16 おじいちゃんとの別れと、SEの本領発揮
美味しい料理と胸がいっぱいになるような会話で満たされ、そろそろ席を立つ時間になった時のことだ。
「信之さん、今日は私が払わせていただきますね」
伝票を手にした葵さんがサラリと言い出した。
「いけません、葵さん! ここは俺に払わせてください」
「いえいえ、今回は私からお誘いしたのですから」
押し問答になりかけ、俺はふと思い立って理詰めで反論してみることにした。
「そもそも葵さん。クライアントに奢るなんて、行政書士としての職業柄、コンプライアンス的に問題があるんじゃないですか?」
我ながら完璧な指摘だと思ったのだが、葵さんはフッと可憐に微笑むと、事もなげに言い放った。
「そんな細かいこと、気にしていてはいけませんよ」
(いやいやいや! 以前言っていたことと百八十度真逆じゃないか……!?)
あまりのブレぶりに俺が呆然としていると、葵さんはすかさず追い打ちをかけるように首を傾げてみせた。
「……では、こうしましょう。次回は、信之さんが私にご馳走してください」
「あ……ええ、まあ、それなら……」
こうして押し切られる形になり、結局、今夜のところは素直にご馳走になるしかなかった。
お店を出た後、八王子駅の改札前で「今日は本当にありがとうございました」「こちらこそ、ありがとうございました」と挨拶を交わし、葵さんと別れた。
一人になってホームへと向かいながら、俺はふと足を止めた。
冷たい夜風にあたり、少しずつ冷静さを取り戻していく頭で、先ほどの一連のやり取りを反芻する。
(……待てよ?)
俺はすっかり見落としていた大きな事実に、今さらながらハッと気づいた。
(次回はご馳走してください……って、それ、また二人で食事に行くのが前提になってないか……!?)
次回は、こちらから堂々とお誘いしていいのだろうか?
だいたい、葵さんは一体どういうつもりで言ったんだろう?
そして――俺は、はたと気づく。
もしかして。
俺と同じく、葵さんも俺のことを――共に夢を追いかける『相棒』のように思ってくれているのだろうか?
もしそうであれば、今日の葵さんの俺に対するあの特別な距離感も、すべて説明がつく。
だとしたら……これ以上ない、最強の相棒だ!
(――おじいちゃん。おじいちゃんの優待株が、俺たちを、とんでもない未来に連れて行ってくれるかもしれないよ!)
俺は今にも夜空に向かって叫び出しそうな衝動を必死で抑え込みながら、弾む心そのままに家路を急ぐのだった。
◇
それから、あっという間に、1ヶ月近くが過ぎ去り、季節は、もうすぐ春を迎えようとしていた。
結局、おじいちゃんのマンションの片付けは、大家さんとの約束の期限ギリギリで完了した。
俺は土日もバイトが終わるやいなやマンションへ通い詰めだったし、俺が資産整理を終えた後は、さすがに両親も遺品整理に合流してくれた。
3人がかりの作業は、実に手際よく進む。
……まあ、押し入れの奥から古いアルバムが出てきたりすると、「うわぁ、懐かしい! これ信之が赤ん坊の頃の写真じゃない」なんて鑑賞会が始まってしまい、ちょくちょく手が止まりはしたのだが。
それでも最後の仕上げには、葵さんが「手伝います!」と、Tシャツにジーンズ、MYエプロン持参で応援に駆けつけてくれたおかげで、一気にラストスパートをかけることができた。
休日のプライベートまで割いて手を貸していただき、いくら『相棒』とはいえ恐縮の至りである。
しかも悪いことに、これが葵さんと初対面となった両親は、「あらぁ! こんなに若くてきれいな先生だったのー!?」とテンション爆上げ。
しまいには、台所で並んで作業していた母さんがすっかり調子に乗り、
「葵さんみたいな人が、信之のお嫁さんになってくれたら最高なんだけどねぇ~」
などと失礼極まりない発言をブチかました。
あろうことか、葵さんも葵さんで、
「ふふ、信之さんが私なんかをお嫁にもらってくださるかしら?」
なんて乗っかり返す始末。
……頼むからやめてくれ。俺の心臓が持たない。
そんなこんなでバタバタと全荷物を運び出し、無事に大家さんへ部屋を引き渡すことができたのだった。
◇
すっかり何もなくなり、がらんと広くなった部屋を、あらためて見渡す。
そこにあるはずだったおじいちゃんの気配が消えてしまったことを突きつけられ、胸の奥がキュッと締め付けられた。
「……信之、これで、おじいちゃんとも本当にお別れだな」
父さんのぽつりとした呟きに、俺と母さんも静かに頷く。その時ばかりは、家族みんなで少しだけ感傷に浸った。
さようなら、おじいちゃん。
俺はこれから、新しい一歩を踏み出します。
◇
おじいちゃんのマンションの明け渡しという大仕事を完了させ、次はいよいよ相続税の準備に取り掛かることになった。
当初の予定通り、相続税の支払いは、おじいちゃんが遺してくれた保有株式の一部を売却して充てるつもりだ。
俺はノートPCを開き、画面いっぱいに広がる「1,000銘柄」という膨大な資産リストを見上げた。
(さて……どの銘柄を売るか、だな)
一番手っ取り早いのは、以前葵さんがアドバイスしてくれた通り、含み益の大きい順から機械的に売っていく方法だ。作業としては間違いなくそれが一番ラクだろう。
だが――それではダメな気がした。
俺は、あの『株主優待の桐山さん』と呼ばれた桐山広海の孫なのだ。
おじいちゃんが愛着を持って一つひとつ集めてきた銘柄たちである。単なる記号や数字として機械的に処理するのではなく、これからの『たまや食堂』や子ども食堂の運営に役立つかどうかも考慮しながら、「どれを残し、どれを売るか」を吟味して決めるべきだ。
そのためには、保有しているすべての銘柄の「株主優待の内容」を一覧化し、一目で比較できるようにする必要がある。
とはいえ、1,000件もの銘柄をYahoo!ファイナンスでひとつずつ検索し、Excelにコピペしていく……なんて作業は、考えただけ眩暈がしてくる。
「……まあ、そんなもん手作業でやるわけないよな」
俺はそう独り言ちると、軽快な音を立ててキーボードを叩き始めた。
まずは証券口座から銘柄コード一覧のCSVデータをダウンロード。
続いてPythonを立ち上げ、簡単なWebスクレイピングのプログラムをサクッと書き上げていく。Yahoo!ファイナンスから優待内容のテキストデータを自動抽出し、さらに生成AIのAPIと連携させて『食事券』『食品』『金券』『日用品』といったカテゴリタグを自動で付与する仕組みだ。
コードを組み上げ、最後に勢いよくエンターキーを叩く。
画面上の黒いターミナル上で、ログの文字列が目まぐるしいスピードで滝のように流れ始めた。
「よしよし、順調、順調……」
手作業なら何日もかかりそうな膨大なデータの収集と分類が、プログラムの力によって、みるみるうちに美しいデータへと姿を変えていく。わずか数分後、そこには完璧なExcelシートが完成していた。
銘柄コードや株価、配当利回りといった基本情報に加え、カテゴリ分けされた優待内容がずらりと綺麗に並んでいる。
「よし……これで下準備は完了だ」
画面いっぱいに広がる『桐山ポートフォリオ・完全版』を眺めながら、俺は心地よい達成感とともに、深くチェアの背もたれに寄りかかった。




