↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虹色の炎  作者: 修羅場ーバリアン
8/12

第八話




 妖狐は空虚な種族であり、常にその胸中には嫉妬や憎悪が渦巻いている。


 白雪もまたその一人であり、幼い頃から常に彼女は姉と己の差に苦しみ続けていた。

ただの妖としては当時最強であった姉は、母である翡翠に多くを期待され、彼女は普通に育てられた。

それを碧は羨ましいと言っていたが、そんなものは彼女も同じだ。期待されないことの辛さを、彼女の姉は知らない。

常に彼女達は互いを憎み、妬み、嘲笑って生きて来たのだから、そこに愛が介入する余地は殆どなかったと言える。


 それでも、互いを姉妹であると認めていることが僅かばかりの愛を残していた。

だからこそ、一年前白雪は碧と共に一鬼を独占するという選択肢も考えていた訳である。

実際は、一鬼を独占したことを自慢する姉を前にしてそのような選択肢など必要ないと切り捨ててしまった訳だが。

二人の間にある絆は結局の処、多分の憎しみと嫉妬に、少しばかりの愛で以て成り立っているのだ。

どちらかが変わらない限りは、それが変わることは未来永劫ないだろう。




「……っ」



 美空……否、白雪は不意に生じた偏頭痛によって目を覚ました。


 精神の融合が引き起こすその頭痛は彼女達が一体化をしているという証であり、同時に境界が失われているという証でもある。

今の彼女は美空であり、白雪でもあり、そしてそのどちらもでないと言える、新たな精神に到達しつつあった。

双方が混ざり合って生まれつつある新たな己を白雪とし、彼女はそう呼んでいるに過ぎない。

両者が混ざり合って生まれたからこそ、彼女はその双方であり、同時にどちらでもないのだ。


 嫉妬と憎しみが生み出した業火は白雪と美空を融合させた。

いや、正確に言えば業火によって砂漠と化した両者の砂が混ざり合い、一つの砂漠になったに過ぎない訳だが。

しかし、それはもはや完全に一つの砂漠と化しており、今更分離させようとも双方が同じ砂漠から取れた砂でしかない。

ただ一つ、その中でぽつんと佇んでいる小さなオアシスに位置するのが白雪の良心……即ち『一鬼を信じたかった白雪』というもう一つの人格だ。


 その人格は現在何もできずに見ていることしかできない訳だが、それを白雪と呼んで良いのかは怪しい処である。

結局、『一鬼を信じたかった白雪』は白雪に残された僅かな良心そのものであって、それは二年前に完全に消失したのだ。

もしも彼女が別の分岐を選べたならば……一鬼を信じ、真正面から向き合って全てを明かしていれば、その良心は花咲いただろう。


言うなれば、彼女の超越者としての資格はその僅かばかりの良心にこそあり、それを完全に振り切った時点で彼女は超越する資格を失ったのだ。




「良く眠っていたわね。あれから半日は眠っていたわよ」


「……そう……っ」



 寝る前と変わらぬ場所で見守っていた碧の言葉にぶっきらぼうに答えながら、白雪はその場に座り込んだ。


 相変わらず左腕は根元で切断された状態のままで、再生する兆しはない。

残された右手で傷口に触れた瞬間に、金虎によって切断された瞬間の恐怖がぶり返し、慌てて彼女は手を放す。

このような状態では、もはや金虎を相手にすることはできそうもないと自嘲しながら、彼女は震える手を握り締めた。

黄金の超越者から放たれた圧倒的な殺意と力、そして再生しない左腕……そこまで条件が揃ってしまえば、もう立ち向かえない。


 他の超越者相手ですらも、鬼火という共通のものが金虎を想起させるだろう。

今の白雪では、恐れが全てを上回ってしまい、超越者に立ち向かえない。対峙すら叶わない。

彼女も最初から勝てないことなど分かっていたし、それを考慮した上で上前を撥ねるつもりだった。

その筈だった……金虎によって絶望的な能力差と殺意を脳裏に刻み込まれるまでは、確かに優希を振り絞っていたのだ。


 逆に言えば、勇気を振り絞らねば対峙すらも叶わない相手であるが故に、その勇気を上回る恐怖によって立ち向かえなくなったとも言える。




「……痛むの?」


「いいえ、傷口自体は塞がっているわ。だけど……再生しない」


「そう……やはり超越者は一筋縄ではいかないわね。もう、光の塔に行くのは止めなさい。貴方では、超越者には勝てないわ」


「……分かっているわ」



 碧に言われずとも、白雪も理解している。


 ただの妖でしかない彼女では絶対に超越者には勝てない。

覚醒した超越者に勝てるのは超越者だけであり、彼女達ではそれは叶わないのだ。

資格を持たない碧が超越した処で十尾が限界であったように、資格があっても超越できていない彼女では九尾が限度だった。

そして、その程度の力では簡単に捻じ伏せられるだけで、絶対に勝つことはできない。


 白雪が金虎と相対した際に感じた恐怖はまさしくその差を表している。

彼女が振り絞った勇気をいとも簡単に打ち砕き、左腕を一閃のもとに切り落とした黄金の超越者は彼女にとってトラウマだ。

それを思い出して彼女は思わず自嘲する……この程度でトラウマになるようでは超越者になどなれる筈もない。

結局の処、超越する資格の全ては切り離した彼女の良心にこそあり、それ以外はただのゴミなのだ。

今恐怖し、苦悩している彼女自身はただの妖狐であり、資格を有しているのは何一つできずに居る良心の方でしかない……それが彼女には悔しかった。




「どうせ、もう帰る場所はないわ。このままここで一鬼の復活を待っていなさい」


「……戻って罪を償えとは言わないのね」


「貴方にその気がない已上は、人間のルールでは縛れないでしょう? 人間の兵器では、それこそミサイルレベルの武器でもなければ、貴方は殺せない。そもそも、瞬間移動を使える時点で捕まえておく方法がないというのもあるわね。妖の能力は絶対に封じることはできないのだから」



 確かに碧の言う通り、九尾である白雪を殺すにはミサイルレベルの破壊力は必要だ。


 妖は三尾レベルの時点で、既に銃弾レベルを無効化できる程に体は頑丈になっている。

六尾を超えれば、それこそミサイルに直撃でもしない限りは死なない程の耐久力を得るものだ。

逆に言えば、上級妖ですらも近代兵器の最先端の武装を前にしては勝てないことを意味してもいた。

核ミサイルなどに直撃すれば、流石の白雪達も間違いなく消滅することになるだろう。


 それが通用しない超越者という存在を前にして、白雪達に勝機がある筈がなかった。

所詮近代兵器に勝つことなどできない妖如きが、星一つすら滅ぼし得る超越者を相手に勝つことは不可能だ。

半端な超越者でしかない碧ですらも、その鬼火を解き放てば緑色の炎が全てを焼き尽くす。

圧倒的な差がそこには存在し、それを覆すことは不可能なのだ。


 だからこそ、彼らは超越者と呼ばれている。




「愛する男の父を殺した私を殺さないの? 一鬼が本当に守りたかったのは、私ではなくて神谷明と夜空の心なのよ?」


「美空を殺しても良いのなら、とっくに殺していたわ。それと……一鬼が守ろうとしていたのは、二人の心ではなく、二人との絆よ」


「……そんなことだろうと思っていたわ。やっぱり貴方は屑ね」


「そうね……私は屑よ。それを否定するつもりはないわ。否定すれば、一年前も二百年前のことも、全てを私は否定することになる。それはできない……それをしたら、私は仮初の超越者で居ることすらできなくなるから」


「っ……超越者じゃない癖に、超越者ぶらないで!!」



 白雪は碧の反応に苛立ちながら、声を荒げた。


 彼女は碧が狼狽えるか、若しくは激昂することを期待していたのだ。

それが、実際はそのまま彼女の言葉を受け入れ、静かに過去に思いを馳せるという結果に終わっている。

ただの仮初の超越者でしかない筈の姉が、超越者に似た精神を持っていることが、彼女には悔しかった。

その様を見る度に、己が座る筈だった緑の席が奪われたのだという現実を突きつけられるのが、彼女には悔しい。


だから、碧の粗探しをして責めようと思ったのだ。

所詮ただの八つ当たりでしかないことは、白雪もそれは自覚しているが、己の惨めさを誤魔化す為には必要だった。

それも簡単に一蹴されてしまった為に、益々己が惨めになるのを彼女は悟る。

超越者には絶対に勝てないことは百も承知だが、仮初の超越者でしかない姉にすら劣るのが、彼女は嫌だった。




「白雪……癇癪持ちなのは相変わらずなようね。あの母から生まれたというのに、私も貴方も酷く傲慢だった。身勝手だった。悲しいくらいに……周りに悲しみばかり齎したわ」


「何? 今更懺悔でもするつもりなの? 姉さんが超越者になったのも、生き残ったのも、全部一鬼のお蔭じゃない! 全部滅茶苦茶にした癖に今更悟ったような気になって気持ち悪い!!」



