28 食堂天龍、再始動
俺と葵は、『食堂天龍』の立て直しに向け、本格的な事業改善へと乗り出した。
まずは、店舗の業務効率化を図るシステムと設備の刷新だ。
機器の一式は、すでに実績のある『たまや食堂』と同じラインナップをベースにそろえることにした。ただし、天龍の立地や客層、そして昼時の激しいピークタイムを考慮し、一つちょっとした仕掛けを加えた。
それが、スマレジのテーブルオーダー機能による「卓上決済」の導入だ。
客席に設置したタブレット端末から注文を受け付けるだけでなく、そのまま画面上でPayPayなどのQRコード決済や、クレジットカードのタッチ決済までお客様自身で完結できる仕組みである。
「レジ前に設置する自動精算機だけだと、どうしてもランチタイムのピーク時にお会計待ちの列ができてしまうからね。卓上でキャッシュレス決済を済ませてもらえれば、レジ渋滞は劇的に緩和される」
俺がそう提案すると、葵は「なるほど、素晴らしい視点ね」と満足そうに深くうなずいた。
この二段構えの会計フローは、ホールスタッフの手間を削ると同時に、お客様にとってもスマートでストレスのない体験になるはずだ。
資金調達についても、葵の手腕と俺の資産背景が見事に噛み合った。
日本政策金融公庫へ赴き、無担保の事業融資を申請。本来なら実績の浅い事業改善には一定のハードルがあるが、俺が保有する資産のうち、すでに名義変更を終えていた3億円相当の株式資産という圧倒的な信用バックボーンが効いた。結果、設備資金と当面の運転資金として500万円を、年利1.2%という破格の超低金利で引っ張ることに成功したのだ。
設備と資金の目処が立ち、次に取り組んだのが「人」の補強——新たな料理人の獲得だった。
俺たちはゲンの母校である調理師専門学校の就職課を訪ねた。
突撃するのではなく、事前にゲンから恩師へ一本連絡を入れておいてもらったのが大きかった。「信之さんという本当に信頼できる方に天龍の再生を任せているんです。あの店を新しく生まれ変わらせようとしていて」というゲンの熱い後押しもあり、就職担当の先生はとても親身に話を聞いてくれた。
「新卒だけにこだわりません。むしろ、1〜3年ほど現場を経験した既卒のOB・OGで、個人店で包丁を握り、幅広い料理を学び直したいという熱意ある方がいれば、ぜひ紹介してほしいんです」
俺たちの真摯なリクルート活動とゲンの存在が功を奏し、学校から一人の卒業生を提案された。
大鳥敏夫、22歳。
専門学校を卒業後、有名ホテルの調理部に就職したものの、巨大な厨房での大量仕込みや分業作業の毎日に追われ、どこか虚しさを抱えていた青年だった。もっとお客様の顔が見える距離感で、仕込みから調理、提供まで手触りのある仕事をしたい——そう悩んで母校に相談へ来ていたタイミングと、俺たちの求人が奇跡的に合致したのだ。
面談で会った大鳥くんは、ハキハキとした挨拶と、料理に対する素直で真っ直ぐな情熱を持った申し分のない青年だった。学校側からも「技術の基礎もしっかりしていて、何より真面目だ」とお墨付きをもらい、即座に採用が決まった。
公庫への融資申請と面談、審査通過に約1か月。
並行して進めた採用活動と大鳥くんの引き継ぎ・入社までに約1か月半。
そして、スマレジや自動精算機の納品・配線工事、メニュー登録、スタッフや大将、大鳥くんを交えたオペレーションのトレーニングに約半月。
借り入れの手続き、設備の導入、そして新しい料理人の受け入れ。
これらすべての準備を一つひとつ確実にこなし、新装『食堂天龍』として再スタートを切るまでに要した期間は、ちょうど3か月だった。
短すぎず、かといって無駄な停滞もない。盤石の体制を整えた俺たちの前に、いよいよ新しい天龍の暖簾が掲げられようとしていた。
◇
新装開店の当日。俺は調理補助の手伝い兼、新しく導入したタブレット端末や自動精算機のトラブル対応要員としてエプロンを締め、店に立った。
店は初日から、俺たちの期待通りのパフォーマンスを発揮した。
平日の昼どき。
11時半を過ぎたあたりから、暖簾をくぐるサラリーマンや学生たちが次々と押し寄せてくる。
