第八話 近づく距離
部品が届き始めたのは、エミールが戻ってきた翌々日からだった。
最初は補助機構の材料。次に駆動系の部品一式。どれも馬車で運ばれてきて、御者は何も言わずに荷物を置いて去っていった。荷札には何も書いていなかった。
「これ、誰が送ってきているんですか」
エリアーナが聞くと、エミールは「業者です」と言った。
「何の業者ですか」
「調達業者です」
「調達業者というのは一般的な職業なんですか」
「……そういう業者が、たまたまいました」
「そうですか」
エリアーナは荷物を受け取りながら、手帳の「意図不明」欄に一行書き足した。それだけで追及をやめた。今は部品の確認の方が先だった。
「全部そろっています」
「中枢部品の複製材料も?」
「ええ。あとは術式の解読次第です」
エリアーナはそう言って、ゴーレムの設計図の写しを広げた。
「やります」
◇
それからの五日間、エリアーナはゴーレムの前で生きた。
術式の解読は、これまでの研究の中でも特に難解な部類に入った。文字は読める。単語の意味も分かる。しかし七世代前の術式記述には、現在の古代語研究では解明されていない構文規則が含まれていた。
何度やっても、術式の最後の一節だけが噛み合わなかった。
「……おかしい」
夜、焚き火の前でノートを広げながら、エリアーナは呟いた。レオはとうに帰っている。エミールだけが、少し離れた木の根元で文献を読んでいた。
「どこが」
エミールが聞いた。
「制御術式の末尾です。動力を入力して中枢に伝達するまでの経路が、どう読んでも二重になっています。二重になっている理由が分からない」
「見ていいですか」
エリアーナは少し迷ってから、ノートを差し出した。
エミールが焚き火の近くに来た。ノートを受け取り、術式の記述を見た。
しばらく沈黙した。
「……安全装置では」
「安全装置?」
「動力が過剰になったとき、経路を二重にすることで自動的に分散させる。暴走防止の設計だと読めます」
エリアーナはノートを受け取り、術式をもう一度追った。
「……通った」
声が出た。
二重経路を暴走防止機構として読み直すと、末尾まで完全に意味が繋がった。術式の全体が、一本の線として見えてきた。
「そういうことか、だから農業用のゴーレムなのに動力規模がこれほど大きい設計になっているのか、広大な農地での連続稼働を想定しているから出力が高くて、その分暴走リスクがあって、安全装置を組み込んで……」
気づいたら早口になっていた。エミールが隣にいることも忘れて、ノートに書き続けた。
どれくらい経ったか、手が止まった。
顔を上げると、エミールが至近距離にいた。
いつの間にか同じ焚き火の前に並んで座っていて、エリアーナのノートを横から覗き込む体勢になっていた。距離が、近かった。
「…………」
「…………」
エリアーナの頬に熱が集まった。
「近い、です」
「ノートが見えなかったので」
「言ってくれれば傾けました」
「次からそうします」
エミールが元の位置に戻った。エリアーナは焚き火に向き直り、頬の熱が引くのを待った。待ちながら、術式の続きを書いた。書くことに集中すると、余分なことは考えずに済む。それだけが救いだった。
「術式、完成しましたか」
「……はい。あとは中枢部品に転写するだけです」
「明日できますか」
「明日中には」
「では明後日、試せますね」
エリアーナはノートを見たまま、小さく頷いた。
「ええ」
焚き火の音だけが、しばらく続いた。
◇
翌朝、レオが来たのは日が高くなってからだった。いつもより遅い。息を切らしながら走ってきて、「授業があった」と言った。
「学校があるんですか」
「週に二回ある。つまんないけど」
「大事です」
「魔女様みたいに古代語とか教えてくれないから、つまんない」
「基礎が先です」
「魔女様はいつ基礎やったんだ」
「十歳のときに終わりました」
レオが「意味が分からない」という顔をした。エリアーナには特に意味は分からなかった。ただ古代語の基礎文法書を見つけたのが十歳で、それを三ヶ月で読み終えて、次を読みたくて、それだけだった。
ゴーレムの前に着くと、レオはその全身を見上げた。
「なんか変わったか?」
「磨きました。それから右腕の駆動系を組み込みました」
「それ昨日一人でやったのか」
「エミールが手伝ってくれました」
レオの目が、すっと細くなった。
「……二人で?」
「部品が重かったので」
「昨日俺いなかったのに?」
「授業があったんでしょう」
「でも二人でいたのか」
「作業していました」
「それだけか」
「……それだけです」
レオは釈然としない顔をしたが、それ以上は聞かなかった。その代わり、エミールが来たとき、いつもの二倍くらいの強さで睨んだ。エミールは「おはようございます」と言って、どこ吹く風だった。
ただ、内心では違った。
昨夜の、ノート越しの距離。エリアーナの頬が赤くなった瞬間。あれを思い出すたびに、エミールの中の「観察者の席」が、また少しだけ軋んだ。
近づきたい、と思った。
あの距離のまま、もう少し長く、そこにいたいと思った。
その願望が、自分の中でどんどん明確な輪郭を持ち始めていることに、エミールはもう気づいていた。気づいていて、それを否定する気力も、今は湧かなかった。
◇
中枢部品への術式転写は、その日の昼過ぎに完了した。
あとは組み込むだけだ。
「やっていいですか」
エリアーナの声が、わずかに上擦った。自分でも分かった。八年間ずっと文献の中だけにあったものが、今ここで現実になろうとしている。その事実が、頭よりも体に先に伝わっていた。
「どうぞ」とエミールは言った。
「俺も見る」とレオは言って、ゴーレムの足元に陣取った。
エリアーナはゆっくりと、中枢部品をゴーレムの胸部に収めた。かちりという感触があった。正しい位置に収まった感触だった。
「……組み込めました」
「起動術式は」
「唱えます」
エリアーナは深呼吸をした。
術式は頭に入っている。七世代前の構文で、現代の古代語とは語尾変化が異なる。でも読める。八年間で身に付けた言語の感覚が、全部今この瞬間のためにあった気がした。
「始めます」
声に出すと、覚悟が決まった。
胸部に手を当て、最初の一節を唱えようとした、そのとき。
西の空に、分厚い雲が広がっているのが見えた。
「……今日は、やめておきましょう」
エリアーナは手を止めた。
「なんで」とレオが聞いた。
「初めての起動です。万全の状態で迎えたい。それに、雨が来そうです」
空気を読むように、エミールが頷いた。「明日にしましょう」
レオは少し残念そうな顔をしたが、「分かった」と言った。
エリアーナはゴーレムの胸部からそっと手を離して、夕暮れの空を見上げた。
明日。
八年と三ヶ月の研究が、初めて現実の形を取る日。
その隣に、レオがいて、エミールがいる。
ひとりだったら、きっとここまで辿り着けなかった。
その事実が、エリアーナの胸の中に、静かに、けれど確かに残った。
ここまで第一章を読んでいただきありがとうございます。
婚約破棄から始まったエリアーナの自由な研究生活は、ここから少しずつ形を変えていきます。
「魔女」として始まった彼女の新しい日々が、どんな場所へ向かうのか。引き続き見守っていただけると嬉しいです。
面白いと思っていただけましたら、評価や感想で応援していただけると励みになります。




