5話
薄暗い森の中に、野太い息遣いと地鳴りのような足音が響き渡っていた。
「来たぞ、ファンゴだ」
俺の言葉が終わるより早く、草むらを押し分けて体長2メートルを超える巨体が出現した。鋼のように硬い毛並みと、丸太のように太い二本の牙を持つ魔獣イノシシ。突進の威力は一撃で軽馬車を吹き飛ばすほどだ。
「ふふん、私の強さを見せてあげるわ!」
リゼが不敵な笑みを浮かべ、前へ出た。
突進してくるファンゴに対し、リゼは一歩も引かない。衝突まであと数十センチ――極限まで引き引きつけた瞬間、銀髪がふわりと揺れた。
スパァンッ!
心地よい切断音が森に響く。
リゼの手刀が一閃した瞬間、巨体は勢いのまま滑り込み、一瞬遅れて巨大な首がゴロリと地面を転がった。手応えすら感じさせない、圧倒的な素の強さ。
「どう? すごいでしょう!」
リゼはくるりと振り返ると、えっへんと胸を張った。
「見事だ。素でこれだけの攻撃力と素早さがあれば、ファンゴ程度なら赤子をひねるようなものだな」
褒めると、リゼの赤目が嬉しそうに細められた。高い索敵能力と合わさり、前衛としてのポテンシャルはやはり別格だ。
「俺がファンゴから素材を剥ぎ取るから、その間適当にファンゴを狩ってきてくれ」
俺が腰のナイフを取り出し、最初の死体から素材を削ぎ落とす剥ぎ取り作業を始めて数分後のことだった。
ズズズ……ズズズズズ……。
森の奥から、何か巨大な物体が地擦り音を立てて近づいてくる。
「……なんだ?」
俺が警戒してナイフを構えると、そこに現れたのは――毛並みの揃ったファンゴの死体が10体以上、丸く組み合わさった巨大な『肉の塊』だった。
いや、よく見ると肉の塊の中央から、ちょこんと銀髪の頭と顔だけが飛び出している。
「フゴフゴッ……ふぅ! ユーリ、たくさん狩ってきたわよ!」
「……何やってんだお前は!?」
思わず突っ込みが飛んだ。顔以外が完全にファンゴの死体に埋もれ、巨大なイノシシの団子状態になったリゼが、自慢げに「フゴフゴ」と鼻を鳴らしている。シュールなんてレベルじゃない。
俺は慌てて駆け寄り、顔の周りのファンゴを力任せに退けた。
「ふはぁっ! ファンゴの死体って結構温かくて気持ちいいのね。さあユーリ、褒めなさいよ!」
「褒める前に状況を説明しろ! どうやってこんな大量の死体を運んできたんだ?」
「え? 『血液操作』のスキルを使ったのよ」
リゼは顔周りが自由になると、指先をチチチと振ってみせた。
見ると、ファンゴたちの傷口から伸びた赤黒い血が、まるで頑丈な『鎖』や『ロープ』のように凝固し、死体同士をガチガチに連結していた。リゼはその血の鎖を一本手に握り、まとめて引きずってきたのだ。
(血液操作……待てよ?)
俺の脳内で、商人顔負けの高速計算が弾き出された。
ファンゴの肉は絶品だが、血が回ると一気に臭みが出て価値が跳ね下がる。だからこそ一般的な冒険者は、1頭ずつ丁寧に血抜きをする必要があり、それが討伐効率の最大のネックになっているのだ。
「リゼ……このスキルで、体内の血を一滴残らず抜き取ることはできるか?」
「ええ、簡単よ。体中の血を外に集めればいいんでしょう?」
リゼが指先をキュッと捻ると、10体のファンゴの傷口から、ドクドクと赤黒い液体が吐き出された。血は空中で一つの巨大な球体へと集まり、まるでちゃぶ台ほどの大きさの血の玉となって宙に浮いた。
「すごい……! 完璧な血抜きだ!」
ファンゴの肉は血抜きが完璧なら、1頭あたり通常(鉄貨2枚)の4倍以上――最高品質として1頭あたり『鉄貨9枚』以上で取引される。
10頭で鉄貨90枚(=銀貨9枚)。
剥ぎ取り専門の業者に解体を委託する費用(10体で銀貨1枚)を差し引いても、手元には『銀貨8枚』が残る計算だ。乗合馬車の運賃どころか、当面の滞在費も含めて爆益確定である。
「よし、最高の仕事だリゼ! ……さて」
俺は浮かせた血を処分させつつ、リゼに向き直った。
「素でこれだけの芸当ができるなら……俺の『1.5倍バフ』をかけたらどうなるか、試してみるか?」
「えっ!? ユーリのバフ!?」
リゼの目が輝いた。
俺は胸の前で手を組み、静かに詠唱を紡ぐ。地味で派手な光もないが、空間の魔力が確かな手応えとともにリゼの全身へと溶け込んでいく。
【全ステータス1.5倍付与:持続時間30分】
リゼの身体を【鑑定】の透過ウィンドウで確認する。
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## 【名前】リゼ Lv40 【種族】ヴァンパイア
【HP】∞/∞
【VIT】100(+50)
【STR】120(+60)
【DEX】130(+65)
【INT】110(+55)
【MND】90(+45)
【AGI】150(+75)
AGIは225、STRは180。もはや人理を凌駕した化け物の領域だ。
「な、なにこれ……ッ!?」
リゼが自分の手を見つめ、目を見開いた。
「身体が……すごく軽い! 力が底から湧き上がってくる感じがするわ! すごい、すごいわユーリ! 今なら神様だって殺せそうよ!」
全能感に満たされたリゼは、その場でピョンピョンと跳ね回った。踏み込むたびに足元の地面が爆音とともに陥没し、凄まじい衝撃波が巻き起こる。
「おい、暴れるな! 自然を壊すな!」
「あはははっ! 楽しい! 私、もっと戦いたい!」
テンションが爆上がりしたリゼは、赤目をギラギラと輝かせて俺を見つめてきた。
「よし、効果を試すついでだ。森の奥のファンゴを、片端から狩ってきてくれ!」
「任せて! 一瞬で片付けてくるわぁッ!」
ドッ、と空気が爆発するような音を残し、リゼは残像すら置き去りにして爆速で森の奥へと消えて行った。
木々がなぎ倒される凄まじい破壊音を遠くに聞きながら、俺は「手早く稼げそうだな」と、満足げに懐の手帳を広げるのだった。