店内はあっという間に満席になったが、以前のような混雑による滞留感はどこにもなかった。
お客様たちは席につくと、手慣れた様子で卓上のタブレットから思い思いのメニューを打ち込んでいく。
画面上で注文が確定した瞬間、厨房のキッチンモニターへ順番に伝票データが流れ、オーダー音が心地よく響く。
その表示を素早く確認しながら、天龍の大将と大鳥くんが息の合った連携で包丁と鍋を振るっていく。
「ようし、トシ。気合い入れていくぞ!」
「はい、大将!」
大将の威勢のいい声に、大鳥くんが元気よく応える。まるで仲の良いおじいちゃんと孫のような二人の掛け合いを微笑ましく眺めつつ、俺は厨房の片隅で自動食洗機の調子を確認した。排水と洗浄ノズルの動きをチェックする。よし、稼働に異常なしだ。
次々と出来上がる出来立ての料理を、女将さんが迷いのない足取りで各テーブルへ運んでいく。
以前なら「注文聞き」「配膳」「レジ打ち」「片付け」をすべて一人で抱え込み、パンク寸前だった女将さんだが、今は配膳とテーブルの片付けだけに100%集中できていた。
お客様の方も、食べ終わると卓上のタブレットで手早くPayPayやクレジットカードのタッチ決済を済ませ、スマートに席を立つ。現金払いのお客様だけが入口の自動精算機に寄るため、以前のようなレジ前の長い渋滞は一切発生しない。
提供スピードの圧倒的な向上と、ストレスフリーな卓上会計。
この二つが完璧に噛み合ったことでテーブルの回転率は格段に上がり、これまでランチの混雑を見て諦めていたお客様までもスムーズに吸い上げることができた。
結果として、新装初日の売上は導入前の実に【2倍】という素晴らしい数字を叩き出した。
営業を終え、まるで放課後のような静けさが戻った店内。
大将と女将さんは感極まった表情で俺と葵の手を強く握りしめ、「ノブ、葵ちゃん……これで店をたたまずに済むよ。本当に、本当にありがとう」と、何度も頭を下げてくれた。
俺と葵は「いえ、大将と大鳥くんの頑張りのおかげですよ」と、少し照れくさそうに頭をかいた。だが、胸の奥には確かな成果を出せた喜びと、やり遂げた大きな充実感が込み上げていた。
もちろん、これで全てが終わったわけではない。
今後、大将と女将さんの本格的な隠居を見据えれば、さらなるホールスタッフの補充や、バックオフィス業務・会計作業の外注化など、継続して進めるべき課題は残っている。
だが、店を未来へ残すための強固な土台は、間違いなく完成させることができた。
『食堂天龍』は、もう大丈夫だ。
俺と葵は、手に残る大将たちの温もりと確かな手ごたえを胸に抱きながら、西日の差し込む食堂天龍を後にした。
◇
『食堂天龍』の再生がようやく一段落を迎えるころ、俺はもう一つの大きな課題だった相続税の手続きを完了させていた。
相続税の納付総額は、実に3.8億円。
膨大な金額だったが、おじいちゃんが残してくれた株式を計画的に売却することで、必要な資金をしっかりと準備することができた。
税務署への申告と手続きは、全面的に葵の力を借りた。
法定期限は10か月だが、書類の不備や予期せぬトラブルを見越して葵が設定していた「9か月」という実質的な目標ライン。天龍の事業改善と並行しながらの過密スケジュールだったが、葵の緻密なタスク管理のおかげで、予定通り9か月ギリギリのタイミングで無事にすべてを終わらせることができたのだ。
『食堂天龍』の改革も片付き、自身の重い相続税の問題もすべてクリアした。
肩の荷が下りた俺は、本拠地である『たまや食堂』へと戻り、ゲンとともに再び厨房で包丁を握る平穏な日常へと帰ってきた。
だが、そんな安堵も束の間。
静けさを破るように、外食大手メガ・ディッシュの神山から一本の連絡が入った。
「桐山さん。連絡が遅くなって申し訳ない」
電話の向こうから聞こえる神山の声は、どこか改まった響きを帯びていた。
「うちから桐山さんへ店舗様をご紹介する件ですが、社内で結論が出ました。一度、直接お会いできないでしょうか?」
天龍の再生を果たした俺たちの前に、また新しい動乱の予感が漂い始めていた。




