第二十八話 守るための一手
それは、何でもない昼過ぎに起きた。
エリアーナが地下の保管室で作業をしていた。シオンが隣にいた。エミールは書庫にいた。マリアが廊下を通り過ぎたところだった。
特別なことは、何もなかった。
ただ、シオンが突然、動きを止めた。
◇
エリアーナは、それを最初、フリーズだと思った。
シオンが動かなくなるのは、稀にあった。演算の負荷が高いときに、一時的に停止することがある、と本人から聞いていた。
「シオン?」
返答がなかった。
「シオン、大丈夫ですか」
次の瞬間、シオンの目の色が変わった。
通常の金色から、深い赤に。
「……」
エリアーナは、一歩後ろに退いた。
シオンが、ゆっくりと立ち上がった。動作が、いつもと違った。滑らかさがなかった。ぎこちない、まるで制御を失いかけているような動き方だった。
「シオン、何が起きていますか」
「……干渉、過負荷」
声が、歪んでいた。
「外部魔力、制御限界、超過」
エリアーナは、その言葉の意味を一瞬で理解した。
エミールの魔力だ。
「シオン、止まれますか」
「不可能。緊急制御モード、起動」
シオンの腕が、壁を殴った。
石の壁に、亀裂が入った。
◇
上の階に、音が届いた。
エミールは、書庫を飛び出していた。
廊下を走りながら、自分の魔力が急激に膨れ上がるのを感じた。感情と魔力が連動している。今、エリアーナが危険だと認識した瞬間に、魔力が跳ね上がっていた。
それがさらに、シオンの暴走を加速させる。
「まずい」
地下への石段を、一息に降りた。
◇
保管室の扉を開けた瞬間、シオンの腕が再び壁を打つのが見えた。
エリアーナは、部屋の隅にいた。怪我はない。ただ、出口に戻れない状態だった。シオンが、出口との間に立っていた。
「エリアーナ、動かないでください」
エミールは、部屋に入りながら言った。
「エミール、魔力を抑えてください、干渉が」
「分かっています」
分かっていた。だが、エリアーナの顔を見た瞬間に、それがさらに難しくなった。怪我はないか。怖い思いをさせてしまった。その事実が、感情を揺らした。
シオンが、エミールを向いた。
赤い目が、エミールを捉えた。
「……管理者への脅威、排除」
「待ってください、シオン。私は脅威ではありません」
「外部魔力発生源、排除対象」
シオンが、腕を振り上げた。
エミールは、魔力を解放した。
◇
それまでのエミールの魔法は、抑制されていた。
瓶底眼鏡の中に隠れていた顔と同じように、それも、意図して隠されていたものだった。
今は、違った。
抑制を外した魔力が、石造りの地下室に満ちた。
シオンの動きが、止まった。
外部から魔力に拘束されたシオンは、しばらく抵抗しようとしていたが、やがて、力が抜けるように床に膝をついた。
「……制御、回復中」
声の歪みが、少しずつ和らいでいった。
「外部魔力干渉、低下……緊急モード、解除」
シオンの目の色が、赤から金へ、ゆっくりと戻っていった。
「……申し訳ありません」
元の声になっていた。
「私の内部システムの限界を、正確に把握できていませんでした。管理者を危険な状況に置いてしまいました」
「大丈夫です」
エリアーナが、静かに答えた。
「怪我はありませんか」
「ありません。エミールは」
エリアーナが、エミールを見た。
エミールは、壁に手をついていた。
「エミール?」
「……問題ありません」
「嘘です」
エリアーナは、エミールに近づいた。
腕に、裂傷があった。シオンの腕が振り下ろされた際に、エリアーナをかばうように動いた跡だった。
「なぜ言わないんですか」
「大したことではありません」
「大したことです」
エリアーナの声が、珍しく、強かった。




