22 たまや食堂の継承と、新たな挑戦
「おい、ゲン! 包丁の筋がなってねえぞ!」
今日も、大将は小上がりに腰掛け、佐々木源太に熱い激を飛ばしている。
怒声ではあるものの、どこか楽しげで声が弾んでいるのが丸分かりだ。
「はいっ、すんません!」
ゲンは弾けるような声で元気に返事をすると、右へ左へ厨房内を慌ただしく駆け巡る。
その光景はまるで、おじいちゃんと孫がじゃれ合って遊んでいるかのようだ。
(なんだか微笑ましいな……)
内心でそんなことを思いながら様子を眺めていると、ゲンが仕込みの合間にすり寄ってきた。
「ノブさん……俺、もう毎日いっぱいいっぱいっすよ~」
口ではそんな愚痴をこぼしているものの、その瞳は輝かんばかりにキラキラとしている。
それもそうだろう。勤務初日から大将直々に実践の技術を叩き込まれているのだ。若手にとって、これほどやりがいのある環境もないはずだ。
ゲンは素直で、明るく、何より根っからの働き者だ。大将の元で揉まれれば、間違いなく良い職人になるだろう。
――ただ、一点だけ。大きな問題があった。
「あ、ノブさん。カウンターのあの子、めっちゃ可愛いっす」
「あっちのテーブルの学生さん、マジでタイプっすわ……!」
仕事の最中、隙さえあれば厨房から客席をチラチラと覗き込み、口を開けばそんなことばかり言っているのだ。
文字通り四六時中そんな調子なので、最初は「仕事に集中しろ!」と激しい雷を落としていた大将も、今や諦めたように何も言わなくなった。 呆れて物も言えないとは、まさにこのことだろう。
まあ、19歳の健全な男子だ。そういうお年頃なのも理解できるし、若いエネルギーが有り余っているのだろう。仕方がないとは思いつつも、そのうち接客にかこつけてお客さんをナンパし始めないかと、俺はハラハラと心配していた。
そんな感じなので、彼が葵さんと初めて顔を合わせた時の騒ぎようといったらなかった。
「めちゃくちゃタイプです!」と大騒ぎし、挙げ句の果てには「ノブさん、あのお姉さん紹介してくださいよ!」としつこく食い下がってきたのだ。
弱り果てた俺が、「……彼女は、俺の(相棒)だ!」とぴしゃりと言い放つと、ゲンはようやく静かになった。
(嘘は言っていないし、まあセーフだろう)
「なあんだ……そういうことなら早く言ってくださいよー」
と、分かりやすくしょぼくれて見せたゲンだったが、まあ根は実に素直で可愛い奴だ。
(お前くらい元気で素直なら、そのうちすぐ素敵な彼女ができるさ)
と、心の中でひそかにエールを送ったのだった。
幾分極端ではあるが、若い情熱を仕事や恋愛に全力でぶつける姿は、見ていて実にすがすがしくもある。
(がんばれよ、ゲン)
俺が温かい眼差しで見守っていた……まさにその翌日のことである。
「こんにちはー!」
休みの合間を縫って、みどりちゃんがふらりと店に遊びに来てくれた。
「みどりちゃん、ひさしぶり。どう調子は?」
「はい。インターンも、順調にがんばってます!」
久しぶりの元気な顔に店内がパッと華やぐ中、案の定、ゲンが目を丸くして騒ぎ出した。
「うわっ、めっちゃ綺麗な人! 超タイプです!!」
昨日あれだけしょげていたというのに、懲りずにまたしても大騒ぎを始めるゲン。
(……やっぱり前言撤回だ。お前、もう少し自重しろ)
◇
そんななか、俺は大将と相談のうえ、厨房に小型の業務用食器洗浄機と高機能なフードプロセッサーを手配・導入した。
業務用食器洗浄機が100万円。フードプロセッサーが20万円。合計で120万円の投資だ。費用はすべて、おじいちゃんの資産から一括キャッシュで手配した。
搬入された最新機器は、初日から期待以上の凄まじい威力を発揮してくれた。
業務の手間を激しく減らせる最新設備と、右へ左へ元気に動き回るゲン。
フロアの卓上タブレット導入に続き、『たまや食堂』の心臓部である厨房もまた、劇的な稼働率向上に成功したのであった。
最近シフトに入れていないみどりちゃんや、ゼミで忙しく最近シフトを減らしているサブの穴は、こうしてDXや機械化で見事に補うことができた。
また、子ども食堂で使用するお米や調味料といった食材は、株主優待の品で補充することで調達コストを劇的に削減。
