第六話 鉄の巨人、三人で
夜が明けきる前から、エリアーナは支度を終えていた。
計測道具、解読ノート、超振動ナイフ、水筒。鞄はいつもよりひと回り大きく膨らんでいた。
「早いな、魔女様」
日の出と同時にやってきたレオが、目を丸くした。
「待ちきれませんでした」
「俺が早く来いって言う前に、もう準備終わってるじゃん」
「昨夜のうちに準備しました」
「寝てないのか」
「少しだけ」
「絶対よくない」
レオが眉をひそめた。十歳の少年に健康管理を心配される研究者というのも、奇妙な構図だった。それでもエリアーナは「大丈夫です」とだけ答えて、鞄を背負い直した。
廃屋の外で、エミールが既に待っていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「……眼鏡の人も早いな」
「待ちきれなかったので」
レオがエミールを一瞥して、何も言わずに森の方を向いた。それだけで、エミールが昨夜どこかで「先に来て待っていた」ことが分かるやり取りだった。
「では行きましょう」
エリアーナの声が弾んでいた。三人は森の奥へ向かって歩き出した。
◇
道のりは長かった。
レオが先頭に立って案内し、エリアーナがその後ろを歩き、エミールが最後尾についた。途中、レオが何度も振り返っては、エリアーナがちゃんとついてきているか確かめた。
「魔女様、足元気をつけろよ」
「大丈夫です」
「さっき石につまずいてたじゃん」
「気のせいです」
「気のせいで人はよろけないだろ」
言い合いながらも、レオはエリアーナの歩調に合わせて、わずかに速度を落としていた。エミールはそのやり取りを後ろで聞きながら、自分も同じように歩調を合わせていることに、半分も気づいていなかった。
森が深くなるにつれ、空気が変わった。木々の隙間から差す光が薄れ、地面の苔が分厚くなっていく。レオの言う「大人が嫌がる」場所に、確かに近づいていた。
「もうすぐだ」
レオが声を落として言った。
木々の合間から、何か巨大な輪郭が見え始めていた。
◇
開けた場所に出た瞬間、エリアーナの足が止まった。
目の前に立っていたのは、高さ五メートルはあろうかという、苔と蔓に覆われた人型の構造体だった。全身を覆う古代金属には複雑な紋様が刻まれ、頭部はうつむくように前に傾いている。
「うわあああああ!!」
森中に響くような声が、エリアーナの口から飛び出した。
「古代ゴーレムだ! しかも保存状態がいい、七世代前の様式、いえもっと古いかもしれない、紋様の配列が……!」
言いながら、もう走り出していた。鞄を背負ったまま、構造体に向かって一直線に駆けていく。
「でかっ!!」
レオも目を見開いて、エリアーナの後を追いかけた。「魔女様、こんなの動くのか!?」
「分かりません! でも動かしたいです、絶対動かしたいです!」
エリアーナはもう構造体のすぐ下まで到達していて、首が痛くなるほど上を見上げていた。
「すごいでかい! なあ、これ俺らより何倍あるんだ!?」
「身長比でいうと、私の三倍以上、レオの四倍近くですね」
「四倍!?」
二人が興奮した声を上げ合う中、エミールだけが少し遅れて到着した。
ゴーレムを見上げる。確かに巨大だった。古代の技術力を考えれば、相応の価値がある遺物だということも、見ただけで分かった。
だが、エミールの目が向いていたのは、ゴーレムではなかった。
(そんなことより)
エリアーナの顔だった。
頬を紅潮させ、目を輝かせ、口元には抑えきれない笑みが浮かんでいる。両手で構造体の表面に触れ、紋様をなぞりながら、何かをぶつぶつと呟いている。
今までエミールが見てきたどの瞬間よりも、彼女が彼女らしくいる顔だった。
ゴーレムよりも、その顔を見ている方が、はるかに価値のあることのように思えた。
「エミール?」
名前を呼ばれて、我に返った。
「何かぼーっとしてますけど」
「いえ。……立派な遺物ですね」
「そうなんです! 見てください、この紋様、起動術式の一部だと思うんですが」
エリアーナが興奮気味に説明を始めた。エミールは内容を聞きながら、相槌を打ちながら、視線の半分は彼女の表情に向けたままだった。
レオがそれに気づいて、エミールをじろりと見た。
「お前、ゴーレム見てないだろ」
「見ています」
「嘘つけ、ずっと魔女様の方見てる」
「……気のせいです」
「気のせいで人はそんな顔しないだろ」
