3話
「……ぐ、ああああぁッ……!」
床に倒れ伏した少女の喉元から、苦悶の悲鳴が漏れ出る。
首に固く巻きついた黒い首輪から放出される紫色の電撃が、彼女の華奢な肢体を容赦なく打ち叩いていた。AGI(素早さ)150を誇る高位のヴァンパイアであっても、魂に直接刻み込まれた「絶対順従」の契約術式には抗えない。
ユーリは静かに息を吐き出すと、身を縮こませる少女の前に片膝をついた。
「もういい、殺意を収めろ。俺もお前を攻撃する意思はない」
「は、ぁ……ッ……ふぅ……ッ」
ユーリの言葉に同調するように首輪の電撃が収まると、少女は荒い息を吐きながら、床に手をついて必死に身体を起こした。乱れた銀髪の隙間から覗く血赤色の瞳には、未だに激しい警戒と恐怖が混ざり合っている。
「……嘘よ。正体を知ったのに……私を売らないわけがないわ。人間はみんなそう……ヴァンパイアの血や肉は、高値で取引されるんだから……!」
「売るわけがないだろう」
ユーリは呆れたように首を振った。
「言ったはずだ。俺はお前の戦力を買って全財産を投じた。わざわざ奴隷商の厳格な所有権移動の手続きを経てな。俺がお前を手放せば、俺自身が戦力ゼロの一文無しに逆戻りだ。そんな合理性のない真似をすると思うか?」
「合理性……?」
「そうだ。俺はお前がヴァンパイアだろうが何だろうがどうでもいい。ただ、俺のバフを受け止めて戦ってくれる『強者』であれば、それで十分なんだ。俺を殺そうとしない限り、虐げたり売り飛ばしたりするつもりは一切ない」
ユーリの淡々とした、しかし嘘偽りのない口調に、少女は毒気を抜かれたように瞬きをした。
首輪の制裁が嘘のように静まり返った部屋の中で、少女はゆっくりと膝を抱え直し、ボソリと呟いた。
「……変な奴」
「よく言われる。……さて、これからの話をしよう。明日にはギルドへ行って、お前の冒険者登録と臨時パーティーの申請をする。ただ、それにはひとつ問題がある」
ユーリは顎をさすりながら少女を見つめた。
「名前だ。奴隷商のステータスでも『無し』になっていたが、お前、名前はないのか?」
「名前……? そんなものないわ。ずっと北の暗い洞窟で一人で生きてきたもの。名乗る必要なんてなかった」
「そうか。だが、街で活動する以上、毎回『おい』とか『お前』と呼ぶわけにもいかない。俺が名前をつけてもいいか?」
「……勝手にすれば。どうでもいいわ」
少女はプイッと横を向いたが、ユーリは手帳を取り出すと、いくつか頭に浮かんだ音を吟味し始めた。あまり長すぎず、力強くも響きの美しい名――。
「『リゼ』。……どうだ?」
「……リゼ?」
少女は口の中でその音を転がすように、ボソボソと繰り返した。
「リゼ……リゼ……。私の、名前……?」
「ああ。嫌なら別のを考えるが――」
「ううん! 好き! 私、リゼにする!」
パッと花が咲いたような、満面の笑顔だった。
先ほどまで殺意を撒き散らしていた恐怖の魔族と同じ存在とはとても思えない、少女らしい無邪気で可愛らしいギャップ。ユーリは一瞬思考がフリーズしそうになったが、冷静に【鑑定】を発動させて確認した。
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## 【名前】リゼ
【レベル】40
【種族】ヴァンパイア
ステータスの【名前】欄にも、しっかりと『リゼ』と刻まれていた。
「よし、決まりだな。リゼ、明日からよろしく頼む」
「ええ! 任せて、ご主人様……じゃなくて、ユーリ!」
こうして、波乱の夜は静かに明けていった。
◇
翌朝。快晴の街並みを、ユーリとリゼは並んで歩いていた。
珍しい輝きを放つ銀髪と、人形のように整った容姿を持つリゼは、歩くだけで通行人の目を引く。本人は珍しい街の景観に興味津々で、露店の果物や看板をキョロキョロと見回しながらふらふらと歩いていた。
