68 落ち着かない話
イコマとレイチェルは、キョー・マチボリーの椅子の背を見つめている。
部屋はシンとして、聞こえてくるのはキョー・マチボリーの声だけ。
かすかな振動もなければ、空気の流れもない。
船がとてつもないスピードで飛んでいることを示すものは、窓に踊る多彩な光の帯のみ。
キョー・マチボリーには、こちらの姿が見えているのか。
イコマはその不審が拭えなかった。
そもそも目の前の椅子に座っているのかどうかさえ怪しいものだ。
どう見ても椅子だけが置いてあるように見える。
時々、震えるように動きはするが。
これだけ話しているのだ。ちらりと姿を、せめて足先でも見せてよさそうなものではないか。
「イコマさん、その体、いかがなもんです?」
「まあ、正直にいうと、あまり居心地がいいとは」
「そうですか」
とキョー・マチボリーは言ったが、気分を害したわけではないのだろう。
「そんなもんでしょうなあ」と笑った。
「もちろん、かたじけないと思っていますよ」
「アギだった、わけですよね」
「ええ」
「数百年も体を動かすという意識を持たずに生きてこられた。でも、肉体を得た途端に大抵のことはおできになる。人間とは、なかなか高度な生物、とも言えるわけですな」
「ごもっとも」
微妙に大阪イントネーションになってきてはいるが、大阪弁べらべらというわけにはいかない。
「さて、これからお話しすることは、他言無用でお願いしたい」
キョー・マチボリーが改まって話しかけてきた。
「もちろん、お二方が信頼を置いておられる方にお話しされるのは結構ですが、市民の間に広まってしまうと、収拾がつかなくなる恐れがあります。よろしいでしょうか?」
レイチェルもイコマも頷いた。
「では」と、キャプテンは早口で語り始めた。
「今お座りの椅子に、目や耳があり、お二方の体内の様子を盗み取る機能が備わっているとしたら、どんなお気持ちです?」
「えっ」
腰を浮かしかけたイコマに、キョー・マチボリーは「いやいや、冗談ですよ」と笑い声をたてた。
「しかし、パリサイドでの生活はそういうものだと考えてください」
「政府機関が?」
「いいえ。何者かが」
市民の誰もがそう思っているわけではないという。
むしろ、そう考えたり、なんとなくそう感じているのはほんの一握りの人間だけ。
「私はそう考えています。でなければ、辻褄の合わないことがあるんですよ」
イコマは思わず生唾を飲み込んだ。
なんと、窮屈で恐ろしい世界だろう。
ニューキーツ含め、地球上の各街も同じようなものだったが、その度合いが違う。体内の様子とは。
しかも、相手さえわからないときている。
「そんなことが明らかになると、市民の皆さんはパニックになるでしょう。くれぐれも頼みますよ」
「それをなぜ、私達に?」
レイチェルの問いかけに、キョー・マチボリーは優しい声を掛けた。
「その問いに応える代りに、ひとつお願いがあるのです」
落ち着かない話だ。
どんな願いかと身構えたものの、キョー・マチボリーの願いは他愛もないことのように思えた。
市民を守りたい、というのだった。
あの星で、豊かにとはいかないまでも、幸せに暮らしていけるように力を貸して欲しいというのだった。
「やっとのことで辿り着いた地面なのです。少々不便なこと、気に食わないこととでも申しましょうか。でも、かけがえのないところなのです」
「具体的に、私は何をすればよろしいのでしょう」
「なに、難しいことではないのです。超常的な現象があっても、不思議な出来事があるものだというように鷹揚に構えていただきたいのです」
地球から来た人にとって理解しがたい出来事があれば、どうしてもそれに気を取られてしまう。
「それに振り回されず、知らぬ顔をしておれと、端的に言うと、そういうことですか?」
「おっしゃる通りです。幹部である皆さんがそうしないと、市民の気持ちに揺らぎが発生します。それが命取りになると思うのです」
イコマは唸ってしまった。
命取り、とはまた大げさな。
理解できなくもないが、その不思議な出来事を目の当たりにしていない現時点では、了解するともしないとも言えるものではない。
「経験もしていないうちから、そう言われても、というお顔ですな。ですから、あえてそう申し上げているのです。今のうちに」




