上に行くな。
本気で、そう思っていた。
だから仕事を任せた。最初は小さな作業。次は一つの資料。その次は、顧客との調整。
三浦はいつも「できます」と言った。「大丈夫です」とも言った。納期が縮んでも、修正が増えても、終電を逃す日が続いても。
そして、ある月曜日。三浦は会社に来なかった。
火曜日も、水曜日も。
週の半ばになって、長期休職に入ったと知らされた。一度だけ電話したが、出なかった。
律は、自分の失敗にはそれほど怯えない。間違えたなら直せばいいし、仮説が外れたなら捨てればいい。
けれど、自分が渡した仕事で誰かが壊れることだけは、どうしても割り切れなかった。
任せた。大丈夫だと言われた。気づいた時には、遅かった。
その経験から律が学んだのは、「任せ方を変える」ではなかった。もっと単純で、もっと悪い答えだった。
――自分でやればいい。
誰かに任せて見落とすくらいなら、自分で抱える。レビューして直すくらいなら、最初から自分で作る。
自分なら、限界が来る場所くらい分かる。
そう思っていた。
「……さて」
律はモニターへ向き直った。
結論を一枚前へ。役員に求める判断を明示する。経営への示唆は三つに絞る。
ばらばらだったものが、一つにつながった。
これなら通る。
答えが見えた瞬間、疲労で霞んでいた頭が少しだけ冴えた。身体はとっくに休めと言っているのに、問題が解けそうになると頭だけは元気になる。
我ながら、あまり健全な習性ではない。
マウスへ手を伸ばした。
指が動かなかった。
「ん?」
右手に力が入らない。机へ手をついて立とうとした瞬間、胸の奥が強く縮んだ。
「っ……」
息が入らない。深く吸おうとしても途中で止まり、三枚のモニターが滲んだ。
これは、たぶんまずいやつだ。
スマートフォン。救急車。誰か呼ばないと。
そう思ったはずなのに、床へ崩れ落ちる直前に頭へ浮かんだのは、百十三枚の資料だった。
――明日の資料。
あれ、誰が出すんだろう。
そこで意識が途切れた。
◇
「……起きたぞ」
知らない声で目が覚めた。
最初に感じたのは、背中の痛みだった。
手をつくと、冷たい石の感触が返ってくる。
「硬……」
律は身体を起こした。
そこで、しばらく言葉が出なかった。
天井が高い。高いというより、遠い。
黒い石柱が何本も立ち並び、その表面を紫色の光がゆっくり流れている。まるで石そのものに血管が通っているようだった。
頭上では、青白い光を腹に抱えた巨大な蛾のような生き物が、羽音もなく漂っている。
「……照明、生きてるのか」
右手には、高さ十メートルはありそうな大窓があった。その向こうを見て、律は完全に黙った。
雲が、下にある。
さっきまで律は、高層ビルから街を見下ろしていた。今度は、城そのものが空に浮いている。
巨大な黒い岩盤の遥か下には紫色の森。その上を、翼を広げれば旅客機ほどありそうな竜が三頭、ゆっくり旋回していた。さらに遠くには、雲を突き抜けるほど巨大な樹が一本、地平の向こうに立っている。
幹の途中に、小さな灯りの群れが見えた。街だろうか。
「……ああ」
小さく息を吐く。
知らない。何一つ、知らない世界だった。
普段なら、分からないものを見ればすぐに整理を始める。けれど、この時だけは少し違った。
律はただ、目の前の景色を見ていた。そんな時間が自分にも残っていたことが、少し意外だった。
「何をしている?」
声に振り返る。
正面には巨大な玉座があり、一人の女が座っていた。
銀色の長い髪。黒を基調とした衣装。二十代後半ほどに見える顔。その額から、二本の角が伸びている。
両脇にも、明らかに人間ではない者たちがいた。二メートルを優に超える豚頭の巨漢。血のように赤い目をした女。鎧の隙間から白骨が覗く騎士。首筋を鱗に覆われた大男。
律は黙って自分の頬を抓った。
「何をしている?」
「夢かどうか確認してます。痛いので、たぶん違います」
女の眉がわずかに動いた。
「異界より招かれし者よ。我が名はレオノーラ・ヴァルディス。魔族連合の盟主にして、第十三代魔王である」
「魔王……なるほど」
驚いていないわけではない。
ただ、空に浮かぶ城を見た。竜も飛んでいた。照明らしき巨大な蛾まで生きている。
今さら角の生えた魔王が一人増えたところで、驚きにも順番というものがある。
律は自分の格好を確かめた。スーツ、ワイシャツ、ネクタイ。倒れる直前と変わっていない。
ポケットからスマートフォンを取り出す。
午前四時十四分。
圏外。
時間は、あの瞬間から一分しか進んでいなかった。
「俺、死にました?」
レオノーラは少し間を置いた。
「召喚術がそなたを捉えた時には、魂と元の肉体との繋がりはほとんど失われていた。こちらへ定着した時点で、完全に切れた」
