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サイレントライン ―その声は、誰を救ったのか―  作者: スドタケ


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9/20

第9話 榊の配信

榊玲司の名前は、湊も知っていた。


好きではない。


でも知らないふりができるほど、小さな配信者でもない。


炎上した話題を拾い、相手の発言を切り抜き、正義の言葉を使って再生数を取る。


本人は、それを告発だと言っていた。


実際に悪いものを暴いたこともある。


救われた人も、たぶんいる。


だから余計に面倒だった。


榊自身についても、湊は少しだけ知っていた。


昔、榊の家族に関する書き込みが出回りかけたことがある。


詳しい内容までは知らない。調べようとも思わなかった。


ただ、その時だけ榊は、いつものように笑っていなかった。


「関係のない家族を巻き込むな」と、短く書いていた。


その言葉だけは、妙に覚えている。


だからこそ、湊には分からなかった。


名前を出される痛みを少しでも知っている人間が、どうして他人の名前を画面に並べられるのか。


昼休み、ミソラからDMが来た。


『ヨルさん、榊玲司が取り上げています』


リンクは貼られていない。


その代わり、動画タイトルのスクショだけが送られてきた。


『声だけの救済者ヨル。その周辺で何が起きているのか』


サムネイルには、黒い背景に白い文字。


父死亡。


学校炎上。


消えた借金取り。


三つの単語が並んでいる。


湊はスマホを持ったまま、休憩室の椅子に座っていた。


隣では、バイトの女の子がカップ麺を食べている。


湯気が立っていた。


「目黒さん、食べないんですか」


声をかけられ、湊は顔を上げた。


「あ、はい。あとで」


「いつもあとでって言ってますよね」


「そうですね」


それ以上の会話はなかった。


スマホに視線を戻す。


ミソラから続けて来る。


『見ない方がいいです』


ほどけない糸からもDMが来ていた。


『見ないでください』


二人が同じことを言うと、余計に見たくなる。


湊はリンクを検索して、榊の配信アーカイブを開いた。


冒頭から、声が大きかった。


「どうも、榊です。今日はね、かなり危ない話です。表では美談みたいに扱われている配信者がいる。声だけで人を救う、ヨル。聞いたことある人も多いんじゃないですか」


榊はよく笑う。


笑う時に目が細くなる。


話し方は上手い。


間の取り方も、感情の乗せ方も、嫌になるくらい慣れている。


「もちろん、相談に乗ること自体は悪くないですよ。むしろ立派です。ただね、問題はその周辺で何が起きているのか」


画面に簡単な時系列のようなものが出る。


細かい時刻ではない。


夜。


翌朝。


数日後。


その程度の並び。


それでも、見る人には十分だった。


「屋上から救われた少女。その翌朝、集合住宅で男性が転落死」


湊の手が止まった。


「いじめ動画の相談。その翌日、加害者側の個人情報が拡散」


画面が切り替わる。


「ドアの前に男が来たという相談。その後、その男は表に出てこなくなる」


榊は、少しだけ声を落とした。


「これ、全部偶然ですか?」


コメント欄が流れている。


> こわ


> まじ?


> ヨルって誰


> 正義の味方じゃん


> 逆に必要悪では


> いや普通にアウト


湊は再生を止めた。


止めても、榊の声が頭の中に残る。


全部偶然ですか。


湊自身が知りたかった。


その答えを、こんな男に先に言われたくなかった。



◇ ◇ ◇



その日の夜、配信には榊の話を持ち込む人が多かった。


> 榊見た?


> ヨルさん何か言って


> あれ嘘ですよね


> でも時系列は合ってる


> 救うためならいいじゃん


> 男どうなったんですか


湊は水を飲んだ。


喉はまだ痛い。


昨日よりは声が出る。


でも、長くは話せない。


「榊さんの話をここで広げないでください」


> 否定しないの?


> 何か知ってるんですか


> 男の人どうなったんですか


> ヨルさんがやったの?


湊はマイクを少し離した。


近すぎると、息の音まで拾う。


「俺は、ここで誰かを裁くために話していません」


言ってから、自分で嫌になった。


裁くためではない。


本当にそうか。


怒った。


安心した。


いなくなればいいと思った。


それらを全部なかったことにして、その言葉を言っている気がした。


> ほどけない糸:ここで榊の話は扱わないでください


> ミソラ:個人名や事件名を出さないでください


二人のコメントが流れる。


普段ならそれで落ち着く。


でも今日は、流れが止まらない。


榊の配信から来た人間が多かった。


> 逃げてる


> 声だけで責任取らないの?


