68話 忘れた感情
花火大会の約束から一週間。
体育祭の熱気も薄れ、学校には再びいつもの日常が戻ってきた。
だが、日常に戻ったはずなのに、優斗の中には拭いきれない何かが残っていた。
親友との取り留めのない会話。
変わらない昼休み。
変わらないはずの毎日。
それでも、あの日から少しずつ何かが変わり始めている。
気付いていないのは、きっと本人だけなのかもしれない。
第68話、よろしくお願いします。
千春と花火大会の約束をしてから、早一週間。
体育祭の熱気もすっかり冷め、学校にはいつもの日常が戻っていた。
もちろん僕も例外ではない。
「でさぁ~、穂乃花のやつが―――」
「それは辛いわ。」
「だろ~?」
相も変わらず雅之の話を聞きながら、文芸部の部室で昼食を取っていた。
こうして彼と何気ない会話をしていると、不思議と夢から覚めたような気分になる。
体育祭のことも、千春との約束も、どこか他人事のように感じられた。
そんな今日この頃だった。
「つか、話変わるけどさ。」
紙パックの牛乳を啜りながら、雅之が口を開く。
「お前、あれから例の人とは進展あったのか?」
「ブフォッ!?」
危うくだし巻き卵を吹き出しそうになった。
「おいおい、大丈夫かよ?」
「ゲホッ……そ、そっちが急に変なこと言うからだろ……」
咳き込みながら、持ってきていた麦茶を一口飲む。
どうやら気管には入っていなかったらしい。
ひんやりとした感触が喉を通り抜け、後には麦の渋みだけが残った。
「んで? 何だって? 例の人?」
「あぁ。ほら、体育祭の時に話してたやつ。」
「……ああ。」
思い出した。
確か千春のことを雅之に相談したんだった。
名前は伏せていたから、あくまで『例の人』という扱いなのだろう。
いや、それよりも。
「友達の話って体で話したはずなんだけど?」
「えー、そうだったか? でもあれ、お前の話だろ?」
「……。」
「別にはやし立てたり、誰かに言いふらしたりする気はねぇよ。」
僕の警戒を察したのか、雅之はため息交じりに言った。
「単純に親友の恋路を応援したいだけだ。」
「雅之……。」
少し見直しかけたその直後。
「あと少女漫画見てるみたいで面白いしな。」
「コイツ……。さてはそっちが本音だろ。」
雅之は露骨に目を逸らし、不器用に口笛を吹く。
前から思っていたけど、この男は本当に嘘が下手だ。
呆れて額を押さえながら大きく息を吐いた。
「で、どうなんだよ? 詳しく詳しく!」
勢いよく身を乗り出してくる雅之。
その圧力に負け、僕は渋々口を開いた。
「あのさ、僕とその子はそういう関係じゃなくて。」
「ほうほう。」
「ただの気の合うオタク仲間。そこにそれ以上の意味なんてないよ。」
そう言いながら、自分でもその言葉に引っ掛かりを覚えた。
本当にそうなのか。
心のどこかで誰かに問い掛けられた気がした。
妙に胸の奥が落ち着かない。
「……ただ、今度二人で花火大会に行くことにはなった。」
「おぉ~~~!!」
雅之が歓声を上げる。
「すげぇじゃん! めちゃくちゃ進展してるじゃねぇか!」
「だから友達としてだって! 距離が縮まったというか、友情が深まったというか……」
「あー、はいはい。」
僕の反論は軽く流された。
まるで必死に言い訳しているみたいで少し腹が立つ。
不服そうに睨み上げると、爽やかなイケメンフェイスが涼しい顔で受け流してきた。
「だとしても嬉しいんだよ。お前が三次元に興味を持ってくれてさ。」
「別に最初から興味がないわけじゃない。」
弁当のからあげを摘まみ上げる。
「単に、恋が何だか分からなくなってるだけだ。」
「その言い方、前は知ってたみたいに聞こえるな。」
「それは……」
雅之の言葉に一瞬たじろぐ。
視線を逸らし、からあげへと落とした。
自分でも不思議だった。
そんな記憶はないはずなのに。
なのに、体のどこかが知っている気がする。
頭では思い出せない何かを。
だから無意識のうちに、あんな言葉が口をついたのだろう。
僕は僕自身の何を知っているのだろう。
その答えのない問いを、ここ最近何度も繰り返している。
決まって、千春のことを考えた時だった。
あの笑顔が脳裏をよぎるたび、もう少しで何かを思い出せそうになる。
だけど、その寸前で心のどこかが手を伸ばすのを拒んでいた。
「分からない。」
ぽつりと呟く。
「でも、体だけは知ってる気がするんだ。」
「……。」
「前にも誰かを好きになったことがあったんじゃないかって。」
言い終えると、からあげを口の中へ放り込んだ。
何度も咀嚼する。
頭では処理しきれない感情も、こうして噛み砕いて飲み込めればいいのに。
そんなことを考えながら。
「―――ごちそうさま。」
手を合わせた瞬間、予鈴のチャイムが鳴り響いた。
「あーあ。今ちょうどいいところだったのに。」
雅之はくしゃくしゃになったパンの袋をポケットへ押し込む。
「何はともあれ、また何かあったら聞かせろよ?」
そう言って手を差し出してきた。
「おう。」
その手を取り、椅子から引き上げる。
「じゃ、教室戻るか。」
「だな。次の授業なんだっけ?」
二人の取り留めのない会話が、旧棟の廊下に溶けていく。
だが優斗の胸に引っ掛かった小さな違和感だけは、最後まで消えなかった。
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