81 バー・ヘルシード
前作「ニューキーツ」と「サントノーレ」の場面が追想として出てきますが、お読みでない方は、深く考えずに目を通してくださるだけでも結構です。
「おう! 早かったな! がはははは!」
イエロータドがグラスを磨く手を止めた。
チョットマはこの男にいい印象を持っていない。
ベータディメンジョンでこの男から聞いた話が本当なら、歴代ニューキーツ長官の諜報活動のボスだったいうことになる。
レイチェル騎士団が立て籠もっていたシャルタでの混乱のさなか、ロクモン将軍を亡き者にしたアンドロである。
もちろんロクモンも許せる奴ではない。
東部方面攻撃隊の名誉を貶め、ンドペキを窮地に陥れたことは、まだ記憶に新しい。
しかし、ロクモンをそそのかし、あの事件を引き起こしたのが、この男である。
あの話が真実だったのか、レイチェルに確かめていない。
もしロクモン殺しがレイチェルの指示だったのなら、レイチェルの冷血さが際立つことになる。
たとえそれが、人類の滅亡がまさに現実のものになろうとしている時にやむなく下された判断であろうとも。
そしてもし、それが事実と少し違うのなら、また別の、レイチェルにとってあまり人には言えない事情があるような気もして、胸にしまい込んでおくことにしたのだった。
それに、レイチェルがまたイエロータドをスパイとして使っているのなら、レイチェルに嘘をつかせることになる。
そんなレイチェルを見たくなかった。
「突っ立ってないで、座ってくれ」
店が開くにはまだ少々早い。
「どうだ。なかなかのもんだろ。がはははは!」
確かに、開店一か月も経たないというのに、バー「ヘルシード」は、エリアREFにあった時のような趣を醸し出しつつある。
「このランプはな、」
イエロータドの自慢話を制して、ライラがきつい口調で言った。
「話とは」
「まあ、そんなに焦りなさんな。飲み物を出すから」
あの日のことが思い出される。
昼も夜もない地下のスラム、エリアREF。
まだ右も左もわからない頃、チョットマはニューキーツ一番の物知り、サキュバスの庭の女帝と呼ばれる老呪術師ライラを訪ねて、バー「ヘルシード」に赴いたのだった。
あの時と同じように、イエロータドがソーダー水を出そうとしている。
「じゃ、コーヒーを」
「ああん? コーヒーとな!」
あの苦い飲み物が気分を高揚してくれることを、もうチョットマは知っていた。
疲れもとれるかもしれない。
まもなくいい香りが店内に漂い、イエロータドが話し出した。
「ここにはパリサイドの連中も何人か、やって来るんでな。そいつらから耳にした話だ」
パリサイドの連中の体ってのは、借り物らしい。
なんでも、消費期限ってものがあって、時期が来ると乗り移るんだそうだ。
ということは、記憶や思考は肉体と別のものということだよな。
どうも、我々も、つまりホメムやマトもメルキトも、俺たちアンドロも、そうなるらしい。
まあ、なんだな。
元々、地球でも同じようにして命を繋いできたから、そのこと自体、抵抗感はないけどな。
その期間もとても短いらしい。なにしろ、絶対零度に近い宇宙空間にでも浮かんでいられる体だ。
頑丈にできてはいても、すぐにいかれてしまうってことなんだろ。
「それにだ」と、身を乗り出す。
その肉体ってのは、パターンがない。
大量生産の汎用品。
「チョットマ、どういうことか、分かるか?」
この男は、あの後、エーエージーエスのチューブに積み重なったアンドロの死体を乗り越えて、ニューキーツ地下の避難施設に到達したのだ。
生半可な体力ではないし、意志の力も相当なもの。
だからこそ、ここでも成功しようとしている。
部屋を借り、備品を集め、酒を探し求めて、こうして店を開いた。
所在無げに日々を暮らしている市民が多い中で、異色の活動力と言える。
チョットマは、この男が嫌いだが、ちゃんと話は聞いておかねば、と思った。
 