 白雪の激情は碧の表情を歪ませようとするが、しかし姉は揺らいでくれない。


 一年前は互いにヒステリックに罵り合う程に同じ穴の狢であった筈が、いつの間にか別次元の存在になっている。

それが恐ろしくて、恐怖が声の震えとなって具現化したことを自覚しながらも、彼女は姉の非難を止めない。

もう昇れないことが確定している彼女には、遥か上に居る姉を引き摺り下ろすことしかできなかった。

それがいかに惨めなのかを噛みしめながらも、彼女は止められずに居る。


 そして、そんな彼女を嘲笑うかのように、綺麗な笑顔で姉は言葉を告げた。




「何とでも言いなさい。今更こんな気持ちになっても遅いのは百も承知よ。だけどね……変わるしかないの。変わりたいの。変わらなければいけないの。私は、一鬼の世界の中で生きるわ。その為には、もっと強くならないといけない。もっともっと……上に行かないとダメなの」


「……どうせ、一鬼に捨てられたくないからでしょう?」


「いいえ、違うわ。確かに私は一鬼に甘えたいわ。その腕で抱かれたい。その肌に触れたい。温もりに包まれたい。色々な表情を見たいし、見て欲しい」


「ほら、やっぱりそうじゃない」


「でもね……私が求める強さは、一鬼を信じること。一鬼に報いること。こんな私を愛すると決意し、受け入れ、最後まで守り抜いた男を何処までも愛すること。いつまでも傍に居ること。寄り添って、一緒に笑って、泣いて、怒って、虚無ではないと教えること。だから、私は強くありたいの……誰よりも虚無に苦しんでいる一鬼と、様々な感情を共有できる緑の超越者として。そして―――碧という個の存在として」



 己は一鬼の為にある―――碧は何の迷いもなくそう言い切った。


 白雪では、そのようなことは言えない。言える筈がない。

所詮彼女は己の欲望の為だけに……心に巣食う虚無、飢え、渇きを埋める為だけに一鬼を求めているに過ぎなかった。

そんな矮小な彼女を否定するかのように、同じ穴の狢である筈の姉は大きな成長を見せつける。

姉は一鬼の隣に寄り添う役割を果たそうと言っているのだ。共に、全ての感情を共有すると言っているのだ。


 白雪にはそのようなことはできない……ただ不完全で、彼女に都合のよい状態の一鬼を独占することしか考えていなかった。

そうでなければ、彼に受け入れられる自信が皆無な彼女は、彼と触れ合えない。

鎖で雁字搦めにして、完全に管理した状態でしか、彼女は安心して彼に触れることができないのだ。

一鬼に受け入れられる筈がないという恐怖があるからこそ、彼女はその道しか選べない。


 そもそも、二年前に彼を信じることができたならば、このような状況に陥ってはいないだろう。

『一鬼を信じたかった白雪』ならば、彼と向き合い、全てを吐き出した上で受け入れられたかもしれない。

だが、残念ながら当時彼女の中で強かったのは、一鬼に拒絶されることへの恐怖だった。

向き合う覚悟が足りなかった。恐れをどうにかする経験も、彼女にはなかった。


 結局指導者に恵まれなかったが故に、彼女は多くの大切な要素を得ることなく大人になってしまったのだ。




「昨日も言っていたわよね……一鬼を愛しているから、そこまで変わったの?」


「いいえ、一鬼が愛してくれたからよ。私は今必死にそれに応えようと慌てているだけ。所詮、自分から与えることはできない屑よ。だけどね……あそこまで強烈な覚悟を無下にはできなかった。したくなかった。それに、何もせずに失うのはもう嫌なの。私の望みはただ一つ―――私の愛する男を最後まで愛すること。そして、愛されること。既に一鬼はその愛の強さを証明してくれた。だから今私の愛を、私自身が試しているの」


「……狂ってるわ。気持ち悪い……超越者は皆、気持ち悪い!」



 白雪はこみ上げた嫌悪感に従い、そのまま感じたことを口にした。


 彼女からすれば、超越者は皆狂っているとしか言いようがない程に強く、底が見えない。

ただの気が狂れた輩でしかない筈だというのに、その生き様は酷く真直ぐだ。歪みだらけだ。

正気の判断基準は個々によって異なるが、超越者のレベルにまで達した狂気はもはや狂気としか言えない。

彼女は一度たりとも超越者の狂気に憧れたことはない。その義務に、使命に殉じようと思ったこともない。


 白雪が資格を有していたのは事実だが、しかしそれがただの資格でしかないことも事実であった。

彼女は碧さえ居なければ己が緑の超越者になれたと再三言っているが、実際になれたかは怪しい。

紫鬼達超越者による教育さえあれば、同じ狂気の世界に仲間入りできはするだろうが、それ以外の道ならばそうはいかないだろう。

恐らく彼女は他の超越者とは違い、他の超越者の影響を多分に受けなければ超越できない。


 結局彼女の根底には己のみで超越する程の強さは無く、超越者による英才教育でしかそこに辿り着けないのだ。


 だから、その教育を得られかった今の彼女には、超越者を理解できない。




「気持ち悪くて結構。貴方の望んだ光は、その気持ち悪さの筆頭を行く狂気を持っているわ。それを受け入れる度量が無いからこそ、貴方は一鬼を不完全なままで捉えようとしたのでしょう? 自分さえ満足ならば、一鬼がどんなに苦しんでも良かったのでしょう? 貴方は一鬼を愛してはいない……ただ、その光が欲しいだけ」


「っ……だったら……だったら何なのよ!? 貴方だって同じだったじゃない! 自分の勝手な欲望のせいで、一鬼を殺したじゃない!」


「そうね。私も同じ穴の狢よ。だからこそ、変わらなければならない。どんなに惨めでも、苦しくても、一鬼の愛に応えることができるようになりたいの」



 碧の言う通り、白雪が必要なのは一鬼ではなく、彼が持つ光だ。


 彼女は光さえあれば、一鬼という人格は必要ない。その精神は必要ない。

美空でさえもそれは同じで、結局の処一鬼が与えてくれる光さえあれば良かった。温もりを与えてくれる者ならば、誰でも良かった。

ただ、それができるのが一鬼であっただけで、それさえなければ彼に拘る必要は皆無だったのだ。

そのようなことは彼女も分かっている。今更姉に言われるようなことではない。


 だからこそ、同じ穴の狢だと姉を非難した白雪は、碧の返答に更なる嫉妬の炎を燃やす。

姉が見ているのは光ではなく、それを与える一鬼という人格だ。その精神だ。彼個人だ。

他の超越者がそうであるように、本当に必要なのは光ではなく、空の超越者の精神だと姉は言っている。

それが益々彼女の惨めさを加速させ、超越者への嫉妬と、恐怖を増大させていく。

そこまで他者を想える物を彼女は知らない。柿坂愛梨という例外を除いては、出会ったことがない。




「どうして……ブレないの? ブレなさいよ! もっと苦しそうにしなさいよ! どいつこもいつもバカにして!!」


「……バカにしていると思っているのならば、それは貴方自身の己に対する評価そのものよ。貴方は自己評価を、他者を鏡にして見ているに過ぎない。超越者はただ己の道を進むのみ……道端に転がっている石ころに態々唾を吐きはしないわ」


「そういう物言いが……バカにしていると言っているのよ!!」


「聞こえなかった?……超越者は石ころに態々唾を吐きはしないの。貴方は自分で上に唾を吐いて、それを受けているだけ」


「そんな筈ない! 私は……私……は……」



 白雪は碧の言葉を否定しようとするが、しかしできなかった。


 燃え盛る憎しみと嫉妬の炎は、果たして他者が齎したものなのかと言われたならば、彼女はそれを肯定できない。

元々その炎は彼女の奥底にあったもので、誰よりも妖狐らしい妖狐として生まれた彼女達姉妹は、誰よりも強い炎を抱えた。

その炎は彼女達を焼き、苦痛、憎しみ、嫉妬を増大させる。それが彼女達を突き動かす。無い物ねだりをさせる。


 仮初ではあるものの、超越者となった碧はそこから脱した。

苦痛も虚無も捨て去りはしなかったが、嫉妬と虚栄の果てに他者を傷つけることはもうない。

白雪はまだそこから脱することができず、己の虚無を埋める為に光を求めているだけ。

元来その立場は逆になる筈であったというのに、今彼女は見下ろされる立場にある。

超越者になれば、姉を見返せるという思いも彼女にはあった。苦しんでいる姉を嘲笑ってやろうという思いもあった。


 その精神こそが超越者の資格を持ちながらも超越できなかった理由であるとは、露程も知らずに、彼女は己の欲望の為に超越するつもりだったのだ。


 インディゴと何一つ変わらないその在り方こそが、超越する資格を有しながらも彼女が超越できなかった理由だ




「どうせ超越者でなければ超越者の考えは分からないわ。かく言う私も、金虎達の言葉を完全には理解できなかった……所詮は仮初の超越者で、本物の超越者には遥かに劣るの」


「でも……それでも、貴方は……超越したじゃない。他超越者の誰よりも一鬼に望まれて……」


「そうね。あの瞬間、一鬼は誰よりも私を最上に置いた。美空ですらも……神谷明と夜空の愛の結晶すらも放り投げて、ね。だから、私はもう一鬼の愛を疑わないわ。私は一鬼の罪の証、背負うべき重荷、そして……誰よりも空虚さを理解する理解者であり続ける」