「じゃあ、死んでますね」
「……そうなる」
思っていたより、あっさり言葉が出た。
実感がないのかもしれない。
佐倉は朝になれば、あの席を見るだろう。
家族には誰が連絡するのか。
三浦が、このことを知る日は来るのか。
考えれば、いくらでも浮かぶ。
けれど今の律には、どれ一つ確かめる手段がなかった。
答えの出ない問いを回し続けても、答えには近づかない。
律はスマートフォンの画面を消した。
「それで、俺を呼んだ目的は?」
レオノーラの目がわずかに細くなる。
「……話が早いな」
「今できることから考えたいので」
レオノーラは玉座から立ち上がった。
「ならば単刀直入に言おう」
一段ずつ、階段を降りてくる。
「我が軍を救ってほしい」
律は初めて、目の前の魔王を仕事相手として見た。
◇
魔王軍は、人間諸国との戦争で劣勢だった。北方では二つの砦を失い、西部でも後退している。
総兵力は、およそ五万。
そこまで聞いたところで、律は引っかかった。
「五万というのは、今戦える人数ですか?」
豚頭の巨漢――ガルドの鼻が鳴った。
「我らには五万の精兵がいる」
「それ、答えになってないですよね」
ガルドの目が細くなる。だが怒鳴り返す代わりに、彼は種族ごとの事情を説明した。
三日で傷が塞がるオーク。腕を失えば戦列へ戻れない種族。不死族に至っては、負傷という考えそのものが薄い。
隣の骸骨騎士が、静かに頷く。
律は口を閉じた。
五万という数字を聞いた瞬間、人間の軍隊と同じ感覚で「一人」を同じ単位として扱おうとした。
最初の仮説は、外れた。なら、捨てればいい。
外れた仮説を守り始めたら、それは分析ではなく信仰になる。
「なるほど」
むしろ、少し面倒になった。そして、その面倒さに頭の奥がわずかに反応する。
悪い癖だ。
「資料、見てもいいですか?」
レオノーラが示した机には、大量の羊皮紙が積まれていた。
律が一枚手に取ると、紙の端に刻まれた紋章が淡く光る。
「封印印だ。改竄すれば色が変わる」
「紙なのに、改竄検知は自動か……」
この世界を単純に前近代と考えるのも、もうやめた方がよさそうだ。文字はなぜか読めた。
律は数枚を抜き出して並べる。
『第一軍団 所属兵数 四千百』
『第一軍団 出撃可能兵力 三千二百』
『第一軍団 現有戦力 二千六百』
同じ軍団について、数字が三つ。ガルドに確認すると、所属兵数は名簿上、出撃可能兵力は今すぐ動かせる者、現有戦力は前線側が独自に数えた数字だという。
基準も、更新時点も揃っていない。数字はある。だが、同じ数字を見ているわけではない。
嫌な匂いがした。
律は別の羊皮紙を取る。
『第七軍団 食糧備蓄 十分』
「……十分」
「十分にある、という意味だ」
「何日分です?」
ガルドは少し考え、「種族による」と答えた。
赤い目の女が涼しい声で笑う。
「オークなら、人間の五、六倍は食べるわ」
「戦時ならもっとだ」
ガルドが不満そうに付け足した。
食糧備蓄、十分。何に対して十分なのかは、誰にも分からない。
便利すぎる報告だった。
律はそのまま、戦況、物資、陳情、予算、魔石配給の記録へ目を通した。情報がないわけではない。むしろ、多すぎるくらいだ。
問題は、それらが同じ物差しで作られていないことだった。
ふと、壁に掛けられた予定表が目に入った。
日の出から夜まで、予定がびっしり詰まっている。
「これ、全部会議ですか?」
「そうだ。毎日行っている」
レオノーラ自身も、ほぼ全てに参加するという。その後に通常業務。
律は予定表を眺めた。会議のために働いているのか、働くために会議しているのか、よく分からない予定だった。
「……死んだ後まで会議か」
「何か言ったか?」
「いえ」
兵数は揃わない。食糧量も揃わない。報告書は大量にある。会議も大量にある。
しかも、その情報も判断も魔王へ集まっている。それでも戦況は悪化していた。
最悪だ。
この手の問題が、一番好きだった。
誰かが戦場で死んでいる問題を「面白い」と感じる自分に、律は少し嫌気が差した。
それでも、ばらばらだった事実が一つの構造へつながり始める感覚を、彼は知りすぎていた。
頭の中では、もう改善案が浮かび始めている。会議を分ける。報告と決裁を分離する。数字の定義を揃える。
――待て。
まだ来て数十分だ。知らないことの方が多い。見た瞬間に直し始めるのは、悪い癖だった。
その時、視界の中央に薄い光が浮かんだ。
『魂魄情報の解析が完了しました』
「……何だこれ」
『前世経験を確認』
『問題整理――高』
『仮説構築――高』
『関係者調整――高』
『人材育成――低』
律の眉が動く。
『自己管理――著しく低』
死亡直後に言われると、反論しづらい。
「誰と話している?」
「俺にも分かりません」
