23 老舗の味と、フランチャイズの誘惑
京王線の府中駅を降り、再開発された駅前の喧騒を抜けて裏路地を少し歩いたところに『食堂天竜』はあった。
立地は抜群だ。周辺のオフィスビルや、近くの大学から行き交う人々を飲み込むには絶好の場所で、長年サラリーマンや学生たちの胃袋を支えてきた歴史がその佇まいからにじみ出ている。
からからと引き戸を開けて暖簾をくぐると、どこか懐かしい昭和の店内が広がっていた。間取りや厨房の位置まで、『たまや食堂』によく似ている。
「いらっしゃい――おお、あんたがあいつんとこの二代目かい!」
名を名乗ると、奥から出てきた大将夫婦に熱烈に迎えられた。
「待っていたよ。わざわざ遠くまで済まないねえ。まあまあ、税理士先生まで来ていただいて、本当にありがたい」
『食堂天竜』の大将は、御年八十二歳。おかみさんも同い年だという。
「いやあ、年には勝てねえよ」と笑う大将は至って健康そうだが、八十を過ぎての現場仕事に、流石に体力と気力の衰えは隠せないようだった。
さっそく小上がりに腰を掛け、話を聞いた。
抱えている課題は、やはり『たまや食堂』と痛いほど似通っていた。店主の高齢化と後継者不在、昨今の物価高騰による食材コストの圧迫、そして決定打となる深刻な人手不足だ。
(……客足は悪くない。需要も十分にある。それなのに店を回せないなんて、実に歯がゆい)
俺は、『たまや食堂』で実施した構造改革についてひとつひとつ説明を始めた。
業務効率化の具体的なイメージを俺が語り、財務や損益計算上の効果については、隣の葵さんが専門用語をかみ砕いて鮮やかに補足してくれる。
「要するにですね、最新の機器を入れて現場の無駄な労働時間を削れば、その分だけ人件費、すなわち、固定費をぐっと圧縮できるんです。そこで浮いた資金を、お店の要となる若い調理人の雇用と給与にしっかり還元する。これが俺たちの成功パターンです」
真剣な眼差しで話を聞く大将とおかみさんの反応を見ながら、俺は確信を深めていた。
(いける。『たまや食堂』の再生スキームは、ここ『食堂天竜』にもほぼそのまま適用できる!)
もちろん、俺が二代目として厨房に立つという『たまや食堂』独自の手段は使えない。また、おじいちゃんの株主優待品の米や食材を回す手法も、たまや食堂の消費分で手一杯のためここでは使えない。
だが、「設備投資によって削減した人件費を、キー人材である調理人の獲得に充てる」という本質的なモデルさえ機能すれば、この店は自力で蘇る。
「ぜひ、それで話を進めてくれ! お願いするよ」
大将が膝を叩き、乗り気になってくれた。
「わかりました、すぐ、具体的なプランをまとめます。」
俺がそう告げると、「よろしく頼むよ」と大将とおかみさんはうなずいた。だが、ふたりの表情には、まだ何か言いたそうな重苦しい影が残っていた。
気になって首を傾げると、大将が意を決したように言った。
「……実はな、もうひとつ相談があるんだ」
そう言って、大将は使い込まれたテーブルの上に一冊の厚いパンフレットを置いた。
表紙には、不穏な文字が躍っている。
『フランチャイズのご提案 株式会社メガ・ディッシュ』
「これは……?」
俺が聞くと、おかみさんが静かに、だが不安そうに説明してくれた。
「実は先月からね、この会社から『うちのフランチャイズにならないか』って営業が何度も来ているのよ。料理はすべて本部のセントラルキッチンっていうのかい?そこから湯煎するだけの状態で届くから調理の手間がかからないし、足りないスタッフも本部から派遣できるから心配いらない、って……」
後を受けるように、大将が語気を強めた。
「だがな、そんなもん天竜の味じゃねえ! いくら経営がひもじいからって、俺ぁそんな、自分で暖簾をたたむような真似はしたくねえんだよ!」
悔しそうに拳を握りしめる大将。そこへ、おかみさんがすがるような目で俺たちを見つめた。
「それでね……その営業の人と明日、店で直接話すことになっているの。でも、私たち老人二人だけじゃ、どうしても心もとなくてね。……厚かましいお願いだけど、あなたたち、同席してもらえないだろうか?」
たしかに、知識のない高齢の夫婦だけでは、営業の甘い言葉に言いくるめられて断りきれなくなる恐れがある。
俺が葵さんに視線を送ると、彼女は声もなく、力強くうなずく。
「わかりました。明日、俺たちも一緒に同席します」
俺が大きくうなずくと、大将夫婦はホッと胸を撫で下ろし、心底救われたような表情を浮かべたのだった。
◇
明日の対決に向けた短い打ち合わせを終え、訪問時間を約束してお暇しようとすると、
「ぜひ、うちの料理を食っていってくれ」
「これくらいのことしかできなくて申し訳ないんだけどねえ」
大将とおかみさんのお言葉に甘え、俺と葵さんは少し早い夕食をいただくことにした。
大将が奥の厨房で腕を振るい、やがて運ばれてきたのは、揚げたて熱々の『ロースかつ定食』だった。
きつね色にカラリと揚がった大ぶりのとんかつから、香ばしいラードの匂いが立ち上り、一気に食欲を刺激する。
箸で持ち上げ、特製ソースをたっぷりくぐらせて口へと運ぶ。
――サクッ!
