4話
受付嬢から冷ややかな視線を浴びながら、俺は淡々と冒険者登録の書類を書き進めていた。
隣に並ぶリゼが、爪先で床をトントンと叩きながら、俺の耳元で小さな声を潜ませる。
「ねえ、ユーリ。さっきの大きな男が言ってた『女を襲った』って、どういうこと?」
「ケインの仕業だ」
俺はペンを動かしたまま、低く短い声で答えた。
「俺を追放した勇者パーティーのリーダーだよ。手切れ金を渡して口止めをした癖に、裏では自分の保身と俺の抹殺のために、そんな最低なデマを流していたわけだ」
「ふ~ん……。嫌な奴ね。私、ユーリがそんなことするなんて思わないわよ。だって私のことだって、あんなに必死に『そんなつもりじゃない!』って否定したじゃない」
「……その例えはどうかと思うがな」
思わず苦笑いが漏れる。だが、リゼが疑うことなく俺の言葉を受け入れてくれたのは、素直に助かった。
「はい、終わりです」
不機嫌そうな受付嬢の手からひったくるようにして渡されたのは、出来立ての『赤銅色』の冒険者カードだった。一番下のランクを示す、鈍く光る金属板だ。
「わぁ、これ私の?」
リゼは嬉しそうにカードを受け取ると、両手で大事そうに胸に抱きしめた。
「説明しますね」
受付嬢が機械的なトーンで捲し立てる。
「冒険者のランクは上から『白金、金、銀、鉄、銅』の5段階です。あなたは今日から銅級冒険者。一定の依頼を達成し、評価を得ることで昇格試験を受けられます。ギルド内での暴力行為は即刻――」
聞き慣れた説明を右から左へ流しながら、俺は脳内で今後の資金シミュレーションを高速で組み立てていた。
(まず、この街にとどまる選択肢はない)
ケインたちの流したデマのせいで、ギルドでのやりづらさは目に見えている。ギルド職員まであの塩対応だ。わざわざ不快な環境で摩耗する必要はない。
問題はどこへ向かうかだ。
(隣街の『キューレ』は大きな迷宮があることで有名だが……却下だ。あの街はケインたちの活動拠点でもある。鉢合わせるリスクが高すぎる)
目指すべきは、さらに離れた商業都市か、新興のダンジョン街だ。そこへ移動するための資金が必要になる。
俺の手持ちは、現在ゼロ。一文無しだ。
移動方法の手段は二つ。一つは『徒歩での野宿移動』。
だが、野宿をするにはテントや寝袋のレンタル料、あるいは購入費用がかかる。安く見積もってもレンタルで1日鉄貨1枚。移動に5日かかるとして、道中の食費も合わせれば銀貨1枚(鉄貨10枚)は吹き飛ぶ。
もう一つは『乗合馬車の利用』。
運賃は1人あたり鉄貨2枚。2人で鉄貨4枚(銀貨0.4枚相当)だ。しかも馬車を使えば、わずか2日で目的地へ到着する。
(答えは明白だな。乗合馬車一択だ。安くて速い)
鉄貨10枚=銀貨1枚のこの世界で、無駄な出費と時間は極力削るべきだ。
乗合馬車の運賃である鉄貨4枚、そして当面の食費を合わせ、銀貨1枚程度の現金を今すぐに稼ぐ必要がある。
ギルドの壁に貼られた高額依頼の掲示板は、血気盛んな冒険者たちが場所取りをしていて群がるのも鬱陶しい。俺が狙うべきは、手堅く数をこなせる『常設依頼』だ。
(……よし、あれにするか)
「行くぞ、リゼ」
「うん! スパパパーンッとお金を稼ぐのよ!」
やる気満々で小さな拳を握りしめるリゼを伴い、俺たちはギルドを後にした。
◇
「ちょっと、ユーリ。あの入口に立ってる男たち、偉そうで気に食わないんだけど。殴っちゃダメ?」
西の市門に差し掛かったところで、リゼが俺の服の袖を引っ張りながら、門番の衛兵を殺気立った目で見つめた。
衛兵たちは重苦しい鎧を纏い、高圧的な視線で出入りする人々を検問している。
「絶対にやめろ」
俺は即座にリゼの額を指で小突き、制した。
「あれは領主様の兵隊だ。手を上げれば公務執行妨害と国家叛逆で即刻処刑、良くて地下牢行きだ。お前のその手で殴ったら、首が吹っ飛んで街が大騒ぎになる」
「えぇ~? 領主なんて吹っ飛ばせばいいじゃない。私の『暴走』なら一撃よ?」
「そういう脳筋な発想はやめろと言っているんだ! 俺たちは平穏に稼いで、平穏に移動したいんだよ」
頭を抱えたくなった。ステータスは伝説級だが、中身は北の洞窟で孤立していた世間知らずの魔族だ。常識を叩き込むだけでも一苦労である。
無事に検問を通り抜け、街の外へと足を踏み出すと、広大な平原と、その奥に生い茂る鬱蒼とした森が見えてきた。
「で、どこへ向かうの? 悪いやつらをやっつけるの?」
リゼが周囲を警戒するように赤目を輝かせる。
「いや、向かうのはあの森だ。狙うのは『ファンゴ』という魔獣イノシシだ」
ファンゴは肉が食用になり、皮は防具の材料になるため、常設の討伐依頼として常に買い取りが行われている。1頭あたり鉄貨2枚。2頭狩れば馬車代が浮く計算だ。
「ふ~ん、ファンゴねぇ……。要するに、森に入って出てきた豚を片端から殴り飛ばせばいいのね?」
「言い方はガサツだが、まあ……結論としては間違っていない」
リゼの脳筋すぎる解釈に溜め息をつきつつも、俺は腰のナイフの確かめ、森の入り口へと視線を向けた。
「俺のバフはお前を1.5倍に引き上げる。最初はお前の動きのキレを確認しながら進むぞ。ついて来い」
「はーい!」
木々が日光を遮る薄暗い森の奥へと、俺たちは足を踏み入れた。
ざわめく葉の音の隙間から、野太い鼻息と、地鳴りのような足音が近づいてくるのを、俺の耳は確かに捉えていた。




