04 先生、もしかして俺を見直しました?
俺は深呼吸をひとつして、未整理エリアの攻略に乗り出した。
頼りになるのは、葵先生が伝授してくれた手順だ。
先生は厳格な記録方法だけでなく、プロならではの効率的な「手の抜き方」もセットで教えてくれていた。
型番や正式名称をいちいちノートに書き留める必要はない。段ボールの口を開けた状態や、束になった優待券をスマホでパシャリと撮影しておけば、それだけで立派な記録になる。不器用な俺の性格を見抜いた上での、ありがたいアドバイスだった。
まずは、一番の目的である『たまや食堂』に届ける品から優先して発掘し、記録を進めていく。
お米、醤油やみりんなどの基本調味料、そして大量の缶詰類。カビや破損がないか目視で検品し、賞味期限も一箱ずつチェックしていく。
これらは記録が済み次第、専用の段ボールへ詰め直した。今日の夕方に宅配業者に取りに来てもらい、『たまや食堂』へ配送してもらう算段だ。
なにしろ食品類は重くてかさばる。食堂で使うほどの量を、ハンドキャリーするのは流石に無理がある。
『たまや食堂』向けの仕分けがひと段落したところで、その他の優待品や書類の記録へと移行した。
作業を進める中で、時折判断に迷うものや不明点が出てきたので、その都度、俺は葵先生にLINEで質問を送っていた。
最初の二回までは、先生も律儀に丁寧な返信をくれていた。だが、三回目の質問を送信した直後――
『今日の仕事帰りに様子を見に行くので、その時にまとめて聞きます』
即レスで返ってきたその短い文章に、画面の向こうで青筋を立てて呆れている先生の顔が、ありありと脳裏に浮かんだ。
来てくれるのは心底ありがたいが……直接顔を合わせるのが、ちょっと怖い。
怒られないためにも作業を進めねばと、一心不乱にダンボールと格闘を続ける。
――ピンポーン。
不意に部屋の呼び鈴が鳴り、ハッと顔を上げた。
いつの間にか窓の外は赤く染まり、部屋全体が夕日に照らされている。時間は午後五時。宅配業者の集荷の時間だ。
やってきた宅配のお兄さんに、『たまや食堂』へ送るお米合計100kgと、調味料や缶詰が詰まった箱、合わせて計10個の段ボールを引き渡した。
これだけあれば子ども食堂はおろか、平日の通常営業分も賄えるんじゃないだろうか。結果としてちょっとした引越しレベルの量になってしまった。お兄さん、本当にごめんなさい……。
けれど、10個もの大きな段ボールが部屋から消えたことで、埋め尽くされていた床に久々の空白が生まれた。
少しだけ風通しが良くなった部屋を見渡し、俺は爽快な達成感を覚えていた。
◇
引き続き、作業に没頭していると、またもやピンポーンと呼び鈴が鳴った。
作業の手を止めて窓の外に目をやると、いつの間にかすっかり日が暮れて街灯が灯っている。
時計を確認すると、時間はすでに午後七時を回っていた。
葵先生の御到着だ。
ドアを開けて中に招き入れると、葵先生は足を踏み入れるなり、「ほう」と感心したような声を上げた。
「すごい、だいぶ片付いたじゃないですか。正直、驚きました」
想定外の褒め言葉が飛んできて、俺はすっかり調子に乗ってしまった。
「そうでしょう? 今日一日中、作業してましたからね!」
鼻高々にドヤ顔を決める俺に、葵先生は「うんうん」と深く頷きながら、どこかおかしそうに口元を緩めた。
「てっきり、まったく片付いていない部屋の真ん中に座り込んで、『全然進んでません、ごめんなさい!』って泣き言を言われるものと思っていました」
「……」
先生は一体、俺のことをどんなダメ人間だと思っているのだろう。
一瞬でドヤ顔が消え去り、急に先行きが不安になってくる。
まあ、定職にも就かずにフラフラしている24歳フリーターだ。最初から期待されていないのも無理はないのかもしれないが。
(これでも俺、こう見えて根はかなり真面目な人間なんですよ?)
