01
翌日、天気はすっかり回復し、気温も少しばかり上昇した。青々とした葉には雨露が光り太陽を反射させている。
湿っぽくも爽やかな空気に人々の気持ちは自然と浮上する。恵みの雨とはいえ晴れている方がなにかと活動はしやすい。
「元帥、ラファエル区からの申立書は確認いただけましたか?」
「それは、もう目を通してサインしてある」
いつも通りの平穏な午後。ルディガーとセシリアは何事もなく仕事の話を交わしていた。セシリアはルディガーから書類を受け取る。
これで今日のおおよその仕事は一区切りついた。そのタイミングを見測りルディガーは彼女に声をかける。
「セシリア」
「なんでしょうか?」
書類からセシリアの視線がルディガーに移った。彼はおもむろに切り出す。
「昨日の件なんだが……」
そのとき部屋に荒っぽいノック音が響き、ふたりの意識はすぐさまそちらに持っていかれた。緊迫めいた雰囲気なのは嫌でも理解できる。
「失礼します。ウリエル区の団員からの伝達です。ドュンケルの森の入り口付近で若い娘の遺体が発見されました」
セシリアは大きく目を見張り、続いて上官を見た。ルディガーも驚きを隠せない。セシリアと一度目を合わせ、ルディガーは団員からの報告に耳を傾けた。
話を聞き終え、迷う暇もなくルディガーとセシリアは現場へ向かう。話を聞く限り今回は事故ではなく確実に事件だという。そして被害者はふたりにも面識のある人物だった。
セシリアの胸には不気味さが張りつき、不安が入り混じる。続いて馬を飛ばしながら前を行く上官の気持ちを慮った。
発見されたのはディアナ・ホフマン。ホフマン卿の娘で、夜会でセシリアも見かけた覚えがある。
ルディガーとセシリアがドュンケルの森にたどり着いたとき、ウリエル区に駐在する夜警団の人間が現場を仕切る中、騒ぎを聞きつけた住民たちが野次馬となって辺りは騒然としていた。
その中でも一際、目を引いたのは泣き崩れるトビウスの姿だ。夜会で放っていた威厳は微塵もなく小さく体を丸め愛娘の死を嘆いている。
思わず目を背けたくなったがルディガーとセシリアは彼の、正確にはディアナの元へ近づく。
雨はやんでいるが濡れた地面はぬかるみ、やや足場が悪い。草についた水滴が歩くたびに跳ね返ってくる。木々の影が太陽を遮り、ここら辺は異様に暗かった。
そこで前を歩いていたルディガーが、ふと顔だけを後ろに向け小声でセシリアに告げる。
「……見なくていい」
「平気です」
眉ひとつ動かさずにセシリアは答えた。ルディガーはわずかに顔をしかめたが、それ以上はなにも言わない。
ふたりはディアナの遺体の元に腰を落とす。待機していた男性団員が遺体にかけていた布をさっとめくった。
不幸中の幸いとでも言うのか、ディアナの死に顔は安らかなものだった。しかしすぐに異様さに気づく。
「髪が……」
「どういうことだ?」
セシリアとルディガーがそれぞれ声をあげる。ディアナの美しく長い髪は耳下で切られ、少年さながらの短さになっていた。二人の反応に団員が現場の状況を補足する。
「ええ。彼女の髪を何者かが切ったようです。遺体のそばに彼女の髪と思わしきものが散っていました」
「彼女が自分で切った可能性は?」
「わかりません。さらにもうひとつ」
ルディガーの問いに答えた団員はさらにディアナにかけられていた布をめくり、首から下の部分をルディガーたちに晒した。
今度はセシリアもルディガーもなにも言葉を発しない。ディアナの白いフリルのあしらわれたブラウスは無理矢理脱がそうとしたのか首元がはだけ気味だった。
「着衣の乱れはありますが、この部分だけで乱暴された痕跡はありません。ナイフで脅し、その際に髪を切ったのかとも考えましたが……」
言葉を濁す団員と共にセシリアは遺体をまじまじと見つめた。ベテーレンの花の上に遺体は横たえられ、やはりぱっと見大きな外傷は見られない。