文字が切り替わる。
『固有職能――《異界顧問》』
続いて。
『現在職位――アソシエイト』
「……は?」
律は目を擦った。変わらない。
前世ではマネージャーだった。十年働き、案件責任者もやった。部下だっていた。
『前世の肩書は、本世界での実績として評価されません』
「そこは妙にフェアだな……」
少し腹は立つが、筋は通っている。実績がないのは事実だった。
次の表示が現れる。
『支援要請を検知しました』
『依頼者候補――レオノーラ・ヴァルディス』
『支援契約を締結できます』
契約。
その文字を見た瞬間、散らかっていた状況に一本の軸が通った。
我が軍を救ってほしい。それでは、あまりに広すぎる。
何を、どこまで、いつまでに。そこを決めなければ、仕事にならない。
「三日ください」
レオノーラの眉が上がる。
「三日で我が軍を救うと?」
「無理です」
即答した。魔王の顔が固まる。
「三日で五万の軍を立て直せるって言う奴がいたら、その人を信用しない方がいいです」
赤い目の女だけが、小さく笑った。
「三日でやるのは、敗けている理由を特定するところまでです。資料を見る。現場を見る。必要な相手に話を聞く。その先をやるかは、結果を見て決めます」
まだ、この世界のことを何も知らない。改革まで約束する気はなかった。
「条件は?」
「資料と現場へのアクセス。それと、必要な相手には階級に関係なく会わせてください」
「認めよう」
「あと」
律はスマートフォンを握った。午前四時十四分。圏外。あの夜の時間だけが、画面の中に取り残されている。
「無償ではやりません」
玉座の間が静まった。
金が欲しいわけではない。この世界の相場すら知らない。
律が求めたのは、自分がなぜこの世界へ呼ばれたのか、元の世界へ戻る方法があるのか、その調査への協力。そして、三日間の衣食住だった。
レオノーラはしばらく律を見たあと、右手を差し出した。
「よかろう」
律はその手を取った。
視界いっぱいに文字が広がる。
『支援契約が成立しました』
『案件――魔王軍現状分析』
『依頼者――レオノーラ・ヴァルディス』
『期間――三日間』
『目的――敗勢の主要因を特定する』
『支援範囲――現状調査・分析』
『調査権限――承認』
『報酬――召喚に関する調査協力・生活保障』
少なくとも、契約内容は律の認識を拾っているらしい。
表示が消え、代わりに新しい文字が浮かんだ。
『固有技能――《構造視》を解放します』
世界が、ほんの少しだけ変わった。
羊皮紙、予定表、報告書。軍団、補給、予算、会議、決裁。
その間を、細い光の線が走っていく。
律は息を止めた。
光は正解を示しているわけではない。今まで自分が拾った情報同士を、つないでいるだけだ。
物資配分、人員配置、軍団間調整、予算承認、出撃判断、会議招集、最終決裁。何十本もの線が、一か所へ集まっていた。
ばらばらだった事実が、一つの形になる。
この瞬間を、律は知っていた。だからこそ、すぐには信じない。
情報はまだ少ない。断定には早い。それでも、最初の仮説を置くには十分だった。
「魔王様」
「何だ」
「まだ仮説です」
「構わぬ」
律はレオノーラを指した。
「今のところ、この軍で一番大きな問題」
一拍置く。
「あなたです」
空気が止まった。
「……余が?」
「はい」
ガルドの目が見開かれる。骸骨の騎士まで、わずかに首を傾げた。
律は壁の予定表へ目を移した。
日の出から夜まで、魔王と幹部たちを縛りつける会議。
もちろん、会議そのものが原因とは限らない。むしろ、別の問題が会議を増やしている可能性の方が高い。
だからこそ、揺さぶってみる。
「最初の提案です」
律は予定表を指した。
「明日から、この会議」
一拍。
「八割、なくしましょう」
「――は?」
魔王の声だけが、玉座の間に響いた。
同時に、律の視界へ新しい文字が浮かぶ。
『次の職位――コンサルタント』
『昇格条件――依頼者に、実際の変化をもたらすこと』
異世界で最初に任された案件は、五万の魔王軍。
その最初の仮説は、どうやら魔王本人から検証することになりそうだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第一話は、律が異世界で最初の「案件」を受けるところまででした。
次話からは、いよいよ魔王軍の現場に入り、
「本当に会議を八割減らせるのか」
を具体的に詰めていきます。
魔王軍側にも当然それぞれ事情があるので、律の提案がそのまま通るわけではありません。
フィーネをはじめ、今後の主要キャラクターも少しずつ登場させていく予定です。
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