17 優待リストと、新たな仲間探し
翌日、昼の営業が落ち着いた頃合いを見計らって『たまや食堂』にやってきた葵さんに、俺は保有銘柄の売却方針について説明した。
俺たちは客席の小上がりに近いテーブル席に並んで座り、俺が持ち込んだノートPCの画面を二人でのぞき込む。画面に表示されているのは、おじいちゃんが残した株主優待銘柄のEXCELシートだ。
「これからの『たまや食堂』や子ども食堂の運営に役立つ優待は、手元に残そうかと思っているんです」
俺は画面を指さしながら話を続けた。
「そのために、まず銘柄ごとにどういった優待品がもらえるのか、詳細を追記しまして……」
そう言って、EXCELシートの『優待内容』と書かれた列を、マウスのホイールでさーっと下までスクロールしてみせる。何百行と続く細かなデータを前に、葵先生が目を見開いて「待った」をかけた。
「えっ? これだけの優待情報、全部信之さんが手入力で追記していったのですか!?」
「あ、いや……そこですか?」
思わぬところに反応されて不意をつかれたが、俺は頭をかきながら苦笑いした。
「いいえ。プログラムを組んで、Webから自動で最新情報を取得して流し込みました」
「はぁ……! すごいですね、信之さん。本当に何でもできちゃうんですね!」
葵先生は両手を合わせて、心底感心したように目を輝かせる。
どうも葵さんは俺のことを少し買い被っている節があって、面と向かって褒められるとどうにも恐縮してしまう。
「あ、ありがとうございます……。で、ですね」
俺は気を取り直して、画面に視線を戻した。
「優待銘柄の列にフィルタをかけまして、お米や調味料、お肉なんかの『残すべき品目』以外で絞り込みます。その上で、含み益の大きい順に降順ソートをかける。あとは基本的に、上から順番に売却していけばいいかなと」
さらさらっと慣れた手つきでキーボードとマウスを操作しながら説明していく俺の横で、葵さんは「はぁ」とか「へぇ?!」と、都度感嘆の声を漏らしながら真剣に聞き入ってくれた。
……まったく、葵さんは本当におおげさで、こちらがむず痒くなってしまう。
ともあれ一通りの説明を終え、試しにどんな銘柄があるのか二人で眺めてみることにした。だが、リストを見ていくうちに、俺たちの会話はだんだん雲行きが変わってきた。
「……ねえ信之さん、このラーメン屋さん。確かお店の場所、埼玉県ですよね? おじいさま、なんでわざわざこんなところの優待株を買われたのかしら?」
「えっ、本当だ。……あ、こっちのスパ・プールの無料利用券って、江の島にあるって書いてありますね。おじいちゃん、江の島なんて行ったことあったのかな……?」
「ふふっ、あら……あ、でも見てください信之
さん! これ、優待品が『コンタクトレンズのケア用品セット』になってますよ!?」
「うわ、本当だ! おじいちゃん、ずっと眼鏡だったのに!」
最初は真面目な資産運用の相談だったはずが、いつの間にかおじいちゃんの迷走気味な銘柄チョイスに対するツッコミ大会になっていた。
とはいうものの、こうしておじいちゃんが集めた優待の品々を眺めていくのは、まるで目に見えないおじいちゃんと会話をしているみたいで、なんだか楽しかった。
そんなふうに二人でキャッキャッと盛り上がっていると、ふと俺たちのテーブルに人影が近づいてきた。
「あのぉ、おふたりにちょっとだけ、相談というか、お話させてもらってよいですか?」
振り返ると、エプロン姿の みどりちゃんが、どこか緊張した面持ちで佇んでいた。
◇
「うん。いいよ。どうぞ座って」
俺が促すと、みどりちゃんは俺たちの前の空いている席にちょこんと座り、遠慮がちに話し出した。
「私、この春から3年になるんですけど、そうすると、就活を始めないといけなくて。でも、どんな会社が良いか全くわからなくて……。それで、社会人の先輩であるお二人に、就職先についてアドバイスをもらえればなあと」
「そんなことか。就職先のしくじりについては、存分にアドバイスで
あきるよ」
「信之さん、そこ、胸を張って言うところじゃない気もしますが……」
隣で葵さんが、くすりと笑いながら小声で突っ込んでくる。
「ノブ先輩、ありがとうございます! では、ぜひ……!」
そんなわけで、期せずして『たまや食堂』のテーブル席で、急ごしらえの就職相談会が開催されることになった。