遺体は雨に晒されたからぐっしょりと濡れていた。そこでセシリアは妙な違和感を覚える。
「最悪だが、嫌な予感は的中したな」
不意に背後から声が聞こえ、その場にいた全員の視線が集中する。
「ジェイド」
セシリアが立ち上がり思わず名を漏らした。やや離れた場所からゆっくりと近づく男は黒いコートに、右目にはモノクルを装着している。厳しい目つきをしたジェイドだった。
「おい、一般市民は」
たしなめようとした団員をルディガーが制する。
「彼は医者だ」
その発言にジェイドは目を丸くした。ルディガーも立ち上がり、ジェイドにまっすぐ向き合う。
「気づいた点を教えてほしい。ただし事実を隠し立てしたり、虚偽を申告したら許さない」
破ればどうなるかなどを言わなくても、真剣さを孕んだ声色で覚悟を問われる。ジェイドも茶化しはせず真面目に答えた。
「……わかった」
ルディガーとセシリアはその場をジェイドに譲る。ジェイドはしゃがみ込むと薄手の手袋をしてディアナに手を伸ばした。
確かめるように頭に触れてから、口を強引に開け口腔内を見る。続いて彼はディアナの頭の下に手を滑らせ軽く浮かせると項を覗き込む姿勢を取った。
険しい表情を崩さず、次にジェイドが取った行動はなぜか顔から足元に移り、ディアナのドレスの裾をめくり上げた。
正直、セシリアとルディガーには彼がなにをしているのかわからない。ただ黙って彼の一連の動作を見守るだけだった。
しばらくして遺体と向き合っていたジェイドが振り返りルディガーに声をかける。
「服を脱がして体を確認することは可能か?」
「それは遺族の許可がないとできない」
ジェイドは頭を掻いて複雑な面持ちになった。
「難しそう……だな」
死者は丁重に扱われるのが原則だ。事実の解明より重視されるのも当たり前で、疫病の可能性など、余程の事情がない限りわざわざ遺体を裸にして他者に晒そうとする遺族は少ない。
ましてやディアナは年頃の娘だ。トビウスの悲しみ方を見ても、とても許可されそうにもない。
ジェイドはやれやれと肩をすくめ立ち上がった。
「大きな外傷もなく、頭部へのダメージもなさそうだ。嘔吐や吐血の跡も見られない。だが、状況からすると彼女の死は人為的なものだろう。おそらく亡くなって丸一日は経過している」
「話では二日前に友人のところに行くと出かけてから行方不明だったらしい」
ルディガーの補足にジェイドは軽く頷く。
「辻褄は合うな。もう少し詳しく調べて死因を特定したいところではあるが……彼女、持病は?」
ジェイドはそばにいる団員に目配せする。すると彼は静かにかぶりを振った。
「報告は受けていません」
「なるほど、な。色々気になる点はあるが、彼女は亡くなってずっと仰向けにされたのではなく、しばらく違う体勢でいたのかもしれない」
形のいい眉をつり上げ気味にジェイドは硬い口調で告げた。すかさずルディガーが問う。
「なぜ?」
「死斑って言ってな。亡くなった後に血液の循環が止まると自然と重力に従って血液が溜まり、痣になって皮膚に現れたりするんだ。例えば仰向けなら背中に、うつ伏せなら腹に。それでおおよその死亡時期を判定したり、亡くなってからの状況を判断するんだが……」
ジェイドはちらりとディアナの遺体に視線を向ける。
「妙なんだ。項から背にかけて死斑はあったが、どうも薄い。ここでなにかあって倒れたままでいたなら、もっと濃く現れてもよさそうだ。足首も念のため確認してみたが、特段濃いわけでもない」
そこで先ほどのジェイドの発言の意図が読めた。彼女は亡くなってから、立ったり座った状態で放置されていたのではないらしい。とはいえ同じ体勢でいたわけではないのだとしたら……。
「おそらく彼女は亡くなってここに運ばれてきたんだ。髪を切ったのも。誰かが、なにかの目的で」
風が木々の葉を揺らし音を立てる。反響し合い不気味な重低音はまるでアスモデウスの笑い声のようだった。




