第二十一話 磨き上げ事件
離宮に来て十日が経つ頃には、エリアーナは書庫の棚を全て並べ替えていた。
年代順だったものを、内容の関連性で再編成する。農業技術と水利工学を隣接させ、建築術式と素材研究を一区画にまとめ、未解読文献を専用の棚に集約する。作業に丸二日かかったが、終わってみると、調べ物の効率が劇的に上がった。
「随分変わりましたね」
エミールが書庫に来て、棚を眺めながら言った。
「使いやすくなりました」
「私には、どこに何があるか分からなくなりましたが」
「聞いてください。案内します」
「……頼みます」
マリアは、その翌日から、書庫に入るとき必ずエリアーナに一声かけるようになった。棚の並びを覚えるより、聞いた方が早いと判断したらしかった。実際、その通りだった。
作業場も、できていた。
客間として使われていた部屋の一角に、計測道具、素材の保管棚、解読台を移設した。広い窓から午前の光が入る、なかなか良い配置だった。
「この部屋、何に使っていたんですか」
「来客用の控室です」
「来客はよく来ますか」
「最近は、あまり」
「では問題ないですね」
エミールは、何も言わなかった。問題があるとも言えなかった。
◇
離宮の使用人たちは、十日でおおよその結論に達していた。
「エリアーナ様は、殿下の研究のお仲間です」
「研究仲間にしては、殿下の様子が」
「それとこれとは、別の話です」
マリアが繰り返すうちに、異論は出なくなった。
ただ、別の問題が浮上した。
「エリアーナ様の服装について、どうにかならないでしょうか」
若い侍女が、遠慮がちに言った。
「作業着に近い格好で、毎日書庫に籠もっておられて」
「研究者なので、仕方ないのでは」
「でも、正式な場に出ていただく機会もあるかと思いまして。このままでは少々」
「殿下にご相談しましょう」
マリアは、エミールに話を通した。
エミールは、しばらく考えて、「分かりました」と言った。
◇
翌朝、エリアーナが書庫で文献を広げていると、エミールが入ってきた。
「少し、時間をもらえますか」
「今日は午前中に七世代前の建築術式の続きを――」
「一時間でいいです」
エリアーナは、渋々ノートを閉じた。
連れて行かれた先は、離宮の奥にある、広い部屋だった。中に、侍女が三人待っていた。布地の見本と、裁縫道具と、採寸用のメジャーを持っていた。
「……何ですか、これは」
「服を、何着か作りたいと思っています」
「服」
「いずれ、正式な場に出ていただく機会があります。今の格好では、少し」
エリアーナは、自分の服を見下ろした。動きやすい作業着に近い格好だった。汚れてはいないが、確かに「正式な場」向きではない。
「……必要ですか」
「必要です」
「研究には関係ありません」
「あなたの研究を守るための、社会的な場面には、関係します」
論理的な反論だった。エリアーナは、少し考えた。
「一着だけですか」
「三着お願いしています」
「三着の採寸と仮縫いで、合計何時間かかりますか」
エミールは、侍女たちを見た。侍女たちは、顔を見合わせた。
「初回は、二時間ほどかと」
「二時間」エリアーナは、額に手を当てた。「では、採寸の間、手が空くので、その間ノートを読んでいていいですか」
侍女たちは、また顔を見合わせた。
「……構いません」
「分かりました。では、早く始めましょう。一分でも惜しいので」
エミールは、そっと扉の外に出た。
◇
二時間後、扉が開いた。
エミールは、廊下で待っていた。
出てきたのは、エリアーナだった。
採寸のついでに、と侍女たちが手持ちの一着を貸したらしかった。深い紺色の、シンプルだが上質な仕立ての服だった。乱れた銀色の髪も、簡単に整えてもらっていた。
エリアーナは、廊下に出てきてすぐ、手に持ったノートを開いた。
「終わりました。採寸は思ったより早かったです。あと、侍女の方が古代の刺繍紋様に興味を持ってくれたので、少し説明していました。それで少し遅くなりました」
「……そうですか」
「研究室に戻っていいですか。術式の続きが」
「少し待ってください」
「何かありますか」
「いえ」
エミールは、返事をするのに、少し時間がかかっていた。
その理由に、エリアーナは気づいていなかった。
廊下の光の中で、整えられた銀色の髪が、静かに輝いていた。ノートを開いたまま首をかしげているその横顔が、エミールにはひどく、眩しく見えた。
「エミール?」
「……何でもありません。戻ってください」
「そうします」
エリアーナは、ノートを読みながら廊下を歩いていった。
エミールは、しばらくその場に立っていた。
侍女頭のマリアが、廊下の角から出てきた。
「殿下、いかがでしたか」
「……何が」
「エリアーナ様のお召し物です」
エミールは、少し間を置いた。
「よく似合っていました」
「それは良うございました」
マリアは、微笑んで一礼した。その笑みに何か含まれている気がしたが、エミールは指摘しなかった。
◇
その夜、エリアーナは手帳を開いた。
今日のことを書き留めようとして、ふと、別のことを思い出した。
エルシオン王国から、まだ何も届いていない。
追放される前に、世話になった侍女が一人いた。密かに文を出すと言っていたのに、もう三週間になる。道のりを考えても、届いてもいいはずだった。
「……郵便事情が悪いのかしら」
手帳の余白に、小さく書いた。
『エルシオン王国からの文、未着。確認要』
それから、今日の本題を書いた。
『書庫の改造、完了。作業場、設置完了。採寸、終了。侍女の一人、古代刺繍に興味あり。要フォロー』
最後に、少しだけ迷ってから、一行足した。
『エミールが、何も言わず廊下に立っていた。理由、不明』
「意図不明」欄の最後の一行は、まだ空白だった。
その代わりに、新しい「不明」が、また一つ増えた。