静かな店内に、軽やかな心地よい音が響いた。
粗めの衣はどこまでも香ばしくサクサクで、その直後、中に閉じ込められていた分厚いロース肉から、あたたかい肉汁と上質な脂の甘みがジューシーにあふれ出してくる。噛むほどに肉本来の強い旨味が口いっぱいに広がり、思わず目を見張るほど柔らかい。
添えられた細切りのシャキシャキしたキャベツと一緒に頬張れば、その瑞々しい甘みが肉の脂と完璧に調和し、箸が止まらなくなる。
「んんっ……! おいしぃ~……っ!」
隣で一口食べた葵さんも、両頬をゆるませ、思わずといった様子で感嘆の声を漏らした。目を丸くしてうっとりと噛みしめている。
出汁の効いた味噌汁と、ツヤツヤの炊きたて米。どれをとっても隙がない。
同じ師匠のもとで修業しただけあって、基本の味付けや仕込みの丁寧さは『たまや食堂』の味にどこか通じるものがある。だが、甘みとコクの効いた秘伝のソースや絶妙な火入れには、大将がこの道一筋で長年磨き上げてきた「食堂天竜だけの完成された味」が凝縮されていた。
「たしかに、この味は絶対に途絶えさせちゃいけない……」
俺はロースかつを夢中で口へ放り込み、おもわず、そうつぶやいた。
隣を見ると、口いっぱいに頬張って幸せそうにもぐもぐしていた葵さんも、力強く深くうなずいてくれたのだった。
◇
翌日の午後。
俺たちは『食堂天竜』の店内で、メガ・ディッシュの営業と対峙していた。
使い込まれたテーブル席。大将夫婦の向かいに座るのは、神山と名乗る若い営業マンだ。俺と同年代、おそらく入社二、三年目といったところだろう。その隣には、四〇代半ばと思われる田島という男がどっしりと腰掛けている。こちらは百戦錬磨の気配を漂わせるベテランで、神山のお目付け役といった風情だ。
そして、大将夫婦を守るように、俺と葵さんが左右に陣取った。
互いの挨拶が済むと、天竜の大将がおもむろに切り出した。
「何度も足を運んでもらって悪いんだがね、この店の再建は彼に任せることにしたんだ。この桐山は、俺の弟弟子の店もみごとに立て直したやり手でね」
その言葉に、神山は一瞬言葉を失った。だが、すぐさま体制を立て直し、営業らしいスマートな笑みを浮かべて反論する。
「……なるほど。ですが、店舗を再建するとなれば、それなりの初期資金が必要となりますよ? 厳しいことを申し上げるようですが、今の天竜さんの財務状況では銀行融資を受けるのも難しいかと」
「その必要資金なら、僕が個人で融資します」
俺が即答すると、「えっ……」と二人の営業マンは同時に俺の顔を凝視した。
俺は畳みかけるように言った。
「僕のやり方なら、天竜の味と暖簾をそのまま残した上で、確実に再建してみせます」
だが、神山も引き下がらない。スーツの襟を正し、力強い口調で食い下がってくる。
「ですが、個人のお取り組みでは再建までに時間がかかるのではないでしょうか? しかも、失礼ながら一〇〇%成功する保証もない。それに比べて弊社のフランチャイズ契約なら、よりスピーディに、確立されたシステムとスキームで確実に再建を果たせます」
神山はキリッとした眼差しで俺を真っ直ぐに見据えた。
「大変失礼ながら、桐山様は大変お若い。僭越ながら『信頼と実績』という点におきましては、業界大手である弊社に一日の長があると自負しておりますが」
――信頼と実績。
大手上場企業の看板を背負ったその言葉は、確かに正論だった。具体的な実績の規模で比べられれば、俺個人では太刀打ちできない。
うっ、と息を呑み、一瞬言い返せなくなる。
大将とおかみさんが、心配そうに俺と神山の顔を交互に見つめた。
重苦しい沈黙が落ちかけた、その時だった。