「何よ……結局、私が一鬼を信じ切れなかったのがいけないって言いたいの? そこで差がついたって……いうことなの?」



 白雪は一鬼を愛してなどいない……その光さえあれば良かった。


 つまりは、一鬼の精神ではなくただ彼が所持している唄に惹かれたに過ぎないのだ。

だからこそ、彼の精神に惹かれた碧のように疑いながらも、何処かで信じているという段階にすら至れなかった。

恐らくは、碧と同じように一鬼がその命すら投げ打って覚悟を示しても、彼女は信じ切れなかっただろう。

彼女が惹かれたのは所詮唄であり、光であり、彼のその強い精神ではないのだから。


 それでも信じたいと思った白雪が居たのは確かだが、その精神は切り離されている。

現在沈黙を保っている彼女の良心こそが、彼女が二年前に『虹色の肋骨』を解き放つ為に切り離した枷だ。

その枷がある限り、彼女は大勢を巻き込めない。たった一人の男が持つ光を独占する為に、他者を切り捨てることができない。

必要な唄を手に入れる為には、彼女は己に残されたほんの僅かな良心すらも切り離す必要があった。


 その結果生まれたのが、『一鬼を信じたかった白雪』という良心の塊だ。

白雪はそれと己の精神のバックアップを美空に仕込み、美空の良心もまたそこに吸収されていくようにした。

だからこそ、美空はこの二年間で少しずつ白雪へと変貌していき、最終的に二つの精神は融合したのだ。

彼女の良心はその為に邪魔な美空の良心を取り除く為に利用された訳である。


 その良心にこそ超越する資格があったのだとは知る由もなく、彼女は欲望のままに動いた。


 そして、今左腕を失った状態でここに居るのだ。姉と己の間にある大き過ぎる差に、苦しんでいるのだ。




「ブルー・シャーマンも、以前はそこまで一鬼の精神性や生き様を認めていた訳ではないわ。それでも、己の信念として一鬼を見守ることを決めていた。信じる信じないではなく、信念があるか否かの違いよ」


「信念なんて……ない。私は一鬼さえ……光さえあれば、それで良いの」


「そう……私はその在り方を否定はしないわ。超越者も根本は似たようなものなのだし。違いは、それと共にある信念……ただそれだけよ」


「なら、どうして……私はここで無様な姿をしていて、貴方は平然としているの?」


「信じているからよ」



 さも当然のようにそう言うと、碧は微笑を浮かべたまま空を見上げた。


 その仕草で、白雪は気付いた……空の超越者が齎す光と雨は既に十分過ぎる程に姉を癒していることに。

共に過ごした時間は短かったが、それでも彼女は何か大切なものを愛する男から受け取った。

だからこそ、本当は今すぐにでも会いたいという思いがある筈なのに、待ち続ける。

姉は一鬼が来てくれると信じ続けて、待ち続けているのだ。彼女は信じられなかったというのに。


 神谷美空として一鬼と共に過ごした十七年間ですらも、一鬼への信頼は生まれなかった。

白雪にも、美空にも、一鬼が本当に愛してくれているのだと信じ切ることはできない。待ち続けることもできない。

だというのに、たった二週間程度共に過ごした碧は、最後には超越し、彼を信じ切ることができるようになった。

同じ穴の狢である三者に大きな差が生じたのは、まさしくそこである。


 信じることさえできれば、何かが変わったかもしれないというのに、彼女にはそれができなかった。


 だから、こうして無様な姿を晒しているのだ。超越できなかったのだ。美空を巻き込まねばならなかったのだ。




「結局……身から出た錆、か。ねぇ、姉さん……いや、碧さん……私は……どうすれば良いのかな?」


「……美空。貴方にできることは、ただ一つ―――兄を信じて待ち続けることだけよ」


「……そう……なんだ」



 煌々と燃え盛る業火に心を焼かれながらも、白雪は静かに呟いた。


 美空の部分も白雪の部分も今は恐怖を克服すべき時間だ。超越者に再び挑む為に必要なのは、覚悟なのだから。

その為にも、今は英気を養わねばならない。覚悟する為に心を整理せねばならない。

恐怖に負けている今の状態では立ち向かえない。絶望的な力の差を覆そうともがけない。

だから、彼女は待つことにした。耐えることにした。



碧の言葉通り、今は待つしかない……彼女の覚悟が定まるまで。



 そして、その覚悟を――――再び光の塔に向けるのだ。













 憎らしい程に美しい青空の下、佐村敬吾は墓地を歩いていた。


 神谷明の死から葬式の手配、その他諸々が終了するのは酷く早く、気付けば敬吾は親友の葬式を終えていた。

親友の通夜と葬式は速やかに行われた為、その骨が墓に収まるのは翌日の昼頃には終わっていた。

悲しい程に呆気ない親友の死を嘆きながらも、彼は目的地に到着したことに気付く。

神谷という名が彫られた墓石……そこに親友は眠っている。




「まさか……こんなに早くまたここに来ちまうとはな」



 神谷明という、彼にとっての目標であった男と、その家族が眠っている墓石の前で、彼は今までの過去を思い出してみた。

二十年以上前、まだ十代であった頃に彼は明達と出会い、そこから彼の信念は固まり始めたと言える。

誰かを守るという守護者の精神を明と夜空から学び、様々な者達と出会い、彼は警察官の道を選んだ。


神谷、柿坂、佐藤、佐村、高橋……二十年前の遺跡の発掘に関わった者達は皆彼にとっても親友であった。

その全てが一鬼という化け物と出会い、遺跡から連れ出してしまったせいで死んだ。

神谷明が全ての悲しみの連鎖を生み出し、そしてその末に全てを失って昨日死亡した。

死因は心臓部を圧倒的な力で貫かれたことであり、それを為せる者は人間には居ない。


 逆に言えば、人間でなければ彼には心当たりがあった。


 碧という一鬼と同類であり、一年前にその死因となった化け物が美空と共に消えたことが、その可能性を大いに示している。




「明……お前がまさかこんなに早死にするとはな。佐藤に高橋、亮達、そしてお前……次は俺の番か?」



 墓石に問いかけても、返事はない……当然だ。死者と生者の道は交わらないのだから。


 この一年間書き続けていた小説は書き終わったものの、それを世に出すことができなかったのは、明もさぞ心残りであろう

美空も化け物も何処かに行き、娘が無事であるかも分からない状態で明は死んだ筈だ。

買ったばかり食材が置いてあったこと、更にはそれらについてのレシートが少し前のものであったことから、状況は容易に予想できる。

買い物から戻った美空は台所に食材を置いて、その後書斎に向かった。そして……そこで碧が明を殺す馬場面を見たのだろう。


 だから、碧は美空をどうにかした。殺したのかもしれないが、それならば書斎に美空の死体がないのはおかしい。

つまり、まだ生きている可能性が高いという訳だ。一鬼との誓いで美空を守ると誓った化け物が、美空を殺すとは考えにくいのだから。

他の者による犯行である可能性についてはないだろう……もう化け物は一体しか居ない筈だ。

敬吾も知る、碧という名前の化け物以外は皆滅んだ筈なのだ


 だから、犯人はその化け物以外には居ない。




「……せめて、一鬼と同じ墓に入れてやれたら良かったんだが……難しいものだな。済まんが、夜空と二人で仲良くやっていてくれ」



 そうだ……敬吾の前にある墓石には、一鬼の骨は収められていない。


 一年前死んだという男の死体は見つかっていないし、見つけられる筈が無かった。

碧という化け物以外は踏み込むことすらできない狂気の世界に、それはある筈なのだから。

二十年前明達が生み出してしまった正真正銘本物の心霊スポット……否、本物の地獄が、そこにはある。

つい先日に光の塔が現れたそこは、光の塔を特ダネだと思った無謀な記者達を死なせていた。

陸からだろうが空からだろうが、一定以内の距離に近づけば発狂して死ぬ。


 二十年前に一鬼が居たその場所は、今も圧倒的な呪いを人間に齎しているのだ。

そこに踏み込めるのは、その呪いに立ち向かえる化け物だけであり、それも今逃走中である。

彼らには例えそこに一鬼の亡骸があっても回収ことはできないし、そもそもそれが実在するかも分からない。

実際、一鬼はその全てを碧に食われ死んだのだ……もはや骨も肉の一片も残っていないだろう。

多くの死が相次いだその呪われた場所は、まさしく魔境である。


 結局今そこで何が起きているのかは、敬吾には分からない訳だが……何か凄まじいことが起きているのは明白だ。


 そうでなければ、一夜で成層圏を貫く光の塔は出現しない。そのような超常現象は起きない。




「お前が書いていた小説だが……取りあえず担当に渡しておいた。俺も途中まで読んでみたが、面白い話だな。あの一鬼がこんなことをしていたとは、俺も知らなかった……いや、知ろうともしなかった」



