26 昨日の敵は、今日の相席
翌日の昼時。
『食堂天竜』は平日ということもあり、近隣のサラリーマンや学生たちで溢れかえり、活気に満ちていた。
俺と葵さんは、入り口付近のテーブル席にちょこんと並んで座り、店内の様子をきょろきょろと窺っていた。
今日は『食堂天竜』に導入する設備投資の内容を具体化するため、まずはピークタイムの現場を見学させてもらおうと、昼の営業に合わせて訪れていたのだ。
当初は邪魔にならないよう店の奥からそっと様子を見させてもらう予定だったのだが、
「昼時に突っ立ってたんじゃあ、腹が減るだろう? 昼飯食いながら見物していってくれ」
という大将のお言葉に甘え、こうしてテーブル席でランチ定食の到着を待っているというわけだった。
時計の針は、ちょうど十二時を少し回ったところ。二十ほどある席は、すでに完全に埋まっていた。
「葵さん。これはすごいですね。素晴らしい客の入りだ」
俺が隣の葵さんに感心したように感想を漏らすと、彼女は「そうですね。ただ……」と小さく呟き、視線を厨房の方へと向けた。
視線の先には、汗を流しながら必死に調理に励む大将と、配膳の準備で慌ただしく動き回るおかみさんの姿がある。
「今日のスタッフは、大将夫婦だけのようですね。残念ながら……客数を裁き切れていません」
葵さんは少しトーンを落として言った。
まさに葵さんの言う通りだった。
調理と配膳のキャパシティを超えてしまっているため、どうしても料理の提供に時間がかかり、回転率を上げることができずにいる。
客層はサラリーマンや学生といった、昼休みの時間が限られている忙しい人たちだ。料理の提供時間さえ短縮できれば、長居せずにサッと食事を済ませて出ていくため、もっと多くの客を回転させられるはずなのだ。
ふと入り口に目を向けると、店内に入りかけたサラリーマンの二人組が「うわ、満員か……」と残念そうにつぶやき、そのまま諦めて出ていくところだった。
「葵さん。今も、お客さんが他に行ってしまいましたね。これはすごくもったいないですね……」
「ええ。需要に対して供給が完全に追いついていない状態です。まさに、設備投資による業務効率化で劇的な成果が期待できそうですね。……ところで」
真面目な顔で分析していた葵さんが、不意に言葉を区切り、上目遣いで俺をじろりと睨みつけてきた。
「信之さん?……私たち、一応お付き合いを始めたと思うのですが、その……信之さんの言葉遣い、丁寧すぎませんか?」
語尾を少し濁しながら、葵さんは頬をわずかにふくらませている。
かわいい。
「あ、すみません。つい、いつもの癖で……。でも、確かにそうですね。それじゃあ……」
俺は一瞬思考を巡らせたあと、覚悟を決めて葵さんの目を真っ直ぐに見つめた。
「葵。……今も、お客さんが他に行っちゃったよ。これ、すごくもったいないよね?」
「っ……いきなり呼び捨て!?」
葵さんはガバッとこちらを振り向くと、顔を真っ赤にしてぷいっと横を向いてしまった。
横顔を覗き込むと、頬どころか耳の先端まで真っ赤に染まっている。
(自分から言ってきたくせに、照れてる……)
まったく、かわいい。
――その時、
ガラガラと引き戸が開き、入り口の暖簾がくぐられた。
一人のお客が入ってくる。
その顔に、俺は思わず目を見張った。見覚えがある。
そう――昨日、この店で対峙したあの男。メガ・ディッシュの若手営業マン、神山だ。
神山は店内をきょろきょろと見渡し、とたんに俺たちと目が合った。
「あ……」と一瞬引きつったような表情を浮かべたものの、すぐに気まずそうにぺこりと会釈をしてくる。
そこへ、お冷を持ったおかみさんがやってきて、「おや。どうしたんだい?」とどこか警戒の混じった表情で神山に問うた。
「いえ……すみません。今日は仕事としてではなく、一人の客として伺いました。……よろしいでしょうか?」
「はあ。そういうことなら大歓迎だよ。いらっしゃい」
おかみさんはホッとしたように表情を緩めると、俺たちの席を指さした。
「ちょうど桐山さんたちも来ているんだよ。相席でもいいかい?」
「はい、ありがとうございます」
こうして俺たちは、突如、メガ・ディッシュの営業マンである神山と三人でランチを共にすることとなった。
◇
俺たちの向かいに腰かけた神山は、恐縮したように肩を縮こまらせながら口を開いた。
「実は……私ども、これまで天竜さんに何度も営業に来させていただいていたのに、一度も天竜さんの料理をいただいたことがなかったんです」
神山は俺と葵の視線を受けると、小さく「すみません」と頭を下げた。「飲食店への営業で料理も食べないのはダメだろう」と、俺たちの顔に書いてあるのを読んだのかもしれない。
神山はお冷を一口口に含み、言葉を続ける。
「それで……昨日のお話で、大将さんが命がけで守ると言われていた『天竜の味』を、どうしても確かめたくなりまして」
「勉強熱心なんですね」
俺が素直に感心してそう返すと、神山は苦笑いを浮かべながら頭をかいた。
「いやあ……ただの負け惜しみなのかもしれません。あるいは、自分の未練がましさゆえなのか」
「なんとなく、わかります」
葵が優しく相槌を打った。
その言葉に、神山は、「恐縮です」とぺコリと頭を下げ、話をつづけた。
「昨日、桐山さんに生意気な口をきいてしまいましたが……あれは正直、桐山さんのことが羨ましかったんです」
「俺が、羨ましい……?」
「ええ。僕なんかは何の力もないですから、組織に所属して、その方針やルールの中で動くしかない。それに比べて桐山さんはお若いのに力をお持ちで、思い描いた通りに動くことができる。それが、とても羨ましかったんです」
神山のまっすぐで飾らない告白に、俺は思わず背筋を伸ばした。
だが、おじいちゃんから譲り受けた資産のおかげで資金繰りに不自由していないのは事実だ。自分がどれほど恵まれた環境におり、貴重な特権を手にしているのかを、改めて再認識させられる。
「でも――」
神山が少しトーンを上げて言葉を継いだ。
「メガ・ディッシュのフランチャイズの話を、喜んで受けてくださるお店も多いんです。飲食店経営を割り切った『ビジネス』として捉えている経営者様もたくさんいらっしゃいますから。ただ……天竜さんのように、ご自身の味と暖簾にこだわりを持たれているお店からは、やはり良い顔はされませんね」
「なるほど……。置かれている状況や考え方によって、ケースバイケースということか。それにしても神山さん、ご自身の仕事や業界のことをすごくしっかり考えておられてすごいです」
「いやあ、買いかぶりすぎですよ」
神山が恐縮して謙遜したタイミングで、「はい、お待たせー!」とおかみさんが湯気立つランチ定食を運んできてくれた。