人件費の最適化、回転率の向上、そして原価の抑制。
『たまや食堂』のマネーフローは劇的に改善し、今や文句のつけようがない財務健全食堂へと生まれ変わっていた。
あの日、おかみさんからのSOSを受けて店に駆けつけた日から、わずか数ヶ月でのV字回復だ。
(『たまや食堂』の未来は、明るい)
小上がりから食洗機の力強い稼働音に目を細める大将と、汗を拭って充実した笑顔を見せるゲンの背中。その輝くような厨房の景色に、俺の予感は静かな確信へと変わっていた。
◇
すっかり日差しの強くなった、盛夏の頃のことだ。
毎日をなんとか乗り切っていた日々が嘘のように、厨房ではゲンがテキパキと仕込みをこなし、立派に一人前の顔つきを見せている。
たまや食堂の経営は完全に軌道に乗り、俺の心にも、そして懐にも十分な余力が生まれていた。
そして、この頃――。
俺は大将とおかみさんから、正式に『たまや食堂』を引き継いだ。
「これで、安心して老後を過ごせるよ」
御年八十になろうかという大将が真顔でそんなセリフを吐くのだから、なんだか可笑しくて、同時にたまらなく愛おしかった。
だが、その言葉に嘘はない。大将とおかみさんの生活は、文字通り一変したのだった。
これまで人生のすべてを『たまや食堂』に捧げ、休みなく働き詰めてきたふたり。
それが今では、おかみさんが気が向いた時にだけ店の手伝いに顔を出し、大将は暇な時間を見計らっては小上がりに腰掛け、楽しそうに厨房へ激を飛ばす。そして「ちょっと行ってくるわ」と、ふらりと二人で温泉旅行へ出かけていくようになったのだ。
なんせ、店舗の不動産を所有する大将へ、俺から毎月20万円の店舗賃貸料を支払っている。
自営業として長年納めてきた夫婦ふたり分の国民年金、月約13万円。そこにこの家賃収入が加われば、月に33万円以上の安定した収入になる。もう身体を鞭打って働かなくても、十分に余裕を持って暮らしていける額だ。
店を守り抜き、地域に愛され続けてきたふたりだ。
これまで頑張ってきた分、これからの少し遅い「第二の人生」を、心ゆくまで謳歌してもらいたいと切に思う。
◇
そんなある日の仕込み上がり、大将がどこか言いづらそうに、俺に声をかけてきた。
「ノブ……ちょっと頼みたいことがあるんだ。……俺の修行時代の兄弟子がやってる店を、助けてやってくれねえか」
聞けば、場所は東京の府中。オフィス街と繁華街が交差する、サラリーマンの胃袋を支えてきた老舗の個人食堂だという。
だが、その窮状はかつてのたまや食堂と痛いほど似通っていた。
店主の高齢化。後継者不在。大手チェーンとの人材獲得競争に敗れ、シフトが埋まらず削られていく営業日数――まさに、個人商店が陥る典型的な「負のスパイラル」だった。
「立地もいいし、サラリーマンの需要も絶対にある。……ただ、やり方が今の時代についていけてねえんだ」
大将の頭を下げんばかりの頼みに、俺は力強くうなずいた。
負のスパイラルを断ち切るために必要なのは、ただ一つ。
最新設備による省力化と、そこから生まれる余力を使った「人材への思い切った投資」だ。
だが、それには当然、まとまった初期費用がかかる。
業績が傾いた個人商店に、銀行がそんな大金をポンと貸してくれるはずもない。
(――だが、俺ならできる)
おじいちゃんから譲り受けた資産、そして『たまや食堂』で証明してみせた成功のノウハウ。それらはすべて、この時のためにあったのだと確信する。
「ノブさん!留守は任せておいてください!」
頼もしく胸を叩くゲンに後を任せ、俺は府中へと向かう。
隣には、俺の「相棒」葵さんが歩く。
「……葵さん。府中まで、一緒に来てくれますか?」
突然の打診にもかかわらず、葵さんは驚く素振りも見せず、どこか誇らしげに目を細め、
「もちろんです。……信之さんは、そうでなくっちゃ」
そう力強くうなづいてくれたのだ。
ふっと可憐に笑う葵さんの表情には、これから始まる新しい挑戦への期待と自信が満ちあふれていた。
『たまや食堂』で芽生えた一筋の光を、今度は府中へ。
俺と葵さんは、困っている誰かの「居場所」を守るため、新たな戦いの地へと乗り込んでいくのだった。