 推敲を終え、完全な状態となった小説のデータを受け取った敬吾は試し読みしてみたが、一鬼と柿坂愛梨の話は中々に興味深い。


 実際にそこに記されたものは二人だけについての記録ではなく、回りの人間についても描かれていた。

二人の主人公に一鬼と柿坂愛梨を据え、その周りの人物達との様々な出会いと別れ、そして成長が事細かに描かれており、その詳細さには鳥肌が立つ程だ。

残されたデータから、本人達の了承と協力の元に書かれた小説であることは判明している。

もしもそうでなければここまで事細かにその道を描写することは、完全にプライベートの侵害だ。


 それ程に、二人の生き様が詳しく描かれているのだ。

序盤では、基本的には愛梨側の視点が主に描かれており、一鬼との出会いまでの苦悩が巧く表現されている。

そして、そこから少しずつ一鬼の視点が混ざり始め、愛梨以上に異常なその強靭さが明らかになっていく。

佐藤羽月、神谷美空などの登場人物も名前を変えた状態で登場し、二人に様々な影響を及ぼすのだ。


 実際は、既に人間として生きていくには強過ぎると言える一鬼が周りに影響を及ぼしていく話なのだが、それも巧い具合に描写されている。

飽くまでもこの話は柿坂愛梨と一鬼の物語であって、強過ぎる化け物の話ではない。

人間にも化け物にもなれない少女が本当の化け物と出会うことで始まる大きな成長の物語なのだ。

だからこそ、小説内で一鬼は何度も苦悩し、地面を這いながらも、結論を出す。本気で向き合う。


 この小説に込められたメッセージは『覚悟』ただ一つだ。




「近い内に出版するらしいが……売れると良いな。俺はまだ半分も読んでいないが、この小説が好きだ。俺が見つけた一鬼という猟犬も、この話の中では活き活きとしている。きっと俺が望んだように、この話でもいつか猟犬は狩人になるんだろう? 何せ、これは……俺達の望みが詰まった、理想郷そのものなんだからな」



 この小説の執筆にあたって、明は敬吾に一鬼と共にどのような事件を解決したのかを記述したいと言ってきた。


 最初はそれに頷けなかったが、余りにも必死だった為に、その熱意に根負けした彼が頷いたことで、この小説に猟犬の一面は細く記されたのだ。

一鬼は愛梨や美空の前では包容力のある年長者であり、羽月の前では互いを高め合う友であり、事件を前にすれば猟犬になる。

それを明によって書き加えられた小説はとてつもない重さを増し、ただの二人の話ではなくなった。

そこには確かに怨念が渦巻いている。登場人物達の関わりの中で怨念が生まれ、消えていく様は圧巻だ。


 ある意味非情な程に重い一面も含むこの小説だが、その重さが一鬼という登場人物の深みを増している。

その強靭過ぎる精神力と、人間を逸脱している能力が生み出す不気味さが、事件解決の中に現れているのだ。

そんな化け物が憧れると思う愛梨の深見もまた増し、結果として小説の登場人物は非常に濃い面子で溢れかえってしまった。


 それがフィクションなどではなく、実在した者達なのだから、現実は小説より奇なりとは、良く言ったものだ。




「取りあえず、お前達のことは俺が覚えておく。結局昔の面子で最後まで残ったのは俺だけだが……まぁ、何とかやっていくさ。お前のお蔭で、俺は強くなった。感謝する―――神谷明」



 本心からの尊敬と感謝を込めてそっと敬礼すると、そのまま敬吾は踵を返す。


 この二十年で、余りにも彼の周りの人間達は死に過ぎた。

彼は全てが終わった後に知らされるばかりで、一度も守れなかったのだ。

遠くに伸ばした手は多くの人間を守ってきたが、しかし身近な者達を守れなかった。

彼の娘も死んだ。親友達も死んだ。その次世代も皆死んだ。残るは美空のみで、それも行方不明だ。

今から彼はその所在を探さねばならないが……何故か、見つかる気がしない。


 化け物を捕捉しようにも、その容姿を変化させることができるのならば、探すのは困難だ。

であれば、探すのは美空の方になる訳だが……そう簡単に見つかるとは思えない。

何せ、美空から聞いた話では、碧という化け物や一鬼は空を駆けることができたと言う。

全てがオカルト染みてはいるが、しかしそれを否定できない程に、一鬼達の為してきたこと、そしてその周囲で起きたことは異常だった。


狂気すら感じる何かが、暗闇の中で動いている。




「俺もそろそろ……限界かも分からんな」



 何気なく敬吾が呟いた言葉は誰の耳にも拾われることなく、そのまま虚空に消えた。














 光の塔の近くにある山の山頂で、金虎は夕焼けが生み出した茜色の地平線を眺めていた。


 大自然というものは美しくもあり、同時に酷く残酷なものでもある。

人間はそれを利用することを思いついたが、しかし様々な形で現れる自然災害を利用することは難しいものだ。

落雷、竜巻、地震、津波、火山噴火、地滑り……様々な天変地異がこの世界にはあり、それらを利用することは人間にはできていない。

人間の思い通りにいかないのが自然というものであり、時にそれは牙を剥く。


 いや、正確に言えば自然は人間に牙など剥いてはいない。

ただ、特定の条件が揃った際に特定の現象を引き起こしているだけで、人間のことなど歯牙にもかけていなのだ。

それを人間は勝手に牙を剥くだのと表現しているが、残念ながらその人間が道を歩く際に小さな虫を踏み潰して歩いているように、自然は人間のことなど気にしていない。

まさしく大自然……いや、この宇宙の力の一部を得ている超越者には、それが分かるのだ。


 彼の背後に近づいてきている気配の持ち主もまた、それを理解している同志である。




「そんなに夕焼けを見るのが楽しい?」


「……何か用か、カナリー」


「一鬼様について、少し話がしたいわ」


「聞こう」



 隣に並んだカナリーを見ることなく、金虎は了承した。


 白雪達の襲撃から三日が経過したが、二度目の襲撃はまだ起きていない。

既に一鬼の肉体の修復は半ばまで終了しており、それに伴って仮初の体も塔の外に出られるようになった。

しかし、それも塔の半径数キロメートル以内である為、大した自由ではないのだが。

金虎達はこの三日間全く白雪の襲撃がないことを不穏に感じながらも、ただ見張りを続けた。


 白雪が再び襲撃してくるであろうことは、既に皆理解している。

だからこそ、この三日間全く反応が無かったとしても、彼らは警戒を解きはしない。

金虎が圧倒的な恐怖を植え付けた為に覚悟する為の時間が掛かっているだけで、それさえ解決すればすぐに白雪はまたやって来る筈だ。

何故ならば、白雪は碧とは違い一鬼を信じることができないのだから。

完全に目覚めてしまった一鬼に拒絶されることが怖くて、不完全な状態で閉じ込めることしかできないのだから。


 その弱さと愚かさを持つ者が超越の資格を持つ者であったという事実は、超越者からすればこの上ない侮辱である。


 光を守るべき超越者が光に危害を加えようとするのは禁忌であり、即刻他の超越者に潰されるような行いなのだ。




「例の流れについては、貴方はどう思っているの?」


「私は賛成だ。最後の鬼は、ああでなくてはならない。鬼を名乗っていた一族は所詮その本質に辿り着けない半端者ばかりで、生まれた本当の鬼は二人だけ。そして、その片割れである紫鬼はもう死んだ。本当の鬼は、もう一鬼様しか残っていない。その鬼が、鬼の在り方を見せつけるのだ……何を戸惑う必要がある?」