> 救済配信って便利だな


> 顔出せよ


湊は画面を見ていた。


顔を出せ。


その言葉に、何も返せなかった。


顔を出したら、何かが変わるのか。


責任を取ったことになるのか。


名前を出したら、救った人たちは守られるのか。


分からない。


「今日は終わります」


言った途端、コメントが荒れた。


> 逃げた


> 答えろ


> ヨルさん切って


> 無理しないで


> ほどけない糸:終わってください


湊は配信を切った。


確認画面を押す指が、少し震えていた。



◇ ◇ ◇



翌日、榊からDMが来た。


送られてきたのは、ヨルの配信用アカウント宛だった。


本名ではない。


個人のスマホでもない。


それなのに、画面に榊玲司の名前が表示された瞬間、湊は背中を押されたような気がした。


『ヨルさんですよね』


湊は返信しなかった。


続けて、もう一通来る。


『少し話を聞かせてください』


さらに、短い動画が添付された。


再生する前から、サムネイルに文字が見えている。


父死亡。


学校炎上。


消えた借金取り。


湊は画面を見たまま、指を動かせなかった。


榊から、次の文が届く。


『あなたが何かしたと決めつけているわけではありません』


『ただ、偶然にしては多すぎる』


『次は、もう少し具体的に話すつもりです』


『その前に、一度だけ確認させてください』


湊はスマホを伏せた。


伏せたはずなのに、通知がまた震える。


『返事がなければ、こちらで分かっている範囲を出します』


その一文で、湊の喉が狭くなった。


出します。


まるで、しまってあるものを棚から取るだけみたいな言い方だった。


湊はスマホを開いた。


返信欄に指を置く。


『何を知っているんですか』


そう打って、送らずに消した。


聞けば、榊は答える。


答えたものは、もうこちらの中に入ってくる。


見なかったことにはできない。


湊は別の文を打った。


『配信で個人を特定できる情報は出さないでください』


送信。


既読はすぐについた。


榊から返事が来る。


『それはヨルさんが判断することではありません』


湊は画面を見つめた。


さらに一通。


『ただ、当事者を守る必要があるのは分かります』


一瞬、まともな言葉に見えた。


続く文を読むまでは。


『だからこそ、あなたの周りで何が起きているのかを確認したいんです』


湊は返事をしなかった。


榊は、言葉を聞くために近づいているのではない。


切り取るために近づいている。


必要な形に整えて、画面に置くために。


スマホがまた震えた。


今度は、ほどけない糸からだった。


『見ないでください』


何を。


そう打つ前に、もう一通来た。


『榊の次の配信です』


湊は、榊から送られてきた添付動画をもう一度見た。


父死亡。


学校炎上。


消えた借金取り。


その三つの言葉の下に、小さく別の文字があった。


声だけの救済者。


偶然か、誘導か。


湊はスマホを伏せた。


見ない方がいい。


それは分かっている。


でも、見なければ、何を晒されるのか分からない。


分からないものからは、誰も守れない。


その考えが、もう危ない場所に足をかけている気がした。



◇ ◇ ◇



夜、湊はネカフェにいた。


配信はしていない。


榊のチャンネルの待機画面だけが開いている。


タイトルは、


『声だけの救済者ヨル。次は具体的に話します』


湊は再生ボタンを押さずに、画面を見ていた。


机の端には、ペットボトルが置いてある。


蓋は開いているのに、ほとんど減っていない。


スマホの録音アプリに、見覚えのないファイルが増えていた。


タイトルは、自動保存の数字だけ。


湊は覚えていない。


再生した。


しばらく無音。


換気扇の低い音。


椅子が小さくきしむ音。


その後に、低い声。


自分の声だった。


でも、自分が出した声ではない。


『守りたいものがある人間は、黙る』


短い。


それだけ。


湊はすぐに再生を止めた。


喉の奥が冷えた。


何だ、これは。


誰に向けて録った。


いつ。


湊は音声ファイルの詳細を開いた。


共有の履歴が残っている。


送信先の候補に、ほどけない糸の名前があった。


指先が止まる。


湊はすぐにDM画面を開いた。


履歴には何も残っていない。


送信も、送信取消の表示も、そこには見えなかった。


消されている。


送ったのか。


送ろうとしただけなのか。


画面からは分からない。


ただ、その音声が、ほどけない糸へ渡される形で残されていたことだけは分かった。


湊はスマホを握った。


守りたいものがある人間は、黙る。


もう一度、頭の中でその声が響く。


榊にも、守りたいものがあるのか。


そう考えた瞬間、湊は自分の思考が嫌になった。


人を止めるために、その人の守りたいものを探している。


それは、榊がやろうとしていることとどこが違うのか。


スマホが震えた。


ほどけない糸からだった。


『ヨルさん』


少し間があく。


『まだ、止められます』


湊は画面を見た。


止められます。


その言葉が、さっきの音声に返事をしているように見えた。


湊は返信欄を開いた。


『何を聞いたんですか』


そう打って、送れなかった。


答えが返ってくるのが怖かった。


それを聞いたら、自分が録ったものから逃げられなくなる。


湊は何も返さなかった。


止める。


その言葉は、いつからこんなに怖くなったのだろう。


声をかけて止める。


手を伸ばして止める。


名前を出して止める。


弱いところを握って止める。


全部、同じ言葉で呼べてしまう。


画面の中で、榊の配信開始までの待機表示だけが減っていく。


湊は細かい数字を見ないようにした。


見なくても、始まることは分かっていた。

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