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【完結】『貴様さえいなければ』と追放された悪役令嬢ですが、『深淵の魔女』は黒歴史の設定です。本当に伝説にしないでください。  作者: ましろゆきな
第四章 自由のかたち

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第三十話 国境を越える知らせ


 翌朝、エリアーナは書庫に来た。


 いつもと変わらない時間に、いつもと変わらない格好で、いつもと変わらない足取りで。


 ただ、書庫の入口でエミールと目が合った瞬間だけ、一秒ほど、歩みが止まった。


 「おはようございます」


 「……おはようございます」


 それだけだった。


 それだけで、何かが確かに変わっていた。


 エリアーナは、何事もなかったように書架に向かった。エミールも、椅子に戻って文献を開いた。


 シオンが、お茶を二人分持ってきた。


 「おはようございます」


 「おはようございます」とエリアーナが答え、エミールは小さく頷いた。


 「昨夜は遅くまで起きておられましたね」


 二人とも、何も言わなかった。


 シオンは、それ以上は何も言わず、静かに書庫を出た。


 ◇


 その朝の平和は、昼前に終わった。


 マリアが書庫に来て、「エルシオン王国からの使いが来ています」と言った。


 エリアーナの手が止まった。


 「正式な使節ですか」


 「いいえ。それとは違う方で……バーンシュタイン公爵家の使者だそうです」


 エリアーナは、エミールを見た。


 エミールは、立ち上がっていた。


 「会います」


 ◇


 使者は、若い文官だった。


 エルシオン王国の紋章ではなく、バーンシュタイン公爵家の紋章を身につけていた。旅の埃をまとったまま、それでも礼儀正しく頭を下げた。


 「エリアーナ嬢にお伝えすることがございます。公爵閣下より、直接の言伝でございます」


 「聞きます」


 「エルシオン王国の状況が、急速に悪化しております。王太子殿下の政務上の混乱が限界を超え、今年の収穫が大きく落ち込みました。貴族院は正式に不信任を決議し、王太子殿下は事実上の退位を余儀なくされる見通しです」


 エリアーナは、黙って聞いていた。


 「この状況を受け、アルテシア王国との間で、両国の統合という案が、複数の貴族から提起されています。正式な交渉にはまだ至っていませんが、公爵閣下は、エリアーナ嬢にこの状況をお知らせすることが急務と判断されました」


 「……父が、それを」


 「はい。閣下は、エリアーナ嬢が今何をされているかをご存じです。その上で、判断はご本人に委ねると」


 使者は、一礼して、部屋を出た。


 静かになった部屋に、エリアーナとエミールだけが残った。


 ◇


 「知っていましたか」


 エリアーナは、エミールに聞いた。


 「状況が動いていることは。詳細は、まだ把握していませんでした」


 「そうですか」


 エリアーナは、窓の外を見た。


 王太子が、退位する。


 エルシオン王国が、揺れている。


 父が、判断をこちらに委ねた。


 一つひとつは理解できた。それが全部繋がった先に何があるかも、おぼろげには分かった。ただ、自分がそこに関わるということが、まだ実感を持てなかった。


 「エミール」


 「はい」


 「両国の統合が、本当に起きるとしたら。その先頭に立つのは、アルテシア王国側からは、あなたになるんですか」


 エミールは、少し間を置いた。


 「その可能性があります」


 「……そうですか」


 「ただ」


 エミールは、エリアーナの方を向いた。


 「私は、国を統治することには、興味がありません」


 「それは、知っています」


 「だから、辞退します」


 「でも、あなた以外に」


 「あなたがいます」


 エリアーナは、エミールを見た。


 「……私が」


 「あなたの独創性に、新しい国の未来を懸けたいと思っています」


 「……意味が」


 「分かりにくかったですか」


 「分かりにくいです」


 エミールは、少し考えてから、もう少し直接的に言い直した。


 「私は、国を統治することに向きません。判断を下すことより、答えのない問いを楽しめる人間の方が、新しい国には必要だと思っています」


 「……それは」


 「あなたです」


 「……」


 「私は王には向きません。ですが、あなたが立つ国なら、その隣で支えることならできます。もし両国が新しい形になるのなら、その国を託したいのは、あなたです」


 エリアーナは、しばらく、何も言えなかった。


 昨日、あなたのそばを離れたくないと言った。その言葉は本当だった。


 ただ、まさかその翌日に、こういう意味でのそばを問われるとは、思っていなかった。


 「……女王」


 「はい」


 「私が」


 「はい」


 「元王太子の婚約者で、追放された元公爵令嬢が」


 「今は違います。古代ゴーレムを修復し、離宮の書庫を改造し、アルテシア王国の離宮に住んでいる研究者です」


 「……それは」


 「誰よりも、物事の本質を見ることができる人間だと思っています。政治の正解を出すことより、誰も思いつかない問いを立てることの方が、長い目で見たとき、国を豊かにします」


 エリアーナは、しばらく黙っていた。


 「……考えさせてください」


 「もちろんです」


 「すぐには、返事ができません」


 「急ぎません」


 エリアーナは、また窓の外を見た。


 「一つだけ、聞いていいですか」


 「何でも」


 「女王になっても、研究は続けられますか」


 エミールは、少し間を置いた。


 「あなたが研究をやめる理由は、何もありません」


 「……そうですか」


 エリアーナは、小さく息をついた。


 「分かりました。考えます」


 手帳を取り出して、開いた。


 新しいページに、一行書いた。


 『女王。検討中』


 ◇


 夜、エリアーナは書庫で一人、天井を見上げていた。


 シオンが来た。


 「管理者、何かお困りですか」


 「困っているというより、整理が追いついていません」


 「何を整理されていますか」


 「色々と」


 シオンは、少し間を置いた。


 「エミール様から、本日の話を伺いました」


 「……シオンはどう思いますか」


 「私には、政治的な判断を評価する機能はありません。ただ」


 「ただ?」


 「管理者が女王になられた場合、研究環境の整備という観点では、現在より多くの可能性があります。古代文明の調査範囲も、大幅に広がります」


 エリアーナは、シオンを見た。


 「それは、なってほしいということですか」


 「私には感情がありません。ただ、事実として申し上げました」


 「そうですか」


 エリアーナは、また天井を見た。


 「シオン、あなたは、私が何をしても『当然です』と言いますよね」


 「管理者の判断を、私が制限する権限はありません」


 「エミールは、止めます。反対します。心配します」


 「……はい」


 「それが、面倒だと思ったことは、あります」


 「はい」


 「でも、それがなかったら、と考えると」


 エリアーナは、少し笑った。


 「寂しいと思いました。昨日、気づきました」


 シオンは、何も言わなかった。


 「おやすみなさい、シオン」


 「おやすみなさいませ、管理者」


 エリアーナは、手帳を閉じて、書庫を出た。


 手帳の新しいページには、もう一行だけ追加されていた。


 『女王。検討中』の下に。


 『でも、たぶん、やる』


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