「一鬼様の身に危険が生じるとしても?」


「そうだ。危機が無ければ、鬼はその本性を見せない。その強靭さの全貌を露わにしない。良く見ておくことだ―――最後の鬼が、その最後の罪に終わりを齎すことを」



 カナリーの心配は実の処無用なものであるのだが、金虎は敢えて言及しない。


 一鬼の身に危険が及ぶことは確かだが、白雪如きでは危害を加えることはできないのだ。

光が考えた流れは、まさしく上げて落とすという言葉が似合うもので、白雪はさぞ苦しむことになるだろう。

白雪が苦しもうかどうであろうが金虎には関係のないことだが、しかし漸く裏切り者の始末が果たされるというのは大きい。

超越する資格を持ちながらも一鬼を独占しようとし、結果として憎まれてしまうようになった愚かな小娘への断罪が漸くなされるのだ。


 金虎だけでなく、全ての超越者が白雪の死を望んでいる。

資格を有しながらも、弱さに溺れてしまった妖狐を、彼らは許さない。赦せる筈がない。

一年前に一鬼が言った通り、もしも白雪が一鬼と向き合うことを恐れず、信じて話し合うことができたならば、『虹色の肋骨』は必要なかった。

ブルー・シャーマンを復活させ、その力で以て一鬼は一年前のように過去を知り、結果的に全てを受け入れただろう。


 だというのに、一鬼を信じられずに白雪は二年前の事故と『虹色の肋骨』という二つの要素で千人以上の人間を殺したのである。

超越者からすれば、人間などいくら死のうが関係ない話ではあるのだが、しかしその中に一鬼の大切な者達が含まれたのが問題であった。

結果として一鬼を怒らせた白雪は拒絶され、その果てに紫鬼に瞬殺されたのだ。


 その愚かさ故に、金虎達は今ここに居る。


 一鬼を二度死なせた他ならぬ二人の姉妹のせいで。




「罪、ね……同じ罪でも、結局経験の差が結果を変えたのね。姉は受け入れられ、妹は拒絶された……元来は逆であった筈なのに、皮肉なものだわ」


「今更とやかく言っても詮無いことだ。結局の処、資格があろうがなかろうが、最終的に残った者が勝者だ。姉が勝ち、妹は負けた……それだけのこと」


「そうね。それはそうと……一鬼様の再生には後三日必要なのよね?」


「ああ。このままの速度ならば、な。お前も感じている筈だ……もう五割以上修復は済んでいる。後三日経てば、空の超越者が再臨するのだ」



 金虎もカナリーも、白雪の死を確信している為、今更語ることもそうない。


 彼らの関心は後三日で一鬼の肉体が完全に再生することにあり、それ以外は細事である。

もうすぐ彼らにとっての光である空の超越者が蘇り、その力で以て世界中に残された怨念をあの世に持っていく。

妖が生み出した還元されぬ怨念が、漸くこの地球から消えるのだ。あの世とこの世を循環するようになるのだ。

それが為された後、超越者達は皆無用の長物とかする訳だが、そこから先は既に皆考えてある。


 使命を終えた後に待っているのは、自由だ。

その自由をどのように使うのかは個々の自由であり、金虎は変わらず一鬼の好敵手であり続けるつもりであった。

カナリーと藍龍は一鬼の隣に寄り添い続け、ブルー・シャーマンは一鬼の生き様を見据え、紅鴉は一鬼の成長を見守り続ける。

そして、一鬼は……全てを終えた後、この地球を旅して回ると告げていた。

様々なものを見て、感じて、その果てに己がどう生きるかを決めるつもりなのだろう。


 空の超越者は大き過ぎる器故に感じる虚無感と戦っている。


 その最後の戦いとなるのが、恐らくその旅になのだと金虎は感じていた。




「後三日……待ち遠しいわ」


「恐らく全ての決着はその日につく。その後は、一鬼様と好きなだけ触れ合うが良い」


「ふ、触れ合うって……」


「今更何を恥ずかしがっている。お前は既に一鬼様の隣に立つことを許され、藍龍と張り合う宣言をしたのだろう? 存分に尽くせ。存分に甘えろ。それくらいできなければ、藍龍とは張り合えんぞ」


「わ、分かっているわよ! その話は止めなさい!」



 顔を真っ赤にするカナリーに内心苦笑しながらも、金虎は笑顔を作れぬ己に自嘲した。


 もはや彼の肉体は虎の形をした鎧であると言っても過言ではなく、その顔に表情は現れない。

完全に固定された状態にある口は開くことはなく、彼は呼吸も食事もしたことがなかった。

いったいどうやって話しているのか彼自身が不思議に思う程に、その肉体は異常なのだ。

まだ人の形を保っている藍龍達とは違い、金虎とブルー・シャーマンは完全にそれを脱している。


 違いがあるとすれば、それは重量の差であろう。

ブルー・シャーマンは肉すらも捨て去ったが、金虎はその分厚い鎧の内側に肉を持つ。

炎が肉の代わりを担っているブルー・シャーマンとは違い、彼の間接には肉があり、そこを圧倒的な力が流れている。

一鬼がそうであったように、彼の肉を引き裂けばそこから大量の蒸気が溢れだす。

不完全であった頃の一鬼のそれとは違い、金虎の傷口から漏れだすエネルギーは直撃すれば、それだけで妖を殺せる程のものだ。


 そもそもが、妖如きが超越者に傷をつけることなど不可能なのだが。




「ふむ……そうだな。それで、他に何かあるのか?」


「ええ、一鬼様は殺戮者を受け入れるつもりのようだけれど……それについて、貴方はどう思っているの?」


「今のあれならば、問題あるまい。あれは変わった……今ならば、同じ過ちを繰り返しはしないだろう。お前もそう感じているのではないか?」


「……そうよ。だけど、受け入れてしまった場合は……きっと一鬼様はあの子にばかり構うことになるんじゃないかと思うとね……」


「下らん。嫉妬か」



 金虎はカナリーの言葉に呆れ、思わず溜息をついた。


 結局の処、カナリーは己よりも碧の方が寵愛されるであろうことを予感しているのだ。

一鬼は飽くまでも与える側に回りたがる嫌いがあり、一方的に与えられることを嫌う。

共依存ならば一鬼も受け入れることができるが、片依存することを極端に嫌うのだ。

その癖、相手に片依存されるのは問題ないのだから、性質が悪い。その悪癖が碧達を甘やかしてしまった訳である。


 碧の場合は最終的にそれが好転し、その恩に報いることを覚悟したが、白雪達に関してはそうはいかなかった。

白雪を受け入れなければ、そのまま死亡して『虹色の肋骨』などが蘇ることはなかったし、二度目の死も訪れなかっただろう。

その場合は、神谷美空達と出会うこともなかったが、その方がある意味双方にとって良かったと言える。


 柿坂愛梨と神谷美空は遺跡で親が背負ってしまった怨念がそのまま影響して生まれた異形だ。

前者は半妖という明確な形でその異常さを明らかにしたが、後者は精神部にのみそれが影響した為に、その異常が露呈しなかった。

サトリの怨念から生まれたのが前者であり、妖狐の……白雪の怨念から生まれたのが後者だ。

神谷見空の一鬼への執着心はまさしく白雪に似たそれであり、二人はある意味同一人物であった。


 だからこそ、今その二人が融合しているのだ。融合できてしまったのだ。


 その全ても、一鬼の悪癖が生み出した結果であり、その始末をつけるべきは他ならぬ本人である。




「下らないって……私は真剣に悩んでいたのよ?」


「ふん、やはり過去形か。既に答えは出ているのだろう?」


「ええ、私は一番でなくても構わないわ。ただ、恩に報いる。愛し続ける。私は愛されたいとは思うけれど、何よりも愛したいの。この怨念に形を変えてしまう程の愛を、認めて欲しいの」


「ならば、既に願いは叶った訳だ。先程も言ったが、これから存分に尽くせ。その強い想いに、間違いなく一鬼様は応える。必死にそれに応えようとする。そういうお方だ」


「言われずとも分かっているわ。だから、存分に甘えて貰うし、私も甘えるのよ。ただこちらから尽くすだけでは駄目だし、私もそうあるつもりはないわ」



 カナリーの言葉に満足げに頷くと、金虎は内心笑った。


 一鬼にとって最も効くのは、ただ与えるだけの関係でも与えられるだけの関係ではなく、共依存だ。

その点では、一年前の柿坂愛梨は非常に効果的な立ち位置に居たと言える。

それまではほぼ完全な片依存であったにも関わらず、ブルー・シャーマンとの出会いによって遂に力の制御に成功した少女は、共依存の段階へと進んだ。

更には、それまでの恩に報いようとする姿勢と純粋且つ強烈な好意をぶつけることで、一鬼をその気にさせたのだから、半妖ながら見事なものである。


 金虎にそういう分岐があっても良いと思わせる程に、その在り方は見事だった。

柿坂愛梨はいずれついていけなくなることを自覚していたが、しかしそれでも良いのだ。

一鬼は昇ろうとする者に手を差し伸べ、より高みへと誘う。その精神性故に、緑の席を与えてしまう可能性すらあっただろう。

一年前、最終的に選ばれたのは碧であったが、精神性で言えば最もそこに近かったのは柿坂愛梨だ。

もしかすれば、そういう分岐もあったかもしれない……そして、金虎はその分岐を容認できた。


 カナリー達が歩もうとしている道を、既に柿坂愛梨は歩んでいたのだ。

超越者でないが故にその進歩は欠伸が出る程に遅かったが、しかし確かに同じ道であった。

一鬼というゴールは常に上昇を続け、追いつける筈がないと思ってしまう程に遠い……それでも、追い続けるのだ。求め続けるのだ。

そういう精神をカナリー達は持っており、ただの半妖であった少女もまたそこに到達しようとしていた。

だからこそ、金虎はそのままカナリー達が進むことを容認する。


 それが一鬼に柿坂愛梨という少女を想起させるとしても、彼はそれで良いと思っていた。




「一鬼様は甘え下手だ。だから、お前達が思う存分に甘やかせ。仮にも年上なのだからな」


「そもそも私達は皆年上でしょう。紅鴉ですらも二十二よ? ブルー・シャーマンに至っては、二百を超えているでしょう? 取りあえず、安心しなさい。私が年上の包容力を見せつけるわ」


