恐怖 VS 狂気
ネトコン11応募作品、一日一回、17時更新を目指します。
(ダメだ。人を殺す事に、何の躊躇いもない。この人は、心の底から魔女なんだ…!)
これまでにも、バーツの街で出会ったディミーゴ一味のように、暴力的な人々はこの目で見てきた。だが、ここまで純粋に悪である者達には、出会っていない。例えばディミーゴ達などは言葉は乱暴だし、暴力に訴えるタイプではあったものの、殺人という行為に手を染めているとは思えなかった。なんだかんだアビーが彼らに付き合ってやっている所からしても、彼らは精々、街の不良と言った所だろう。
だが、目の前のこの女…ヘルは違う。彼女は明らかに人の命など何とも思っていない。もはやそれは、常人の精神ではない。
天児達の活躍によって未遂に終わったが、ヘルは部下に飛龍船を襲わせて三百人以上の人間を殺そうと企んでいた人物だ。彼女が悪性の人間である事など解っていたはずだが、真正面から対峙してその心を推し量るまで、どこかで話せばわかるのではないかと考えていた所が、天児の弱点であり甘さである。
そして改めて、魔女であるヘルをこのままにしておくわけには行かなくなった。彼女の口振りからすると、女神の魂はやはり瘴気となって、彼女の手に堕ちたのだろう。天児は話し合いで済めばと、一縷の望みをかけていた己を恥じながらも、今こうしてヘルと対峙している事は千載一遇のチャンスであると考える。今ここで魔女と女神の魂を浄化出来れば、全てのケリが着くのだ。
(どうしてだ?さっきからメートル・ゼロが使えない…!)
ヘルに言われるまでもなく、天児はメートル・ゼロを試していた。しかし、どういう訳か、この牢獄に来てからというもの、メートル・ゼロを発動することが出来ない。もしかすると、浄化のスキルさえも…天児は内心で焦りつつ、それを悟られてはならないと本能的に感じ取っている。もし、浄化さえ使えない状況だとすると、魔女の瘴気に対抗する手段がない事になる。もしも、ヘルが瘴気で天児を侵そうとしたら、手も足も出ないだろう。それどころか、現状で唯一、浄化を行える天児までもがヘルの手に堕ちれば一巻の終わりである。それは絶対に避けねばならない。
「フフ…おじさんさぁ。ずいぶん冷や汗かいてるけど、どうかしたの?何か私に隠してるでしょ…あ、もしかして…浄化もできない、とか?」
「…っ!?」
天児は驚きの余り、思わず声を上げそうになったが、咄嗟に生唾を飲み込んで誤魔化した。しかし、恐ろしい観察眼と推理力である。何故そこまで見抜けるのか天児は心の中を読まれているようで、恐怖を覚えていた。
「アハハ!おじさん、アンタお人好しでウソが付けないってよく言われない?バレバレだよ、その態度~!ふぅん、浄化できないんだぁ?ホントかなぁ…試してみようか」
(マズい!)
ヘルの足元から、ゆっくりと靄が湧き立っていく。暗い牢獄の中だからか、それははっきりとは見えないが、見えない分プレッシャーは嫌というほど感じられる。不快そのものというべきその気配は、じわじわと石の床を這って、こちらに近づいてきているようだった。
「ほらほら!早くなんとかしないと、私の瘴気に侵されちゃうよ?おじさんって私の好みじゃないけど、その必死になってる顔はちょっとイイかも…はぁっ、ぐちゃぐちゃにしてみたくなっちゃうよ…」
そう呟いて艶めかしい溜息を吐くヘルの瞳には、先程王子に向けていたような情欲が強く浮かんでいた。マリアロイゼも天児の情けない姿に反応していたが、あちらは庇護欲や母性を掻き立てられているようだった。ヘルの向ける視線とは全く正反対のものである。
「くっ…!?」
気色の悪い怖気が足元に近づき、天児に触れようとした時、天児の目の前が酷く歪んで見えた。
「調子に乗るなよ?たかが瘴気を操る人間如きが。…僕の契約者に手を出そうなんて百年早い。身の程を教えてあげるよ」
「えっ?!」
その場にいるはずのない子どもの声が牢内に響き、歪んで見えた空間に何かが蠢いた。やがてそれは人の形をとり始め、瞬く間に、身なりのいい裕福そうな少年の姿に変わって、天児を守るように現れていた。そして、少年は虫を払うように瘴気を闇で打ち払っていく。
「子ども?どこか、らっ…!?」
「うっ…!?これは…!」
その姿を目にした途端、ヘルも、そして天児も、心臓を鷲掴みにされたような強烈な恐怖に支配されていた。二人共指一本動かすことができず、身体の震えが止まらなくなる。これは、天児が自身の意識下で味わったものと同じ…いや、それ以上の恐怖かもしれない。特にヘルは、声を発することも出来ずに、口をパクパクと動かすばかりで、まともに呼吸が出来ているのかも怪しいほどだ。
「ふふん、魔女だなんて偉そうに吹いてる癖に、僕の姿を見ただけでそれか。悪いけど、闇はお前の味方とは限らないよ」
勝ち誇る少年、アランは底意地の悪そうな笑顔で、ヘルを嘲笑った。頼もしさを感じる一方で、その笑みは恐怖を一層強くさせる。天児は目を背けたくなるのをグッと堪えて、アランとヘルの動向を見つめていた。
「…っ!!ぉ、起きろバカ王子!この役立たず!世界樹、なんとかしなさいよ!!」
ヘルは恐怖で真っ青になりながら、怒鳴り声を上げて寝ている王子の頭を蹴り上げた。どうやら、怒りに任せて恐怖を打ち消しているらしい。彼女は見た目より、ずっと精神力が強いようだ。だが、それより気になったのは、彼女が世界樹の名を呼んだことだ。何故魔女が世界樹を呼ぶのか、天児には解らない。
―畏まりました…主よ。
「え、主?魔女が?アクシスさん、どういう…」
問答をする間もなく、天児の持つタブレット(木板)がぼんやりと光を放ち、次の瞬間、突然大きな地震が王都全域を襲う。王城の地下にあるこの牢獄もその地震の影響を受けないはずがなく、床石は波打つように揺れ動き、時にはひび割れて、立っていられないほどの揺れに見舞われた。
「な、なんだ!?」
通常、地震というものは、地上よりも地下の方が揺れが小さくなるものだ。にもかかわらず、これだけの揺れを感じるとなると、地上にある王都は相当な被害が出ているかもしれない。元の世界で何度も震災を経験している天児は、王都に住む人達の事が頭に過ったが、次の瞬間、それはすぐに頭から消えた。ビシビシと激しい音を立てて床石に亀裂が走ると、牢を貫くように、巨大な木の根が足元から飛び出したのだ。
「天児、危ない!」
「あ、うわあああああ!」
アランの叫びと天児の絶叫が、牢内にこだまする。天児の身体よりも太い根が、牢を押し潰そうととぐろを巻く間に、ヘルと王子はその場から姿を消していた。
この日、王都バースディルは大震災と無数の世界樹の根によって蹂躙され、壊滅的な被害を受けた。また、陣頭指揮を執るはずの王子とその婚約者、ヘル・ドロア男爵令嬢も行方不明となり、バーカスター王国は、建国以来の危機に陥ったのだった。
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