心の中でそう呟いてはみたものの、口に出すのはやめておいた。自分で言えば言うほど、なんだか虚しくて惨めな気分になりそうだったからだ。
◇
俺の神妙な顔つきに、先生は「ふふっ」と小さく笑うと、手に持っていたコンビニの袋を少し高めに掲げて見せた。
「お腹が空いているかと思って、食べ物を買ってきたんです。一緒に食べましょうか」
え、俺のために差し入れまで……!?
なんて気の利く、優しい人なんだろう。
そういえば、昼間にコンビニのおにぎりを一個かじったきりだ。言われてみれば、俺の腹はとっくに限界を告げて悲鳴を上げていた。
「ありがとうございます! 正直お腹ペコペコでした……すごく嬉しいです、いただきます!」
部屋の真ん中に置いたローテーブルの上に、おにぎりやサンドイッチ、温かいお茶を広げて、二人で遅い夕食となった。
段ボールの山に囲まれた部屋で、肩を並べてコンビニ飯を食べる若い男女二人――。
(……なんかこれ、新居に引っ越してきたばかりの新婚さんみたいですね)
なんてセリフが喉のすぐ手前まで出かかったが、すんでのところで危うく飲み込んだ。 流石にセクハラだと怒られかねない。
「私、信之さんはもっと、だらしのない人かと思っていました」
お茶を一口飲んだ葵先生が、唐突にズバリと言い放つ。
「うっ……!」
思わず、口に運んだおにぎりが喉に詰まりそうになった。
むせ返りながら慌ててお茶を流し込む俺を、先生はおかしそうに見つめ、
「でも、少し誤解していたようですね。ごめんなさい」
と、まるでイタズラを打ち明けた子供のように、にっと頬笑んだ。
……笑顔が、かわいい。
不覚にも、一瞬見とれてしまった。
自分の顔が赤くなるのを隠そうと、俺は照れ隠しのセリフを必死で探す。
「……やっぱり、24にもなってフリーターやってるのが、ダメなんですかね?」
冗談めかして自虐気味に尋ねてみると、
「ええ、そうですね」
真顔で、一切の迷いもなくはっきりと断言されてしまった。
(……よし、本気で定職を探そう)
俺は心の中で、静かに、しかし強く決意した。
◇
楽しい夕食が終わった後、葵先生へ溜めていた質疑応答を開始した。葵先生は一つひとつの疑問に的確かつ分かりやすく答えてくれて、モヤモヤしていた部分が一気に解消された。
本日の作業はこれで終了。撤収することになった。
帰り際、バイト先の『たまや食堂』へお米や食料を10箱分送った件を話すと、先生はパッと表情を和らげた。
「それはとても良い使い道ですね! 単に溜め込むのではなく、食料を有効活用できて本当に素晴らしいことだと思います」
先生からストレートにお褒めの言葉をいただき、俺の心は一気に満たされた。
その途端、不意に名案が頭に思い浮かんだ。
「よかったら、先生のお宅にもお米とかお送りしましょうか? ええと、よければ住所と連絡先を教えてください!」
我ながら完璧な気遣いだ、と胸を張る俺。
しかし、葵先生は一転して少し渋い顔になり、困ったように首を横に振った。
「すみません、お気持ちはすごくありがたいのですが……立場上、コンプライアンス的に報酬以外の個人的な贈り物を受け取るわけにはいかないんです」
「あ、そうなんですね……! 勉強不足で浅はかな提案をしてしまって、すみません」
先生のプロ意識に納得し、俺は素直に謝った。
だが、葵先生は渋い顔を崩さないまま、どこか探るような真面目な目つきで、俺の顔をじっと見つめ続けている。
「……?」
その威圧感のある沈黙に耐えかねて首をかしげると、先生は眉間にシワを寄せた渋い顔のまま、淡々と問いかけてきた。
「もしかして」
「はい?」
「私のこと、口説いてます?」
「く、口説いてません!!」
あまりの急角度からの指摘に、俺の焦りきった釈明が、夜の静かな部屋に思いきり響き渡った。