「そうか。ならば、安心して一鬼様を任せられるな。是非とも、悪癖を砕いて欲しいものだ」


「言われずとも、どうにかしてみせるわ。私と藍龍はその点に関しては同志なのよ」


「ふむ……中々に強烈な面子だな」



 金虎は沈んでいく太陽に片手を伸ばしながら、そう告げた。


 それに苦笑しながら頷くカナリーに柿坂愛梨の影が重なる。一鬼が愛した少女の姿が、想起される。

カナリーと藍龍が己が道を行けば行く程に、一鬼は苦しむだろう。柿坂愛梨がいかに己にとって重い存在であったかを実感するだろう。

金虎はその道が生み出す影響を既に予測しており、ブルー・シャーマンもそうなることを予見していた。


 かつて柿坂愛梨にとっての一鬼が死者のような不変の光であったように、今度は一鬼にとっての少女が死者として、不変の光となる。闇となる。苦痛となる。懐かしい思い出となる。

一鬼が柿坂愛梨を過去にし、尚且つその存在を風化させないことは金虎も承知していた。

だからこそ、これから更に空の超越者は苦しむだろう。より一層その愛が本物であったと悟るだろう。

それで良い。それでこそ、光は己が虚無ではないのだと悟れる。その胸の内に生きている亡霊達の存在に気付ける。


 佐藤羽月も、高橋一矢も、柿坂愛梨も皆その心臓に怨念として宿っていると、気付けるのだ。


 既にそれに気付いているからこそ、光は今までにない強靭さを発揮しつつある。




「私達はただの守護者ではなく、『必要とされる守護者』よ。その程度もできないようでは、必要とされる意味がないわ」


「意味を見出すことは良いことだ。そのまま進むが良い。私も私の道を進む。私達は皆違う道を歩んでいくが、その根底にあるものは同じだ。忘れるな……我々は確かに同じ世界と繋がっている」


「忘れる筈がないわ。超越者にとって、世界とは光そのものなのだから。一鬼様越しに、私達はこの世界と繋がっている。だけど、一鬼様にはそれを感じることはできない。だから、私達がその虚無を埋めるの。大き過ぎる器に収まる内包物となるの」


