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【完結】『貴様さえいなければ』と追放された悪役令嬢ですが、『深淵の魔女』は黒歴史の設定です。本当に伝説にしないでください。  作者: ましろゆきな
第三章 鳥籠の鍵

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第二十九話 傷の手当てと、歪んだ告白


 エリアーナは、救急箱を持ってきた。


 離宮に来てから、薬草の知識を活かして自分なりの応急処置セットを作っていた。古代文明の医療文献から学んだ調合もいくつか加えてある。エミールには過剰だと言われたが、「あって困るものではない」と言い張って置いておいた。


 今日、それが役に立った。


 「座ってください」


 エミールは、大人しく椅子に座った。


 保管室の床に腰を下ろして手当てをするわけにもいかないので、場所を上の階の小部屋に移していた。シオンは地下に残り、自己診断を続けていた。マリアは遠巻きに心配そうな顔をしていたが、エリアーナが「大丈夫なので下がっていてください」と言ったので、廊下で待機していた。


 二人きりになった。


 「腕を見せてください」


 エミールが、袖をまくった。


 裂傷は、思っていたより深かった。エリアーナは、手当ての手順を頭の中で組み立てながら、丁寧に傷を確認した。


 「痛いですか」


 「大丈夫です」


 「それは答えになっていません」


 「……多少は」


 「正直に言ってください」


 エリアーナは、傷を洗いながら言った。


 「これだけのことをしておいて、大丈夫とか問題ないとか、そういうことを言う人だとは思っていませんでした」


 「そうですか」


 「そうです」


 薬草を調合した軟膏を、慎重に塗った。


 エミールは、黙っていた。


 エリアーナも、しばらく、手元だけを見ていた。


 ◇


 「なぜ、かばったんですか」


 包帯を巻きながら、エリアーナは聞いた。


 「シオンが振り下ろしたとき、私の前に出てきましたよね」


 「あなたが危なかったので」


 「間に合わなかった可能性もありました」


 「間に合いました」


 「でも」


 「間に合ったので、問題ありません」


 エリアーナは、包帯を巻く手を止めた。


 「問題あります」


 「エリアーナ」


 「問題あります」


 エミールは、エリアーナの手元を見ていた。


 包帯を持つ手が、わずかに震えていた。


 「……怖かったですか」


 「怖かったです」


 エリアーナは、包帯を巻き続けながら答えた。


 「シオンが暴走したことより、あなたが怪我をしたことの方が、ずっと怖かったです。なぜそういうことをするんですか」


 「あなたを守るために」


 「分かっています」エリアーナは言った。「でも、守ってもらうために、あなたに怪我をさせたくはありません」


 包帯を結んで、手を離した。


 二人の間に、静かな間があった。


 ◇


 「エミール」


 エリアーナが、顔を上げた。


 「手帳の、最後の一行を、まだ埋めていません」


 エミールは、エリアーナを見た。


 「廃屋で叫んでいた夜も、全部、見たかった顔だったと言った。理由、不明。ずっとそのままです」


 「……そうですか」


 「でも、今日、少し分かった気がします」


 エリアーナは、自分の手元を見た。


 「あなたが間に合ったとき、良かったと思いました。あなたが怪我をしたとき、怖かった。それは、私が、あなたのことを大切に思っているからだと思います」


 「……」


 「だから聞きます。今なら、聞けると思うので」


 エリアーナは、エミールを見た。


 「あなたが、廃屋で叫んでいた夜の顔を見たかったと言ったのは、なぜですか」


 エミールは、しばらく動かなかった。


 窓の外の光が、ゆっくりと変わっていった。


 「……正直に、話していいですか」


 「はい」


 「歪んだ話になります」


 「聞きます」


 ◇


 「最初は、観察対象でした」


 エミールは、静かに話し始めた。


 「理解できない人間として、興味を持った。それだけでした」


 「知っています。本人に聞きました」


 「そこから、もっと見たいと思うようになった。近くにいたいと思うようになった。王都からの圧力が来たとき、誰にも渡したくないと思った」


 「……」


 「あなたに近づこうとしたものは、全て処理しました。エルシオン王国からの手紙も、使者も、全部」


 エリアーナは、黙って聞いていた。


 「離宮に来てもらったのは、あなたを守るためでした。それは本当です。ただ同時に、自分の手の届く場所に置いておきたかった。それも、本当のことです」


 エミールは、エリアーナから目を逸らさなかった。


 「最初から、逃がすつもりがありませんでした。保護という名目で、あなたの逃げ道を、先に全部塞いでいた。それが正確なところです」


 「……」


 エリアーナは、しばらく何も言わなかった。


 窓の外の光が、ゆっくりと動いていた。


 「……そうですね」


 ようやく、口を開いた。


 「確かに、歪んでいます」


 「ええ」


 「でも」


 エリアーナは、包帯を巻いたエミールの腕を、少しだけ見た。


 「その歪みだけを見ていたら、私は離宮には来ていません。手帳に書いてきた全部を、ずっと見てきたから、来ました」


 「……」


 「怒っていますか」は、エミールではなくエリアーナが言うべき問いではなかった。


 「怒っていません」


 エリアーナは、静かに言った。


 「よりも?」


 「一つだけ、聞いていいですか」


 「何でも」


 「シオンを起動させたとき。私が間に合わなかった可能性があると言ったとき、あなたは『間に合ったので問題ない』と言いました。あれは本心ですか」


 エミールは、少し意外な顔をした。


 「……本心です」


 「なぜ、間に合えたんですか」


 「あなたのそばを、離れたくなかったから」


 エリアーナは、その言葉を、しばらく静かに聞いていた。


 「……そうですか」


 「怒っていませんか」


 「怒っていません」


 「なぜ」


 エリアーナは、少し間を置いた。


 「歪んでいるのは知っています。でも、あなたが私のことを大切に思っていることは、最初から行動で見えていました。手帳にも、全部書いてあります」


 エミールは、目を細めた。


 「では」


 「それと」


 エリアーナは、包帯を巻いたエミールの腕を、少しだけ見た。


 「私も、あなたのそばを、離れたくないと思っています」


 「……」


 「それが、手帳の最後の一行の答えです」


 静かな言葉だった。


 告白と呼ぶには、あまりにも淡々としていた。ただ、それがエリアーナらしかった。感情を言葉に変えるのが得意ではない人間が、それでも確かに届けようとした言葉だった。


 エミールは、しばらく何も言わなかった。


 それから、エリアーナの手に、自分の手を重ねた。


 「……ありがとうございます」


 「お礼を言われることではありません」


 「言わせてください」


 「そうですか」


 窓の外で、風が庭の木を揺らした。


 二人は、しばらく、そのまま、静かにいた。


 ◇


 廊下で待っていたマリアは、小部屋の扉がなかなか開かないことに気づいていた。


 隣に立っていたシオンが、静かに言った。


 「現在、重要な会話が行われています」


 「……そうですか」


 「もうしばらく、そのままにしておいた方が良いかと思われます」


 マリアは、ため息をついた。


 それから、小さく微笑んだ。


 「そうですね」



第三章は、二人が互いの存在を選ぶまでの物語でした。


お互いを選んだ二人がどんな道を歩み始めるのか。


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