07 優待券ランチと、おじいちゃんの遺志
俺はノートPCの画面を葵先生と一緒に覗き込みながら、サマリーを元に優待品の具体的な処分方針を一つひとつ固めていくことにした。
まずは『そのまま残す(手元に置いておく)もの』だ。
お米や調味料といった食品類は、今後も継続して「たまや食堂」へ提供していくことに決定。お店の仕入れ助けにもなるし、大将やおかみさんにも喜んでもらえる。
QUOカードや全国共通商品券といった金券類は、幸いにも有効期限がない。これは急いで処分する必要もないため、今後俺が生活費の足しとしてゆっくり消費していくことにした。
トイレットペーパーやシャンプーセットなどの日用品群も同様だ。段ボール数箱分という恐ろしい量ではあるが、腐るものでもない。俺の自宅に持ち帰り、そのまま使っていくことにする。……まあ、すべて使い切るまでに何年かかるかは分からないが。
次に『金券ショップで即座に換金するもの』。
外食チェーンの食事券類だ。総額180万円分なんて、到底俺一人で消費できる量ではない。おまけに有効期限が迫っているものも多いため、速やかに金券ショップへ持ち込んで現金化するのが最も賢明な判断だろう。
鉄道・航空の株主優待乗車券や、映画鑑賞券・レジャー施設の入場券なども同様に、金券ショップに持ち込むこととした。
そして最後は『たまや食堂では扱いにくい食料品』の処分だ。
清涼飲料水やビール、大量のレトルト食品、カップ麺。そして賞味期限が迫っている高級和牛肉やハムといった生鮮品。これらは個人で消費するのも限度があり、定食屋の食材としても使いづらい。
そこで葵先生からの提案もあり、最寄りのフードバンク団体へ連絡を入れ、まるごと引き取ってもらうことにした。これなら無駄にならず、地域社会にも貢献できる。
◇
「よし……これで方針はバッチリですね」
全体の方針が決まれば、あとは行動あるのみだ。
俺は前回の発送作業と同じように、フードバンクへの配送に向けて宅配業者へ午後の集荷のWeb予約を済ませ、並行して金券ショップへ手続きの連絡を入れていく。
元SEの手慣れたキーボード操作で手際よく手配を進めていると――ふと、お腹がぐうと鳴った。
時計を見ると、お昼前だ。
お腹も空いてきたことだし、昼飯をどうしようかと頭を巡らせる。
(そういえば、『今月末で期限が切れる外食チェーンの食事券』があったな……)
あれを買い取りに出す前に使ってしまうか、と思いを巡らせていたところで――ふと、先日、葵先生が夕食の差し入れを持ってきてくれたことを思い出して胸が温かくなった。
あれは本当にありがたかったのだ。お腹も心もしみじみと満たされたのを覚えている。
チラリと横を見ると、葵先生は手帳を閉じ、一連の事務作業を終えてひと息ついているところだった。
俺は決心し、思い切って声をかけた。
「葵先生。これ、今月末で期限が切れてしまう食事券なんですけど……これから一緒に使いに行きませんか?」
「え……?」
突然の誘いに、葵先生が少し驚いたように目を丸くする。俺は照れくささを隠しながら言葉を続けた。
「この間の夕食の差し入れ、すごく嬉しかったんです。そのときのお礼をさせてください。期限切れで紙くずになっちゃうのももったいないですし!」
「……」
葵先生はすこし意表を突かれたような顔をし、数秒ほど考え込むように視線を泳がせた。
税理士としての倫理観と、俺からの「お礼」という正論の狭間で葛藤しているのだろうか。
やがて、彼女はふっと力を抜くように小さく吐息をつくと、いつもの冷静な表情を取り戻してうなずいた。
「……まあ、そういうことなら。お言葉に甘えさせていただきます」
◇
駅前のロイヤルホスト。
平日のお昼前の店内は、まだランチタイムのピーク前で混雑しておらず、待つことなく奥の落ち着いたテーブル席に着くことができた。
メニューを開き、ふたりで『日替わりランチ(チキンのジューシーグリル)』を注文する。
注文を終えると、料理が到着するまでのあいだ、心地よい静寂が流れた。
俺の目の前にちょこんと座り、上品にグラスを持ち上げてお冷を口にする葵先生。
…。
……。
ここで、俺は突如として恐ろしい事実に気づいてしまった。
作業の勢いと『お礼』という大義名分で葵先生を誘ってしまったが……。
この、若い男女が二人きりで、ちょっと良いファミレスでランチを食べている状態。
――いわゆる、一種の『ランチデート』という部類なのでは??
