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03

「それでも、お前はセシリアを一番気にかけていただろ」


 直接会えなくても、帰還してからルディガーがずっとセシリアを気にしていたのは知っている。あのとき自分たちは十八かそこらだ。今よりもずっと覚悟も余裕も足りていなかった。


 ルディガーは少しだけ口角を上げた。


「あのとき上手く取り繕っているつもりで、正直いつ死んでもいいと思っていた。なにもかもが厭世的にしか見えなくて、自棄になっていたんだ」


 ところが、ベティからセシリアがまだ戻っていないと聞いてルディガーはあれこれ考える間もなく一目散に駆けだした。そのときに気づいた。自分はまだ、すべてをどうでもいいとは思っていない。


 もう失うのは御免だ。今までセシリアに会わなかったことをひどく悔やんだ。


「セシリアと向き合う機会に恵まれて、目が覚めたんだ。自分がなにを大事にしないといけないのかも」


 久しぶりに顔を合わせ、セドリックの死を責められるのも覚悟した。けれどセシリアは責めるどころかルディガーの心配までしてきて、それが同情でもなくまっすぐなものだったから上手くかわせなかった。


 守らないといけないと思ったのは、セドリックの代わりだとか、兄を失わせた後ろめたさとかじゃない。


 森での一件を経て、ルディガーは極力セシリアのそばにいるようになった。エルザと会う時間を割いてでもセシリアを優先した。


 そんなとき、エルザに曖昧に切り出されたのだ。


『ルディガーがセシリアちゃんを気にするのも理解しているわ。後ろめたさでそばにいてあげないとって思う気持ちも。でも、それはいつまでなの? 結婚してもずっと?』


 エルザがなにを言いたいのか、すぐに見当はついた。結婚話も進められておらず、婚約者として自分は彼女を不安にさせている。


 それなのに、なにひとつ彼女を安心させてやれる言葉が見つからない。いつもなら表面的だけでもなにかしら取り繕えていたはずだ。


『このままなら……他にも私との縁談を希望してくださる方もいるのよ』


 これは賭けなのだと。こうまでしてエルザはルディガーの気を引こうとしている。わかっている。


 しばらくして、気迫に満ちて今にも泣き出しそうなエルザにルディガーは導き出した答えを告げた。


『君が幸せになるのを祈っているよ』


 あからさまに傷ついた表情を見せるエルザ。それでも自分の決断は揺るがない。ルディガー自身、長年の婚約者に対して薄情だと思った。一方で肩の荷が下りたとどこかでホッとしている自分もいる。


 今は空いた時間をセシリアに使いたかった。後ろめたさや罪悪感なんて冗談じゃない。ましてや頼まれた覚えもない。すべて自分で選んで望んだ。


 少しずつ笑顔が戻るセシリアを見てルディガーも自然と笑えた。彼女を気にしつつも本当はルディガー自身がセシリアのそばにいると安心できた。


 だからといって、まさかセシリアを副官にするとは、このときは微塵も想像していなかったが。こんなにもかけがえのない存在になるとも。


「今まで散々、妹扱いをしてきたんだから一筋縄ではいかないのは承知の上だろ」


 たしなめているのかフォローしているのか。スヴェンの発言を受けルディガーは机に手を置き、体を預けて姿勢を崩した。


「そうだな。さらには副官にしてしまった」


「それは本人の希望だろ」


「でも、どんな形であれ彼女を縛っているのは俺だよ。セシリア自身が副官を望んでいるからって言い訳して、本当は誰にも渡したくなかった。スヴェン、たとえお前が相手でも」


 セシリアがルディガーの部屋を訪れたあの夜、上官として、セシリアにとって兄的存在のままでいるなら叱ってでも宥めてでも、上手く諭してなにもせずに帰すべきだった。


 なのに改めて気づかされた。セシリアはもう自分たちの後を追いかけていた子どもではなく、ひとりの大人の女性で、とっくに自分の進む道に対して覚悟を決めている。


 エルザのときには湧かなかった手放したくない強い想いと奔る独占欲に驚いた。冷静に賢く生きてきたつもりだったのに、衝動的な感情はどこから来るのか。


 誰かと幸せになって欲しいなど、託す気持ちにはまったくならない。セシリアの気持ちが向くのは自分だけでいい。彼女に触れるのも、その瞳に映すのも。


 当初、セシリアはスヴェンとルディガーの副官として任命された。だが結果的にルディガーの副官として収まっているのが現状だ。不服を唱える者もいない。


 ルディガーの一連の告白にスヴェンは呆れた面持ちになる。


「最初に言っただろ、俺に副官は必要ない。セシリアは自分でお前のそばにいるのを望んだんだ。今さら俺に妙な後ろめたさを感じるな」


「スヴェンにはないさ。あくまでもセシリアに対してだよ」


 ぬけぬけと返すルディガーにスヴェンはつい眉根を寄せた。しかし、続けられたルディガーの声は神妙なものだった。


「そばに置いて、自分のエゴなのにも関わらず、あの子の願いも叶えたつもりだった。お前の言う通り安全な高い位置から見下ろしていたんだ」


 副官になったセシリアは、まっすぐで一生懸命でいつも必死だった。ルディガーの役に立ちたいと、それだけを叶えるために言葉通り自身を捧げている。


 そんな彼女に妹として扱ってきた手前もあって、あっさりと翻った自分の本心を告げるのは難しく、気も引けた。


 副官として揺るがないセシリアの気持ちを汲んでやるのが上官の務めだと思っていた。だからいつも自分たちの関係を曖昧にしか表現できなかった。


 セシリアは自分にとって特別で、自分のものなのだと口にして、それはセシリアに対してではなくルディガー自身が確かめたかった。


 上官と副官になって、互いに言わなくても伝わることが増えた。居心地のいい関係を築けてきた。けれど、どちらも本心を秘めたままでは、それ以上深くには触れられない。


 踏み出すのは自分からだ。たとえセシリアが望んでいないとしても、そもそも最初に上官としての枠を踏み越えたのはルディガーの方だ。言い訳などとっくに無用だった。


「そろそろ俺も本気で向き合わないとな。もう六年だ」


 暗かった空から静かに雨が降り始め、大地の色を変えていく。細やかな水滴が窓を滑っては跡を残していった。


 ルディガーは笑みを浮かべながら、誰にでもなく呟く。


「この状況をセドリックが見たら一発くらい殴られてるな」


「いや、あいつはきっと笑っただろ。しょうがないって顔してな」


 スヴェンの返答にルディガーは目を見開く。そしてゆるやかに目を閉じた。


「そうかもな」


 小さな声は外の音にすっと溶けた。徐々に雨脚が強くなっていく。しばらく雨は止みそうになかった。

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