「そうだ。それで良い」



 金虎達は一鬼越しにこの世界と繋がっており、故に世界の理を捻じ曲げる権利を与えられた。


 そして、その繋がり故に彼らはどんなに孤独でも倒れない。その繋がりが崩壊を許さない。

世界と半ば同化している空の超越者はその繋がりを自覚できず、結果として虚無を抱くことになるが、その下に居る超越者達は皆孤独ではあっても、虚無ではない訳だ。

空の超越者に依存している彼らは、その虚無を埋めることを己が望みとしている。

覚醒の時まで光を守るという定められた役割ではなく、彼らは自発的にそれを望む。


 自分達に生きる理由を与えてくれた者が虚無に苦しむのならば、報いるのが超越者だ。

それができなければ、その時点で超越者としての資格は失われたと言っても良いだろう。

恩に報いることができないような者は超越者ではない。鬼火を持つ資格はない。

だからこそ、金虎達は一鬼がかつて彼らにくれた愛に応えようとするのだ。

その形は皆それぞれ異なるが、空の超越者が成長できるように皆様々な要素で以て恩に報いようとしている。


 そういう意味では、碧もまた超越者たる資格を有していると言えるだろう。


 資格を持たない為に世界との繋がりは得られていないが、しかしそれ以上の繋がりを殺戮者は得た。




「そちらも、例の件に関しては任せるわよ?」


「ああ、任せろ。絶望というものを、改めて教えてやる」



 一鬼にとって、碧はもはやなくてはならない者となっている。背負うべき罪となっている。


 碧は光を守る守護者ではなく、光を持つ一鬼が己が意思で以て背負うと決めた存在だ。

空の超越者は資格者に超越という救いを与え、その果てに超越者は恩に報いる。

だというのに、資格を持たない筈の碧を一鬼は救おうとし、最終的に超越させた。

不完全で、歪な超越のさせ方ではあったが、それが

世界と繋がることはできなかったが、その代わりに妖狐はそれ以上に大きな繋がりを得た。


 最後の最後で己の愛を手に入れ、一鬼の愛を手に入れたのだから。





「我々は我々がすべきことをする―――それだけのことだ」





 そう、碧はこの世界ではなく―――愛する男と確かに繋がっているのだ。














 ぐつぐつと煮え滾る熱湯の中で体を休めながら、碧は溜息を一つついた。


憎らしい程に綺麗な星空が広がる下で、彼女はかつて妖狐が使っていた温泉に浸かっている。

もう二百年以上使われていないであろうその秘境で彼女は精神的な疲労を癒し、頭の中を整理していく。

これから何をするべきなのか、己が何をしたいのか、回りはどう動くか……そういった諸々のことを考慮しながらも、彼女は温いお湯の中に肢体を沈める。


もはや二百年前の比ではない圧倒的な熱を内包する碧からすれば、以前にも増してこの温泉は温い。

百度近い温度は通常の生物ならば火傷は必至なのだが、中級妖程にもなればもうその程度の温度では傷つかなくなる。

下級妖の時点で数百度の熱にも耐え、中級では千度の高熱に、上級妖にもなれば数千度を超える熱にすら耐えうるのだ。

更にその上を行く超越にもなれば、数万度など温いものであろう。


 いや、もはや耐熱性に関しては上限がない可能性すらある。


 それ程に超越者は規格外であり、妖とは一線を画した存在なのだ。




「白雪、入らないの? 気休めくらいにはなるわよ?」


「……そういう物言いをされては、入る気が削がれるわ」



 恐る恐る湯に浸かる白雪に苦笑しながら、碧は目を細めた。


 結局二日経った今も妹が二度目の暴走をすることはなく、今の処大人しくしている。

既に一鬼の気配は二日前の何十倍にも膨れ上がっており、後数日待てば、完全に蘇るだろう。

それまで大人しくしてくれるのが理想的なのだが、恐らくそうはならない。

彼女にはそういう予感があり、それを止められない自覚もあった。


 一糸纏わぬ状態で湯に浸かる白雪は未だに警戒心を完全に解いてはいないが、それでも今の碧ならば反応される前に殺せる。

今ならば、その心臓を握り潰して一鬼との約束を果たすことになるだろう。紫鬼との誓いを改めて果たせるだろう。

だが、そうすれば一鬼が何よりも守るべきだと言った美空の守護ができなくなるのだ。

完全に融合してしまった美空と白雪を切り離さなければ、彼女は誓いを果たせない。


 その為には、ブルー・シャーマンの協力が必要だ。

どの道瞬間移動を使える白雪を止めることはできないのだから、光の塔に再び赴くまでの時間を可能な限り稼ぐのが最良である。

碧はそのことを理解していたし、これから始まるであろう妹の絶望を可能な限り先送りしたかった。

誰よりも超越者を恐れる妹に与えられる罰は、例え行動せずともやってくる。


 だから彼女の妹は……白雪は再び光の塔に向かう。


 それしか道は残されていないが故に、ちっぽけな希望を胸に恐怖に立ち向かうのだ。




「……温い。こんなものに浸かっても、何一つ変化はないのに」


「確かに私達の肉体に変化はないかもしれない。だけど、精神が変化すれば多少は肉体にも反映されるものよ」


「私達の肉体はどんな物質にも反応しない。嗅覚も何もかもが、私達に宿る怨念によって得られたものよ。実際に私達の肉体に受容体がある訳ではないわ」


「そんなこと、知っているわよ。言ったでしょう……精神の変化だと。心を強く持たないと、怨念に押し潰されるわよ」


「その心配は要らないわ。私は二人分の精神で負担を分担しているから……壊れない」



 白雪の言葉に若干驚きながらも、しかし碧は納得した。


 白雪の能力飽くまで瞬間移動であり、三日前に見せた氷結能力ではないのだ。

恐らくは前者が白雪の能力で、後者は美空の願いを元に発現した能力なのだろう。

美空は一鬼という光から熱を得たかった。雨を得たかった。だから、双方を奪う氷を生み出したのだ。

氷結能力は文字通り熱と水を奪うその願いがあったからこそ生まれたものであろう。


 二人の精神が溶け合った筈の今も、妙な違和感が白雪にはある。

碧はその正体が、実際は二つの精神が妹の中に存在しているからだと、今になって漸く理解した。

しかし、真の問題はどのような精神構造になっているかであって、二つの人格があることではない。

果たしてその片方が美空でもう片方が白雪なのか、それとも片方が白雪と美空の混ざり物で、もう一つが何かの精神なのかが分からないのだ。


 真なる超越者ならばこの程度のことは一瞬で見抜けるのだろうが、残念ながら碧は仮初の超越者でしかない。

その力も精神力も超越者には遠く及ばず、しかし妖よりも遥かに強いという微妙な立ち位置に彼女は居る。

金虎の言葉を理解しきれなかったように、彼女は超越者が持つ共通の部分がないのだ。

だからこそ、他の超越者の言葉の裏側を感知できない。世界と繋がっていないが故に、分からない。




「どちらも脆弱な癖に、良く言うわ。そういう台詞は、もっと強くなってから言いなさい」


「……私は貴方とは違う。あんな化け物達に挑もうなんてできない……希望が無ければ、戦えない」


「私とてその点は同じよ。貴方はそうやって逃げているだけ……そこが違うの」


「分かっているわ……だけど……私には……できない」



 俯いたまま押し黙る白雪の姿は酷く弱弱しいものだ。


 しかし、その内側で未だに燃え盛る欲望の炎があることを、碧は知っている。

彼女もかつて同じ衝動を持っていた。今は緑の鬼火によって上書きされたものの、確かに彼女にはあったのだ。

一鬼が文字通りその命を賭けて証明した愛によって彼女はそれを鬼尾に変えることができた。

結局一鬼に依存していることに変わりはないが、彼女はそれで良い。


 一鬼さえ居てくれたなら、彼女はそれで良いのだから。




「今は英気を養いなさい……どうせ貴方にできることなどそうないのだから」


「っ……確かに……そうだけど……」


「ただ待っていれば良いのよ……その方が、痛みはないわ」



 どの道一鬼が白雪を殺すという決定は覆らない。


 寧ろ白雪が生きようと必死になればなる程にその決意は固くなるだろう。

碧は一鬼の思惑の全てを理解できる訳ではないが、彼にとって白雪は罪の証であると同時に仇だ。

一矢、羽月、愛梨に死を齎した妖狐を彼は絶対に許さないし、その原因が彼自身にあるとなれば尚のことその決意は固くなる。

一鬼とはそういう男なのだ。己が始めてしまった悲しみの連鎖を断つ為には容赦しないのだ。


 受け入れることができる碧は受け入れ、復讐すべき仇でしかない白雪は拒絶する。

妹はそれを不公平だと言うが、碧はそうは思わない……ただの自業自得だ。一鬼が鬼として切り捨てる機会を与えてしまった妹の落ち度だ。

一鬼なしでも十九年持ったのだ……ブルー・シャーマンの抜け殻に怨念を押し付けて宇宙に飛ばしたことも相まって、当時の妹の精神状態が異常であったとは言えない。

その状態ですら妹は一鬼を信じ切るどころか、信じることすらできずに、向き合うことを恐れた。


 もしも真正面から向き合っていたならば受け入れていたと一鬼本人が語っていたように、彼ならば白雪と向き合った筈だ。

だというのに妹は拒絶されることを恐れて、完全な一鬼に受け入れられることではなく、不完全な一鬼を束縛する道を選んだ。

その過程で多くの者達を犠牲にし、結果として一鬼の大切な者達をほぼ全滅させたのだから、当然の報いであろう。


 結局の処どう転んでも妹は死ぬ。


 だから、碧はせめてそれまでの時間を穏やかに過ごして欲しかった。




「でも……私は……死にたくない……一鬼に……兄さんに……甘えたい」


「……そう。なら、貴方が選ぶべき道は決まっているわ。白雪……美空を開放しなさい。美空、貴方は白雪という仮面を被るのを止めなさい」


「……できる訳ないじゃない。この仮面を剥がしたら、私は……」


「やはり、貴方は美空だったのね。父親を殺したことを悔やむのならば、何故殺したの?逃げ場を捨てて、覚悟を決める為? 激情でしか動けないようなら、昔の私達と変わらないわよ?」


「私は……もう戻れないから。逃げ場を捨てないと、覚悟できないから。憎かったから……だから、殺したの」



 弱弱しい声音で語る白雪に、碧は静かに耳を傾ける。


 結局の処今彼女の前に居るのは妹でも美空でもなく、その双方が混ざり合って生まれた混沌なのだ。

美空が白雪に引っ張られて生まれたその人格は酷く不安定で、もはや引き剥がせるかも怪しい。

もしも引き剥がせなかったとしても、このような姿になった美空を一鬼は殺すのだろう。

彼女の知る一鬼はそういう男だ。そういうことができてしまう鬼だ。


 一鬼は美空を受け入れはしたが、白雪を受け入れることはできない。

大切な存在であった者達に死を齎した者を受け入れる道など、彼が選ぶ筈が無かった。

結局白雪は一鬼にとっての己の罪の象徴である以上に、大切な者達を奪った仇なのだ。

彼は己の甘さが生み出した結果であることを理解しながらも、白雪を拒絶するだろう。

妹が選べた道は一つではなかったのだから。彼は、真正面から妹がぶつかってきたならば、しっかりと受け止めていたのだから。


 それをせずして逃げに走った結果なのだから、その結果を白雪は甘んじて受けるべきだ。


 碧としては心苦しいが、当然の報いであろう。




「そんな形でしか決別できないのは、弱さよ。一鬼なら、はっきりと言葉で告げて決別するわ。できれば、そういう風に刃を交えずに理知的に決別して欲しいわね」


「私は兄さんじゃない! 私は……私は……あんなに……強くない……」


「はぁ……そんなことは分かっているわ。比べるまでもなく、貴方が一鬼よりも弱いことは事実よ。誰もあの子と同じものは求めていないわ」


「いつもそう……皆私と兄さんを比べて、最後は比べなくなる! こんな小娘などに同じものは期待できないって眼をする!! 私がどんなに苦しかったか分かる!? この一年間の間でさえ、私はその差を思い知らされた! 父さんは私に何も期待していない! 何も望んでいない! 誰にも必要とされない! 誰も私を受け入れてくれない! 私にはもう……もう―――兄さんしか居ないの」



 ヒステリックな叫びの最後にか細い声で一鬼を求めた白雪に、碧は眉を顰めた。


 美空としての部分が悲痛な叫びを表現しているのは分かるのだが、どうにもそれが歪なのだ。

一鬼は美空を真の意味では必要としていないことを理解している筈だというのに、白雪は彼しか居ないと言っている。

結局二人が欲しいものは一鬼が持っている子守唄でしかないのだろう……だから、歪さが消えない。

それこそが妖狐の醜さであり、今の彼女が既に克服した要素でもあった。


 結局美空と白雪は虚無を埋める為に一鬼の持つ光を欲しているに過ぎない。

雨と光で命を育みたいだけであって、その精神には興味がないのだ。一鬼という人格は飾りなのだ。

光さえ与えてくれたならば誰でも良いというのが本音であろう。

ただ偶々それに該当したのが一鬼であっただけで、別にそれ以外の者でも良かったのだ。

碧のように唄を扱う一鬼の精神に惹かれたのではなく、歌そのものさえあれば良いという本心が見え隠れしている。


 そのような精神だから一鬼に受け入れられないのだということに、白雪は気付いてはいない。


 向き合う覚悟さえあれば、彼は受け入れてくれるというのに、美空と妹にはそれができなかった……それだけのことだ。




「美空……貴方は一鬼を信じられないの? 白雪はともかく、貴方は一鬼に受け入れられた筈よ。何故……その可能性を摘み取るようなことをしたの? 神谷明という媒介が居なければ、貴方の価値は下落するわ。神谷明と夜空の娘であるからこそ、貴方は受け入れられたのよ?」


「……だからだよ。私は父さん達の付属品なんかじゃない……私が神谷明と夜空の娘なの。神谷明と夜空の娘が私なんじゃない……私の付加価値が二人の娘であることであって、二人の娘の付加価値が私だなんて、認めない!」


「そんな理由で殺したの?」


「そうよ。私は……白雪という妖狐は神谷明を許さない。私から一鬼を奪ったあの男も、その仲間達も。だから全員殺したのよ……本人達も、その次世代も」



 美空と白雪の人格が入り混じって口調が安定していないことに、碧は息を呑んだ。


 美空は白雪という仮面を被っていると思い込んでいるが、その実白雪に浸食されている。

仮面をしようとして境界が曖昧になっているのではなく、そもそも境界が存在しないのだ。

だが、完全に混ざり合っていない為に美空の部分と白雪の部分が生まれてしまい、それが口調の変化を生んでいた。

今の処両者は水と油のように互いの部分が残ってしまっているようだが、やがてそれも終わるだろう。

いや、既に手遅れなのかもしれない。


水に垂らしたインクが拡散し、やがて全体の濃度が均一になるように、似過ぎている二つの精神は完全に一つになっていくのだ。

今はまだ完全に一体化してはいないが、すぐにそれも終わるだろう。

このまま行けば白雪も美空も消滅し、新しい三つ目の人格が生まれることになる。

否、今碧の目の前に居る人格こそがその三人目なのかもしれない。


 一年前、インディゴの怨念によって緋蓮が変化することで新たな人格が生まれた。


 それと全く同じことが、今美空と白雪の間で起きているのだ。




「貴方は……本当に白雪そのものね。そうやって向き合うことから逃げて、結果自滅している。確かに向き合うのは苦しいでしょう。辛いでしょう。でもね……向き合えば、一鬼はそれに応えてくれるわ。それすらせずして、貴方は……」


「応えてくれる?……そんな訳無いじゃない。一鬼は酷い男よ。私を殺そうとしているのは分かっているの。だから、私は美空という存在を盾にする。私は白雪という存在を利用して、兄さんを手に入れる。その為に、私は白雪を受け入れたの。その為に、私は美空にバックアップを仕込んだの」