だが、すれ違う人々が目を向けるのは、彼女の美貌だけではなかった。
リゼの首に嵌められた重々しい奴隷の首輪と、その手綱を握る地味な男――ユーリに対する、隠そうともしない嫌悪と蔑視の視線。
(……やけに視線が刺さるな)
単に「綺麗な奴隷を連れたしがない冒険者」に対する嫉妬や好奇の目かと思ったが、冒険者ギルドの大きな扉をくぐった瞬間、その違和感は確信へと変わった。
朝のギルド内は、クエストを受けに来た冒険者たちでごった返していた。
しかし、ユーリが一歩足を踏み入れると、ざわめいていた館内が潮が引くように静まり返った。向けられるのは、明確な「敵意」と「軽蔑」だ。
「おい……あれ、噂のユーリだろ?」
「マジかよ。ケイン様のパーティーから追い出されたっていう……」
「見たか? 早速新しい女を奴隷にして連れ回してるぞ。噂通りじゃねえか」
ボソボソと交わされる陰口。ユーリは眉を一つも動かさず、冷ややかな思考を巡らせた。
(……なるほど。そういうことか)
「おいおいおい! 誰かと思えば、噂のゲス野郎じゃねえか!」
ギルドの酒場エリアから、酒臭い息を撒き散らしながら大柄な戦士の男が立ち上がった。顔を真っ赤に塗らした男は、周囲の視線を集めながらユーリへと歩み寄ってくる。
「勇者ケイン様のパーティーで、仲間の女性メンバーを襲おうとして追い出されたってのはお前か? ええ!? 手切れ金までもらった癖に、反省もゼロで早速女奴隷を買い叩いて手篭めにしてるのかよ! 汚ねえ野郎だぜ!」
男はドッと下品な笑声を上げた。周りの冒険者たちも、蔑むような笑いを漏らす。
ユーリの脳内で、全てのジグソーパズルが合体した。
(ケインの奴……手切れ金と称して口止め料を渡しておきながら、裏では『ユーリが女を襲おうとしたから追放した』という最悪のデマを捏造して吹聴していたわけか)
自分たちの評価を下げず、追放したユーリをこの街で孤立させて抹殺するための、極めて陰湿で浅知恵に満ちた工作。
リゼが不機嫌そうに赤目を発光させ、爪を立てようとしたが、ユーリは静かに彼女の前に手を差し出して制した。
「おい、無視かよ!? 申し開きくらいしたらどうなんだ、この変態野郎が!」
大柄な男がユーリの胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてくる。
ユーリは一歩だけ引いてその手を完璧にかわすと、氷のように冷たい瞳で男を見下ろした。
「事実無根だ」
「あぁ!?」
「俺が仲間を襲ったなどという事実は存在しない。パーティーを離脱したのは、あちらが新しいバッファーを雇ったからだ。……それ以上、根拠のない妄言を撒き散らすなら、ギルドの規約違反として名誉毀損で正式に訴えるが?」
感情を一切排した、事務的で完璧な拒絶。
熱くなって殴りかかってくると思っていた男は、ユーリのあまりに冷徹な対応と隙のない論理に毒気を抜かれ、口をぐぬぬと開けたまま固まった。
「議論の価値もない」
ユーリは男をゴミでも見るような目で見切ると、そのまま背を向けて受付カウンターへと直行した。
カウンターの奥にいたのは、塩対応で有名なベテランの受付嬢だった。彼女もまた、蔑みのこもった冷ややかな視線をユーリに向けている。
「……何の用ですか」
「新しく仲間になったこの者の冒険者登録と、臨時パーティーの結成手続きだ」
受付嬢は無言のまま溜め息をつくと、カウンターの下から薄汚れた羊皮紙の書類とペンをユーリの前に叩きつけるように置いた。説明すら省く徹底的な冷遇。
ユーリは呆れたようにペンを拾い上げた。
(やれやれ……昨日から今日にかけて、一体何度書類を書けば気が済むんだ)
周囲からの痛烈な視線と悪意が背中に刺さる中、ユーリは一文字も揺らぐことのない達筆な文字で、淡々と書類を埋め始めていった。




