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「詰所まではすぐだ」
ダンカンは短く言った。
「俺は宿を離れられねぇ」
そう言ってから、レインの肩を軽く叩く。
「行ってこい」
レインは返事もそこそこに扉へ向かった。
「レイン」
後ろからダンカンの声が飛ぶ。
「落ち着け。走って転ぶな」
「……はい」
宿の扉を押し開ける。
冷たい風が頬に当たった。
レインはそのまま石畳を早足で進む。
普段なら見慣れている町並みが、妙に遠く感じた。
セレスは少しだけ考えるように目を細めた。
「仕事は?」
「兵士です」
レインは足を止めずに答える。
「親父は今朝も見回りに出ていた」
「どこまで?」
その問いに、レインはようやく少しだけ振り返った。
「竜鱗森の入口付近です」
「山までは行ってません」
そう付け加える。
町の兵士が許可なく奥へ入ることはない。
まして父は、そんな規則を破る人ではなかった。
「そう」
セレスはそれ以上聞かなかった。
その反応が、逆にレインの胸をざわつかせる。
何か気になることがあったのだろうか。
聞こうとして、やめた。
今は一刻でも早く父の顔を見たかった。
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やがて石畳が途切れ、詰所の建物が見えてくる。
竜鱗木で組まれた二階建ての建物だった。
入口を開けると、見慣れた兵士たちの姿がある。
兵士たちはレインの表情を見るなり、何かを察したようだった。
いつもの軽口もなく、短く道を開ける。
レインは小さく会釈だけ返し、そのままセレスを連れて治療室へ向かった。
扉を開くと、薬草の匂いが鼻をついた。
寝台は三つ。
そのうちの一つに、レインの父、トーマスが横たわっていた。
「親父……」
思わず足が速くなる。
顔色は悪い。
だが息はしている。
胸が上下するのを見て、レインはようやく少しだけ息を吐いた。
その様子を見ていた医者が近づいてくる。
年配の男だった。
「トーマスがこんなふうに倒れるなんてな……」
医者の表情は晴れない。
「だが原因が分からん」
「熱もない。毒の反応も見当たらん」
「身体に傷もない」
医者は困ったように首を振った。
「問題は、このまま目を覚まさねば飯も水も摂れんことじゃ」
「丈夫で、病気もめったにせんかったトーマスだが……」
「このままでは七日も保たん」
レインは寝台へ視線を戻す。
昨日まで普通だった。
今朝だって――。
「実はな」
医者が続ける。
「トーマスだけじゃない」
レインが顔を上げた。
「……え?」
「昨晩、お前と組むはずだったあいつも、同じように倒れている」
その言葉に、レインは息を飲んだ。
「先輩も……?」
「ああ」
医者は頷いた。
「症状もほとんど同じじゃ」
部屋に沈黙が落ちる。
その間、セレスはトーマスの手首に触れたまま何かを考えていた。
「病気には見えないわ」
医者が眉をひそめる。
「では何だと言うんじゃ」
「断言はできない」
セレスは首を振った。
「ただ、魔法による影響に似ている」
部屋の空気が止まった。
魔法という言葉自体はもちろん知っている。
教会の本にも載っていた。
だが、それを実際に扱う者を見たことはなかった。
辺境の町で生きる者にとっては、剣や斧の方がよほど身近だ。
セレスは手首から手を離し、静かに顔を上げる。
「この町に魔法使いはいる?」
レインは首を横に振った。
「いません」
医者も腕を組む。
「魔法の学者なら王都にはおるのかもしれんがな」
「こんな辺境には縁のない話じゃ」
セレスは小さく頷いた。
「そうでしょうね」
「魔法は覚えれば使えるものじゃないもの」
レインが首を傾げる。
「違うんですか?」
「ええ」
セレスは当然のように答えた。
「魔法を学ぶ者は十二の頃から修練を始めるわ」
「そして一人前と呼ばれる頃には三十代の後半ね」
レインは思わず眉を上げた。
「そんなに?」
「剣を振るうより時間がかかるもの」
セレスは静かに言った。
その表情から、何か一つ考えがまとまったようにも見えた。
「私にも少し心得がある」
「明日の朝なら」
レインは一歩前に出た。
「治せるんですか」
「対抗術はあるわ」
セレスは正直に答えた。
「ただ、明日の朝なら準備ができる」
医者が腕を組む。
「今すぐは無理なのか」
「必要なものがあるの」
セレスは短く答えた。
「明日の朝なら可能ね」
そこで一度、トーマスへ視線を落とす。
「ただ、それだけでは終わらないと思う」
レインの表情が固くなる。
「どういうことですか」
セレスは窓の向こう――山のある方角を見た。
「もし私の考えが正しければ」
「原因は別の場所にある」
少し間を置く。
「山よ」
「だから術を試したあと、急いで向かわなければならないわ」
レインは拳を握った。
「原因を止めれば、親父は助かるんですか」
セレスは少しだけ考える。
「分からない」
正直な答えだった。
「でも、何もしないよりは可能性がある」
レインは寝台の父を見る。
昨日まで当たり前にいた背中。
剣の握り方を教えてくれた手。
何かとレインをからかう、おどけた声。
その全てが、今は動かない。
「……俺も行きます」