 白雪の言葉は間違いなく事実であり、美空も白雪も互いを利用し合っているということを表していた。


 碧はその事実と白雪による浸食に気付けなかった己の無力さ故に思わず目を伏せ、歯ぎしりする。

彼女はいつも全てが終わってから気付く。いつだって、気付いた時には遅過ぎる時ばかりだ。

こんなことだから、二百年前に彼女は一鬼を死なせたのだ。鬼を母に滅ぼさせてしまったのだ。

その無力さは半端ながら超越した今でも直っていないようで、彼女はそのことを恥じた。


 愛する男が命を賭けて超越させてくれたというのに、その重さに見合うだけの超越者になれなかったことが、彼女は悔しい。

一鬼の愛を信じ切れなかった彼女に、彼はその命を賭けて愛と覚悟の証明をし、果てに彼女を超越させた。

そこまで特別視され、優遇されておきながらこの程度でしかないことは、彼女にとって恥ずべきことなのだ。


彼女は戦闘力などでは真なる超越者達に劣っていても、精神面でだけは対等でありたかった。




「……貴方は本当にどうしようもないわね。白雪という己を捨ててまで、一鬼に愛されたいの?」


「当たり前じゃない! 私は――――」


「自分を守る為の嘘は良くないわね。貴方達は子守唄さえあれば良いだけでしょう? 一鬼という男ではなく、子守唄が……光が欲しいだけなんでしょう? それを持つ者ならば、誰でも良かったのでしょう?」


「ち、違う! 私は一鬼が……兄さんが好き!」



 立ち上がって声を荒げる白雪を見ながら、碧は眼を鋭く細めた。


 妹達の言い分は分からなくはないが、結局その奥底にあるのは光なのだ。

彼女とて同じだが、しかし同じ光であっても彼女が望むのは一鬼という鬼が扱う光である。

もしも彼が介入しない光ならば、彼女は要らない。そのようなものは彼女にとってゴミだ。

一鬼という男であるからこそ、彼女は二百年前惹かれた。全てを投げ打ってでも欲しいと思った。

初めて触れ合ったのは母体越しではあったものの、その瞬間彼女は彼の持つ精神に惚れたのだ。


 酷く歪ではあるが、一鬼という男は一度抱えたものを捨てずに、最後まで背負い続ける。

どんなに無様でもそのまま進み続け、地べたを這いつくばってでも目的の為に進む覚悟がある。

二百年前はそこまでだった。そこまででも十分過ぎる程の強さであったが、碧は更に進化した彼と二年前に出会った。

皮肉にも、白雪が『虹色の肋骨』として彼女を一鬼に仕込んだからこそ、その出会いがあったのだが。


二年前、亡霊として一鬼に宿った碧は、彼が悩み続け、苦しみ続け、その果てに答えを出していく過程を見た。

人間ではないことを悟り、そのことを語ってくれない父親、己のせいで自立できない妹、片目を失った親友、漸く安定してきた後輩、苦しんでいた兄貴分……他にも様々な要素が彼を悩ませたのを彼女は知っている。

それらを振り切るのは簡単であったが、しかし一鬼はそうせずに向き合い続けた。真正面から受け止め、皆の成長を促し続けた。


 その強さこそが、碧が一鬼の力ではなく、それを扱う心に惹かれたのだと再認識させてくれた大きな要素だ。


 一鬼のその心にこそ、碧が求めた光はある。超越者達が望む光もまたそこにあって、必要なのは子守唄ではない。




「なら、何故貴方は一鬼の意思を捻じ曲げてまで、不完全な状態のあの子を束縛しようとするの?」


「それは……そうしないと……私が殺されるから」


「美空を盾にしておいてそう思うと言うことは、そういうことよ。 貴方達は一鬼の心を捻じ曲げてでも欲しいのでしょう? その精神を破壊してでも、光が欲しいのでしょう? 本当は―――自分が愛されていないことを知っているのでしょう?」


「う……あ……わ……た……しは……」



 声を震わせながら否定しようとする白雪だが、その言葉は詰まってしまい出ない。


 碧はその姿に己が見抜いた本性は事実であったと再認識し、思わず表情を歪めた。

彼女の妹の弱さは過去を考えれば仕方ないことではあるが、だからと言って受け入れられるものではない。

既に妹は人妖に何万に及ぶ死者を出し、妖に至っては滅ぼしてしまった。一鬼の大切な者達を殺してしまった。

例えどのような理由があったとしても、妹が超越者達の逆鱗に触れてしまった事実は変わらない。


 碧にもそれは止められないし、止めるつもりはなかった。

一鬼という鬼は両親の願い通りに強い鬼となった。死んだ実の母の願い通り、世界を変え得る力を得た。

その光がもうすぐ完全に再生し、復讐を遂げに来る。光にとっての光を死に追いやった愚かな妖狐を、引き裂きにくる。

白雪に残された道はその復讐に抗うか受け入れるかのみであり、どの道死という結末は変わらない。


 だからこそ、白雪と美空は抗うだろう。必死に僅かな希望に手を伸ばすだろう。


 それは希望ではなく、ただの撒き餌であると知ることもなく。




「残念だけど……貴方は一鬼には必要ないわ」


「でも……私には……必要なの。一鬼が、兄さんが……」


「なら、精々抗いなさい。振り向いてくれない男に手を伸ばすのはさぞ虚しいのでしょうね。生憎そんな経験のない私には理解できないけれど」


「どうして……どうして、いつも……貴方ばかり……」


「抗いなさい……幸い、まだ時間は残されているわ。私はもう止めない。貴方は貴方の道を行けば良いの」



 碧は笑顔でそう言いながら、白雪を見た。


 その表情は完全に悲しみを隠すことができていない笑顔でしかないが、それでも良い。

どの道白雪は再び光の塔に向かうのだから、それまでの間悩ませ続けるべきだと彼女は考えていた。

苦悩し、地べたを這いずりながらも答えを出すことで、白雪と美空は漸く一鬼のことを少しだけ理解できる。

虚無は既に共有できているのだから、後はそれと向き合う戦う覚悟と、最後まで進み続ける努力のみだ。


 それがいかに苦痛であるかさえ分かれば、少しは変わるだろう。

どの道白雪の死は決まったものであるが、しかしそこまでの過程は変えられる。

碧は白雪ただ拒絶されて死ぬのではなく、せめて最後の最後で受け入れられた束の間の夢の中で死んで欲しかった

絶望の果てに死ぬという分岐もあり得るが、しかしそのような道では余りにも救われない。

全ての罪と向き合い、それを受け入れ、最後は自ら償う覚悟を示す……そこまでしたならば、一鬼は絶望の果ての死は与えない筈だ。


 これは碧なりの情けであり、歪で不器用ではあるが、僅かな愛故のものであった。


 今度こそ後悔しないように、己の思いを言葉に乗せる……それが彼女のすべきことであった。




「でも……超越者が……」


「立ち向かえないのなら、そのまま待てば良いわ。それが最善なのは確かなのだから。悩んで、悩んで、その果てに知りなさい……貴方のしたいことを。するべきことを。進む道を」


「どうして……今更そんなことを?」


「そうね……本当に今更ね。だけど、言わないといけないの。だって―――」



 今ならば、母の……翡翠の苦悩が碧にも理解できる。


 確かに彼女の母は、彼女達のことを心配していた。その未来をより良いものにしようとしていた。

最終的には彼女の暴走故に母は鬼を滅ぼしてしまった訳だが、それは娘達への愛あってこそである。

母は碧を恐れはしても妬まなかった。他の一族を滅ぼしはしても、殺しに快楽を見出しはしなかった。

その行動理念は飽くまで一族の為であり、娘の為だったのだ。空っぽな同族達の為だったのだ。


 最も謙虚な妖狐であった翡翠は、碧の知る限り個の欲望の為に力を揮ったことは一度もない。

いつだって母は彼女達のことを考え、一族のことを考えていた。そこには確かに……愛があった。

今更気付いても遅い。遅過ぎる。当時愛を知らない者として母と同族を嘲笑った彼女がいかに滑稽だったか、今になって分かってしまった。

もう当時には戻れない。妖狐が変われたかもしれない分岐点を彼女達は見過ごしてしまっている。


 だからこそ、これから先の分岐点は見逃してはいけない。

後悔のない生き方などできないが、少なくとも分岐点に気付けなかった生き方は止めるのだ。

碧は妹の終焉までの道のりを決め得る選択肢を……分岐点を妹に示す。

今度こそは、後になって分岐点に気付くことがないように。悲しい未来を齎さないように。

二度と同じ過ちを繰り返さないように。悲しみの結末を避ける為に。


 故に、彼女は言葉にするのだ……偽りないその思いを。


 かつて母に言われたものの、彼女自身が拒絶してしまった言葉を。





「―――私達は、世界でたった二人の姉妹だから」





 かつて母を母ではないと拒絶した女が、妹に己は姉だと言う……その歪さと滑稽さを理解しながらも、碧は微笑んだ。




 一鬼が教えてくれた、彼女の中にあったほんの一握りの家族愛は―――漸く形を成した。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。