第二十二話 届かない手紙
エルシオン王国から手紙が届かないまま、さらに十日が過ぎた。
エリアーナは、最初の一週間は「郵便事情が悪いのだろう」と思っていた。二週間目に入ると「何かあったのだろうか」に変わった。三週間が経った今、小さな引っかかりとして、頭の片隅に居座り続けていた。
「エミール」
書庫で作業しながら、エリアーナは声をかけた。
「はい」
「エルシオン王国から、手紙が届いていないんですが」
「……そうですか」
「誰かに宛てた手紙が、届いているかどうか確認する方法はありますか。アルテシア王国経由の郵便では」
エミールは、文献から顔を上げなかった。
「確認してみます」
「お願いします」
エリアーナは、また文献に視線を戻した。
それ以上は聞かなかった。
ただ、手帳の「確認要」の欄が、少しずつ育っていくのを感じていた。
◇
エミールは、その夜、従者を呼んだ。
「状況は」
「引き続き、全て処理しております」
「向こうからの接触は」
「エルシオン王宮からの使いが、二度試みました。どちらも、街道の手前で足止めを」
「エリアーナ本人には」
「一切届いておりません」
エミールは、しばらく窓の外を見ていた。
「それから、エルシオン王国側の情勢ですが」
従者が、慎重な声で続けた。
「王太子殿下の政務上の混乱が、表面化し始めているようです。貴族院での不信任の声が大きくなっており、隣接領の一部では、既に独自の動きが出ています」
「王家としての対応は」
「まだ公式の発表はありません。ただ、エリアーナ嬢の公爵家が、この情勢の中でどう動くか、各方面が注目しているようです」
「バーンシュタイン公爵は」
「沈黙を保っています。ただ、表立った動きはないものの、水面下では複数の貴族と接触している形跡が」
エミールは、静かに頷いた。
「引き続き監視を。エリアーナには、まだ話さなくていいです」
「承知いたしました」
従者が下がった後、エミールはひとり、窓の外を見ていた。
エルシオン王国の情勢が動き始めている。
それ自体は、予測の範囲内だった。問題は、それがエリアーナにとってどういう意味を持つか、だった。
彼女を巻き込みたくない。
しかしいつかは、話さなければならない。
「まだ早い」と自分に言い聞かせながら、エミールは、その「いつか」をどこまで引き延ばせるか、自分でも答えの出ない問いを抱えていた。
◇
翌日、エリアーナは作業場で、ゴーレムの研究の続きをしていた。
離宮に持ち込んだ資料の中に、ゴーレムに関連する設計思想の文献がいくつかあり、それを書庫の既存資料と照合していくと、新たな発見が出てきた。七世代前の自律型機械の系譜が、農業用ゴーレムとは別の方向にも枝分かれしていた形跡がある。
「……自律型、執事」
文献の一節を指でなぞりながら、エリアーナは呟いた。
農業支援とは根本から設計思想が異なる、完全自律型の補助機械。起動者への絶対的な服従と、高度な状況判断能力を両立させた、当時の技術の粋とも言える設計。
「これが実在したなら、どこかに眠っているかもしれない」
エリアーナは、文献の記述を書き写しながら、そのことを考えた。
それから、ふと思い出した。
地下に古いものが眠っている、とエミールが言っていた。
「まだ待ってほしい」という言葉の意味が、少しだけ変わった気がした。
手帳を開いた。
『自律型補助機械(完全服従型)、文献上の記録あり。実物が現存する可能性。要確認』
その下に、少し迷ってから書き足した。
『地下。エミールが何かを知っている』
◇
夕方、書庫に戻ったエリアーナは、棚の最奥に、見慣れない箱を見つけた。
作業の邪魔にならないよう、隅に積まれていた箱の山だった。おそらく、書庫の整理前からそこにあったものだろう。
「これは何ですか」
通りかかったマリアに聞くと、侍女頭は少し考えてから答えた。
「地下の整理室から上げてきたものだと聞いています。随分前のことで、詳しくは」
「地下から」
「ええ。殿下がお生まれになる前から、あそこに眠っていたものが色々と」
エリアーナは、箱を見た。
それからマリアを見た。
「地下に入る鍵は、どこにありますか」
「それは……殿下にお聞きになった方がよいかと」
「聞きます」
エリアーナは、手帳を開いて、短く書き留めた。
『地下への鍵、エミールに確認する』
線を一本引いた後、改めてページを見た。
「確認要」の欄が、また一つ増えていた。
◇
「地下への鍵を借りられますか」
夕食の後、エリアーナは直接聞いた。
エミールは、しばらく黙っていた。
「……もう少し待ってもらえますか」
「また今度ですか」
「もう少し、だけです」
「理由は」
「整理ができていないので」
「整理というのは」
「部屋の整理です」
「何があるんですか、本当に」
「古いものが」
「古いものが何ですか」
「…………」
エミールは、珍しく返答に詰まっていた。
エリアーナは、その様子を観察した。
困っている、というより、何かを計っているような沈黙だった。
「……危険なものが、あるんですか」
「危険ではないと思います」
「思います、というのは不確かですね」
「おそらく、大丈夫です」
「おそらく、も不確かです」
「エリアーナ」
「はい」
「一週間だけ、待ってもらえますか。その間に、私が先に確認します」
エリアーナは、少し考えた。
「一週間、ですね」
「はい」
「……分かりました」
エミールは、わずかに安堵した表情をした。
エリアーナは、手帳に書いた。
『地下、一週間後に確認予定』
それから、小さく付け足した。
『エミール、明らかに何かを知っている。一週間待つが、一週間後は必ず行く』
その一文に、エミールが気づかなかったのは、当然のことだった。
しかし結果として、一週間は経たなかった。




