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新入生である矢坂烏兎が文芸部に入部してはや三日。
最初の二日間は図書室運営に関する雑事を教え込み、彼女の人となりを知ることを重視した。
彼女は、第一印象でのおどおどした小動物のような人間ではなかったようだ。想像していたよりも明るく、よく笑う人間だった。本人曰く、「人見知りなんです」との事だ。今では学校内ですれ違う度に「お疲れ様です!」なんてわざわざ声をかけてくれる。
……まるで犬だな。
篠原結姫と矢坂烏兎が揃った文芸部は、生物部か何かに改名した方がいいんじゃないだろうか?
すると、俺の馬鹿みたいな思案を吹き飛ばすようなため息が目の前から聞こえた。
「小説が書きたいって思ってるんですよ! でも、何から手をつけたらいいのかが分からないんです!」
「そんな勢いよく言われても……」
というか、なぜ俺に言う。
随分図々しくなった少女は、熱意を持ってはいるが、それを形作る方法が分からないらしかった。
勢いよく机に突っ伏し、珍妙な呻き声を上げている矢坂を放置し、窓の外に目を遣る。
曇天、とまでは言わないが、少し厚いねずみ色が遠くに見える。天気予報では今日は晴れだったはずなのだが、外れてしまったらしい。
「さらに問題がありまして……」
下から、さらに声が続く。
「篠原先輩との距離が縮まらないんです!」
「いや、仲良くなる要素がなかっただろ」
先程から使用されている読書スペースに視線を移すと、我が文芸部のお姫様兼猫様が銀河鉄道に乗っているところだった。
文芸部に入部したということは、必然的に篠原結姫と接する機会が多くなる。つまり魔法は解けたのだろう。
おそらくだが、矢坂の中では、篠原結姫は寡黙な先輩ではなく、無愛想な先輩として位置づけられている。
さらに言うなら、文芸部の仕事は基本的に俺が教えていたから、矢坂は本当に篠原結姫との関わりがなかったことになる。
……仲良くなるも何も、だな。
「でも、都島先輩は篠原先輩と仲が良いじゃないですか」
「仲は、良くないよ」
実際、あの先輩とは図書室でしか関わりがない。学校内で見かけても、話しかけるどころか会釈すらしない。仲は悪くはないが、仲が良いと言い切るには微妙な距離感だろう。
矢坂は、「またまた〜」なんていいながら腕をつついてくる。
「だって、私が図書室に来る前って二人でお話してるんですよね? じゃあ仲良いじゃないですか!」
「いいなぁー」なんて言いながら、矢坂はまた体を机に預けた。
机に押されたメガネが、鼻根から上にズレて邪魔そうだ。
「……というか、なんであの人と仲良くなりたいの? 無愛想な先輩とは無理に仲良くならないでいいと思うけど」
矢坂が、腕を枕にするような体勢に変えた後、少しの沈黙が生じる。「深い理由はないんですけど〜」とくぐもった声が聞こえたと思ったら、反動をつけて上体を起こし、俺と目を合わせる。
「だって、綺麗な人だから……」
まるで隠し事を共有するかのように、少し声を潜めた矢坂はちらと視線を篠原結姫に向けた。
なるほど。篠原結姫は、中身はどうであれ見た目は一定以上の評価を得ているのだ。知らないうちに入ってきたばかりの新入生を誑かすことに成功していたらしい。
まあ、人の交友関係に口を挟む必要もないだろう。誰が誰とどんな理由で仲良くなるかも、第三者が文句をつけるようなことではない。
「つまり、二人きりにさせて仲良くなるきっかけを作って欲しいってこと?」
おそらくそれが一番早いような気がする。篠原結姫は、内心どうであれ真っ向から話しかけてくる人を無視はしないのだ。
すると矢坂はおもむろに腕を組み、「ふっふっふ」と声を出した。
「先輩、私が二人きりになって上手く話せると思いますか?」
……。
「大丈夫。篠原先輩に、月が綺麗ですねとでも話しかけたら反応は返ってくるよ」
おそらく「ナンパなら違う人にやってくれるかしら」なんて言われるだろう。もしくは「誰の入れ知恵?」かな。
「それ、告白じゃないですか!!」
おぉ、さすが夏目漱石。いつの間にやら有名になっていたこの文面は、こういった時の揶揄いにも向いているらしい。
ふと、篠原結姫と目が合った。彼女は何を考えているのか、流し目でこちらの様子を窺った後に文庫本に目を戻した。
吃驚した。
矢坂は篠原結姫の視線には気づかなかったらしく、話を続けた。
「……3人で話をすることから始めたいです。お二人の空気感を壊すことになりそうですけど」
怖々と、こちらの表情を伺いながら言葉を紡いでいる矢坂。
何を気にすることがあるのか。さっきも言ったけど、俺は篠原先輩と仲は良くないよ、そう声に出そうと息を吸い込んだ瞬間だった。
「あら、貴方の目には私と都島柊路がそんなに仲良く見えているのね」
いつの間にか近くに接近していたらしい篠原結姫が矢坂の肩に手を乗せながら言った。
「ぴゃっ」なんて分かりやすい小さな悲鳴を上げながら肩を強張らせた矢坂は、人見知りを発動しているのか動揺のせいなのか口をぱくぱくとさせている。
「篠原先輩、こいつ後輩ですよ。虐めないでください」
「あら、先に虐めていたのはどちらかしら。私は普通に話しかけられたら仲良くお話するのよ」
「そうでしたっけ?」
篠原結姫はふふっと分かりやすく笑ってみせた。
否定も肯定も飛んでこない。
ほら、なんて意思表示をするために肩を竦めると同時に、硬直がとけたのか矢坂が声を上げた。
「なら! 私とお話ししてくれませんか……?」
声を上げたはいいものの、最後には自信を喪失したのかどんどん尻すぼみになっていく声。緊張しているらしく、大きな瞳はキョロキョロと動いている。
当の篠原結姫はというと、矢坂の声を聞きいているのかいないのか、窓の外を眺めていた。
風に流されてきた雲が空一面を覆い、いつの間にか降ってきた雨が、静かに窓をノックしていた。
「今日貴方にあげられるのは雨天順延券だけね」
「……え?」
不意をつかれた発言を咀嚼できていない矢坂を放置したまま、文庫本を手に持ち、スクールバッグを肩にかけた篠原結姫は、図書館の入口から出る直前に振り返り、それじゃあね、とだけ言い残して帰っていった。
「……え?!」
隣から聞こえる困惑を含む矢坂の声が、虚しく図書室に響いた。
雨は、強さを増していた。




