第二十四話 完璧執事、起動
シオンの目が開いた。
深い、金色の瞳だった。
数秒間、まばたきもせず、ただ正面を見ていた。それから、ゆっくりと部屋を見渡した。天井、壁、棚、ランタン、エリアーナ、エミールの順番で。
最後に、エリアーナの目を見た。
「起動確認」
声は、低く、穏やかだった。古代語と現代語の中間のような、少し独特の発音だった。
「管理者、認証完了」
「あ、はい」
エリアーナは、思わず返事をした。
シオンは、立ち上がった。椅子から立ち上がる動作が、人間のそれと全く変わらなかった。背丈は、エリアーナよりわずかに高い。
エリアーナを見下ろして、一礼した。
「シオンと申します。以降、管理者のご要望に従い、業務を遂行いたします」
それから、エミールを見た。
数秒、停止した。
「……お客様ですね」
エミールは、何も言わなかった。
「当離宮の所有者として認識するには、管理者による権限付与が必要です。現状では、管理者に招かれたお客様という分類になります」
「……」
「何か不都合がございますか」
「ありません」
エミールの声は、平坦だった。
エリアーナは、シオンとエミールを交互に見て、何かを言いかけて、やめた。今は余計なことを言わない方がいいと判断したらしかった。
◇
シオンは、起動から十分もしないうちに、地下室を出て離宮内の確認を始めた。
各部屋の状態を把握し、設備の稼働状況を確認し、使用人たちに挨拶をした。マリアは、突然現れた人型の古代機械に驚いたが、シオンが「当施設の補助管理を担当するシオンと申します。何かお困りのことがあればお申し付けください」と丁寧に言ったため、「……かしこまりました」と答えてしまった。
「マリア様、書庫の棚の並べ替えには二日を要したとお聞きしました。次回から、私が補助いたします」
「え、あ、はい」
「管理者は作業速度が速いため、一般的な想定より早く次の改造計画が来ると思われます」
「……もう次があるんですか」
「高い確率で」
マリアは、こめかみを押さえた。
◇
夕方、エリアーナは地下室に戻っていた。
シオンも一緒だった。
「この棚の文書、全部整理されていませんね」
「はい。私が収蔵されていた期間、管理者がいなかったため」
「全部読んでいいですか」
「管理者の所有物ですので、当然です」
「解読が必要なものもあります」
「補助いたします。私の言語データベースには、十四世代分の古代語が収録されています」
エリアーナの目が、輝いた。
「十四世代分」
「はい」
「現在の研究では、せいぜい八世代前までしか解読できていないんですが」
「九世代以前については、私の方が詳しいかと思われます」
「教えてもらえますか」
「もちろんです。管理者のご研究の補助は、私の主要業務のひとつです」
エリアーナは、手帳を取り出して、猛烈な速さで書き始めた。
廊下でその様子を見ていたエミールは、静かに目を閉じた。
止められない、と思った。
あの組み合わせは、止められない。
◇
夜、エミールは自室で従者と話していた。
「シオンが起動しました」
「……存じております。先ほど廊下でご挨拶をいただきました。お客様、と」
「ええ」
従者は、慎重に言葉を選んだ。
「管理者認識がエリアーナ様になったということは」
「そういうことです」
「殿下の立場としては」
「お客様です」
「……それは」
「仕方ありません。起動させたのはエリアーナなので」
従者は、それ以上は言わなかった。
エミールは、窓の外を見た。
シオンが、エリアーナの「当然です」係になっている。これまで、エリアーナが「地下を全部調べたい」と言えば誰かが止めていた。マリアが、エミールが、現実的な理由を並べて、少しずつ速度を調節していた。
シオンは、止めない。
それが、エミールには、奇妙なほど落ち着かなかった。
研究の邪魔をしてほしいわけではない。ただ。
「管理者のご要望に従い、業務を遂行いたします」
という言葉が、頭から離れなかった。
自分にはできない、完全な服従。
それが、エリアーナには合理的で、都合がいい。
分かっていた。分かっていても、それを考え続けている自分が、少し、気に食わなかった。
◇
翌朝、エリアーナが書庫に入ると、机の上に一冊の文献が置かれていた。
表紙に、「管理者のご研究の参考になるかと思われます」という小さな付箋が貼られていた。
シオンの字だった。
エリアーナは、表紙を見た。九世代前の素材工学に関する文書だった。昨夜、話題に出た内容の直接的な参考資料だった。
「……気が利く」
認めたくはなかったが、事実だった。
書庫の入口にシオンが立っていた。
「ご参考になれば幸いです」
「ありがとうございます。それから、今日の午前中に地下の文書を整理したいんですが」
「承知しました。既に準備しております」
「早いですね」
「管理者が言い出す前に、準備を整えておくことが業務の基本です」
「……それは助かります」
エリアーナは、素直に言った。
廊下の角で、その会話を聞いていたエミールは、静かに自室に戻った。
言いようのない感情が、胸の中で静かに積もり始めていた。