俺がみどりちゃんに伝えられたのは、主に自分の専門だったIT・システム開発業界の現実だ。この業界は建設業と同じような多重請負構造、いわゆる「ITゼネコン」の体質が色濃く残っている。元請けから一次請け、二次請け、孫請けへと業務が下りていくにつれて、納期は厳しくなり、現場の負担ばかりが大きくなっていく。
「もしITやシステム関係に興味があるなら、できるだけ元のクライアントに近い『川上』の企業を狙うこと。二次請け、孫請け以下のSES(客先常駐)中心の会社は、本当に自分の技術が身につきにくいし体力も削られるから、できれば避けたほうがいい。……これは身をもって経験した俺からの切実なアドバイスね」
「はぁ、なるほど……! 表向きは華やかに見えても、構造がどうなっているかが大事なんですね」
ノートを広げたみどりちゃんが、真剣な眼差しで俺の言葉をペンで書き留めていく。
続いて、葵さんが優しく微笑みながら口を開いた。
「税理士や弁護士、行政書士みたいな『士業』の世界も、外から見るイメージとはちょっと違うところがあるんだよ」
葵さんは手元の温かいお茶に視線を落とし、自身の経験を振り返るように語り始めた。
「資格を持っていれば一生安泰、って思われがちだけど、実際は独立するにしても事務所に勤めるにしても、本質はサービス業であり営業職なの。専門知識があるのはスタートラインに過ぎなくて、最終的にお客さんから選ばれるかどうかは『相手の悩みにどれだけ寄り添えるか』っていう人間性やコミュニケーション能力にかかってるんだよね」
「へぇ……! 税理士さんって、数字とパソコンに向き合っているお仕事だと思っていました」
「ふふ、もちろん計算も大事だけどね。でも、みどりちゃんみたいに、お店でお客さんの顔をしっかり見て『いらっしゃいませ』『ありがとうございます』って温かく接客できる経験って、将来どんな仕事に就いたとしても、ものすごい強みになるよ」
葵さんはそう言って、みどりちゃんの目をまっすぐに見つめた。
「自己分析や業界研究も大切だけど、まずは『自分が誰のどんな役に立ってるときに、一番やりがいを感じるか』を軸に考えてみるのがおすすめかな。有名な会社名にとらわれずに、そこで働いてる自分が想像できてワクワクするような場所を、焦らず探してみてね」
「『誰の役に立ちたいか』……はい! なんだか、ぼんやりしていた視界が少し開けた気がします!」
ノートを丁寧に閉じると、みどりちゃんはホッとしたように胸をなでおろした。
晴れやかな笑顔を見せる彼女の姿に安堵しつつも、俺の頭の中にふとひとつの懸念が浮かんだ。
「みどりちゃん、就活を始めるってことは、ここのバイトにもあんまり入れなくなっちゃうのかな?」
俺が尋ねると、みどりちゃんは途端に申し訳なさそうな表情を浮かべ、恐縮しながら小刻みに頷いた。
「はい……。おかみさんにはもうお話ししてあるんですが、6月から8月はインターンに参加するつもりなので、シフトをかなり減らしてもらう必要があって……。それに、来年の3月以降は本格的に面接ラッシュになるので、実質ほとんど入れなくなるかもしれません」
「やっぱりそうだよね。いや、全然謝ることじゃないよ。教えてくれてありがとう、就活がんばってね」
「ありがとうございます! お二人とも、本当にありがとうございました!」
ぺこりと深々とお辞儀をすると、みどりちゃんは申し訳なさそうにしつつも、どこか吹っ切れた足取りで厨房の方へと戻っていった。
遠ざかるその背中を見送りながら、俺は向かいに座る葵さんに向き直った。
「これから、みどりちゃんの稼働がガクンと落ちますね。そういえば、サブも今年で4年だから、来年には卒業して店を去ることになります」
「……ということは、お二人の後釜を探し始めないといけない、ということですね」
葵さんが真剣な面持ちで頷く。
「はい。それと、今の話を聞いていて改めて気づいたんですけど……現状、厨房でまともに動ける調理担当って、実質俺一人なんですよね。今は俺が出ずっぱりでなんとか回せていますけど、これってかなり綱渡りの状態です。大将のぎっくり腰は今でこそ落ち着いてきていますけど、今後どうなるかはわかりませんし、俺もいつまでも厨房にかかりっきりというわけにはいきません。……そろそろ、専属で入ってくれる調理スタッフを新しく一人雇う必要があるんじゃないかと思うんです」
「なるほど、たしかに仰る通りですね。お店の将来を考えるなら、新しい『人』の確保は避けて通れません。すぐに大将さんに相談してみましょう」
葵さんの心強い同意に、俺は「よし」と腹をくくり、力強く頷いた。