それに気づいた瞬間、俺の心臓はドックンと早鐘を打つように激しく鼓動し始めた。
やばい。俺はなんて大それたことをしてしまったのだ。
あからさまに目が泳ぎ、視線の置き場に困る俺。
「……何か?」
そんな俺の不自然な様子に気づき、葵先生が小さく首をかしげる。
「い、いえ、その……」
俺がしどろもどろになっていると、絶妙なタイミングで救いの手が差し伸べられた。
「お待たせいたしました、日替わりランチでございます」
店員さんの爽やかな声とともに、湯気を立てた鉄板とプレートが運ばれてくる。ナイスタイミングです、店員さん!
「あ、美味しそうですね! いただきましょう!」
俺はその場を取り繕うように声を張り上げ、目の前のランチプレートへと意識を強引に集中させた。
動揺を隠すように、懸命にナイフとフォークでチキンを切り分けていると――。
「信之さんって、変わっていますよね」
どこか愉快そうな葵先生の声が聞こえ、思わず顔を上げる。
すると、こちらを見つめて楽しそうに微笑んでいる彼女とバッチリ目が合ってしまった。
「……変わってる? 俺がですか?」
「あ、ごめんなさい。変な意味ではないんです」
葵先生はセットのドリンクバーから汲んできた温かい紅茶を一口飲み、言葉を続けた。
「私、職業柄、莫大な遺産を手にされたご遺族の方とお会いすることが時折あるのですが……」
「そうでしょうね。税理士さんですし」
「そういった方々って、急に気が大きくなって、だいたいわかりやすく散財を始めるんですよ。高級外車を買ったり、タワーマンションに引っ越したり、高そうな時計や宝石を身に着けたり……」
「あー……やっぱり、そういうもんなんですね。まるで宝くじの高額当選者みたいな行動パターンだ」
どこか評論家気取りな俺の返事を聞いて、葵先生は「ふふっ」と可憐に笑った。
「まるで他人事のように言いますが、信之さんもまったく同じ立場ですからね?」
そして、葵先生は俺の目をじっと見つめ、少し真剣な表情を浮かべる。
「でも、信之さんは違います。莫大な遺産が手に入ったというのに、何一つ変わることなく、淡々と日々の生活を送られている。真面目に、一生懸命、膨大な資産整理に時間を費やして……今日だって、こうしてファミレスのランチを本当に美味しそうに食べていらっしゃる」
「ああ……なるほど」
俺は思わず相槌を打った。
言われてみれば、その通りだ。たとえこれから莫大な相続税を払ったとしても、俺の手元には数億円単位の資産が残る計算になる。だが、不思議なほど浮かれた気分にはならないのだ。
なぜだろうと自分の中で理由を探ってみると、答えはすぐにみつかった。
「実は俺……おじいちゃんの資産は、おじいちゃんから『預かった』ように感じているんです。『信之、この優待や資産を、自分のため、周りの人のために有意義に使いなさい』って。だからかな……無駄遣いをしたら、おじいちゃんに天国から怒られる気がして」
葵先生は「ほう……」と小さな声を漏らし、すっと表情を柔らかく緩めた。
「あの変わり者のおじいちゃんの影響を受けて、俺もちょっと世間ズレした感覚になっているのかもしれませんね」
「いいえ」
葵先生は優しく首を振ると、お世辞とも本気ともつかないような、心温まる柔らかな微笑みを向けた。
「おじいさまも……そして信之さんも、とても立派な方だと思いますよ」