さっきエリアーナに使った台詞をそのまま返されて、エミールは一瞬、言葉に詰まった。
レオは勝ち誇った顔をしたが、それ以上は追及しなかった。代わりに、エリアーナの方に向き直って、また「なあ、これいつ動くんだ」と聞き始めた。
◇
エリアーナがゴーレムの内部構造を確認し始めたのは、それから一時間ほど経ってからだった。
胸部の装甲を慎重に開け、中の機構を覗き込む。レオも横から覗き込もうとして、エリアーナに「危ないので下がっていてください」と止められた。
「危ないのか」
「内部に鋭利な部品があります。それに、私が確認している間は動かないでください、踏んだら壊れる可能性があります」
「分かった」
レオは素直に下がった。エミールも少し距離を取った。
エリアーナはしばらく無言で内部を観察していたが、やがて手が止まった。
「……ない」
「どうしました」
「部品が足りません」
エリアーナは内部を指差した。「ここに、動力核の補助機構があるはずなんです。それからここの駆動系の部品も。あとこの中枢部分、術式を制御する核となる部品が、欠損しています」
「直せないのか」
レオが心配そうに聞いた。
「直せます。でも、材料が必要です。中枢部品については、複製が必要になります」
エリアーナは少し考えてから、手帳を取り出して書き込み始めた。「補助機構と駆動系は、同じ時代の遺物を解体すれば調達できるかもしれません。中枢部品は……」
言葉が、止まった。
「中枢部品は」
「術式の完全な解読と、相応の加工技術が必要です。私ひとりでは、材料の調達が難しいかもしれません」
その瞬間の、エリアーナの顔を、エミールは見ていた。
諦めの色は、なかった。
ただ、現実的な壁にぶつかった事実を、淡々と受け止めている顔だった。それでも、目の輝きは消えていなかった。むしろ「どうやって乗り越えるか」という新しい問いに、すでに頭を切り替え始めているように見えた。
ゼロよりいい。
いつかエリアーナが口にした言葉が、エミールの頭の中に浮かんだ。
「私が」
気づけば、声に出していた。
エリアーナとレオが、同時にこちらを見た。
「材料の調達、当てがあるかもしれません」
「本当か!?」レオが先に声を上げた。
「あくまで、可能性です」
「眼鏡のくせに頼りになるじゃないか」
「複雑な褒め言葉ですね」
エリアーナはエミールをじっと見て、それから小さく頷いた。
「お願いできますか」
「……はい」
その一言を口にしたとき、エミールの中で何かが定まった気がした。
可能性がゼロでなければ、動く理由になる。
それは、これまでの自分の論理とは違う論理だった。だが、今は不思議と、その違和感より先に、足がもう動こうとしていた。
◇
夕暮れ、三人は森を出た。
帰り道、レオがエミールの隣に並んで歩いてきた。珍しいことだった。
「お前、本当に当てがあるのか」
「あります」
「どこに」
「……遠いところです」
「ふうん」
レオはそれ以上聞かなかった。少し黙って歩いてから、ぽつりと言った。
「魔女様のためなら、本気出すんだな」
エミールは、すぐには答えなかった。
「……気に食わないですか」
「気に食わないけど」レオは前を見たまま言った。「魔女様が喜ぶなら、まあいい」
その台詞に、エミールは少し驚いた。十歳の少年が、自分の気に食わなさよりも、エリアーナの喜びを優先する判断を、迷いなく下している。
それは、エミールにはまだできていないことだった。
自分の中の引っかかりを、まだ言葉にもできていない。ましてや、その感情よりエリアーナを優先するという判断を、これほど明快に下せてはいなかった。
「……あなたは、強いですね」
「は? 急に何だよ」
「いえ。何でもありません」
レオは怪訝な顔をしたが、それ以上追及せず、また前を向いて歩いていった。
エミールはその背中を見ながら、自分の中の「観察者の席」が、また少し軋む音を聞いた気がした。
◇
その夜、エリアーナは手帳に今日の記録を書き留めた。
『古代ゴーレム発見。三人で確認。部品三点欠損。エミール、調達を申し出る』
書きながら、ふと今日の三人のやり取りを思い出した。
レオの真っ直ぐな喜び方。エミールの、いつもより少しだけ早い「私が」という申し出。
どちらも、ありがたかった。
ひとりでは、決して辿り着けなかった場所だった。
手帳の端に、もう一行付け足した。
『ひとりじゃない、というのは、思っていたより悪くない』




