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『貴様さえいなければ』と追放された悪役令嬢ですが、『深淵の魔女』は黒歴史の設定です。本当に伝説にしないでください。  作者: ましろゆきな
第三章 鳥籠の鍵

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第十九話 馬車の窓


 出発の朝が来た。


 廃屋の前に、立派な馬車が停まっていた。


 エリアーナは、荷物を鞄にまとめながら、廃屋をぐるりと見渡した。粗末な木箱、崩れかけた窓枠、解読ノートの山が積み上げられていた棚。最初の夜、漆黒のローブを着て叫んでいた場所。


 全部、ここから始まった。


 「……ありがとうございました」


 誰もいない廃屋に向かって、小声で言った。


 恥ずかしかったが、言わずには出られなかった。


 ◇


 村人たちが、集まってきていた。


 「また戻ってくるんだろうな」


 「機会があれば、必ず」


 「テツジンのこと、任せておけ」


 「お願いします。何かあれば、連絡を」


 「体に気をつけてな、魔女様」


 「ちゃんと飯を食えよ」


 口々に言葉をかけてくれる村人たちを見ながら、エリアーナは、王宮にいた十八年間のことを思った。


 あの場所では、誰も、こんな顔で送り出してくれなかった。


 心配してくれる人も、また来いと言ってくれる人も、体に気をつけろと言ってくれる人も、いなかった。


 「魔女様」


 レオの声がして、振り返った。


 他の子供たちより少し離れた場所に立って、いつものように腕を組んでいた。


 「元気でな」


 「レオも」


 「飯、ちゃんと食えよ」


 「あなたに言われたくないですが、食べます」


 「あと、眼鏡の人を信用しすぎるなよ」


 隣に立っていたエミールが、「それはひどい」と言った。


 「王子だからって信用しすぎるなってこと」レオは、エミールを一瞥してから、エリアーナに向き直った。「自分の頭で考えて動けよ」


 「……はい」


 エリアーナは、真剣な顔で頷いた。


 レオらしい、言い方だった。心配の仕方が、真っ直ぐだった。


 「また来ます」


 「待ってる」


 レオは、それ以上は言わなかった。ただ、まっすぐにこちらを見ていた。


 エリアーナは、その目を、しばらく見つめ返した。


 それから、馬車に乗り込んだ。


 ◇


 馬車が動き出してから、しばらく、エリアーナは窓の外を見ていた。


 レオが、最後まで腕を組んで立っていた。その姿が、遠くなっていった。小さくなっていった。それでも、見えなくなるまで、こちらを向いていた。


 「……ちゃんと育ちますね、あの子は」


 エリアーナは、ぽつりと言った。


 「ええ」


 エミールの答えは、短かったが、確信があった。


 「いつか、本物の騎士になると思います」


 エリアーナは、窓から目を離して、向かいに座るエミールを見た。


 眼鏡のない顔が、馬車の中の光の中にあった。こうして正面から見るのも、まだ慣れなかった。


 「……エミール」


 「はい」


 「ひとつ、聞いていいですか」


 「何でも」


 エリアーナは、少し間を置いた。


 「最初に、廃屋に来たのは、本当に、ただの暇つぶしだったんですか」


 エミールは、答えるまでに、少し間があった。


 「最初は、そうでした」


 「最初は」


 「ええ。観察対象として、面白そうだと思っただけです」


 エリアーナは、その言葉を聞いて、少し笑った。


 「正直ですね」


 「嘘をついても仕方ないので」


 「今は、違うんですか」


 エミールは、窓の外を見た。


 流れていく景色を、少しの間、見ていた。


 「今は、違います」


 「どう違うんですか」


 「それは」


 エミールは、窓から視線を戻した。


 「いつか、あなたの方から聞いてくれると思っています」


 「……意味が分かりません」


 「手帳の、最後の一行が埋まったとき、聞いてみてください」


 エリアーナは、少し目を見開いた。


 「見ていたんですか、手帳を」


 「見てはいません。ですが、あなたが答えを保留したことくらいは、分かります」


 「……なんで分かるんですか」


 「あなたのことを、長いこと見ていたので」


 エリアーナは、返す言葉が見つからなかった。


 向かいの席で、エミールは、どこか満足そうな顔をしていた。


 それがまた、少し腹立たしくて、少し嬉しかった。


 ◇


 馬車は、街道をゆっくりと進んだ。


 しばらくして、エリアーナはまた、窓の外を見た。


 森を抜けると、開けた草原が広がっていた。


 エルシオン王国との国境から、少しずつ離れていく。


 「……私、ちゃんとやっていけると思いますか」


 唐突に、そんなことを聞いていた。


 「何が」


 「全部、です。離宮での生活も、王都からの圧力も、これからのことも」


 エミールは、少し考えてから答えた。


 「あなたが十八年間、誰にも理解されない研究を続けられたなら、大抵のことはやっていけると思います」


 「研究は、好きだったから続けられただけです」


 「好きなことのためなら動ける、というのは、才能です」


 エリアーナは、その言葉を、しばらく考えた。


 「エミールは、そういうことがありますか。好きで、やめられないもの」


 「最近できました」


 「何ですか」


 「それは、また今度」


 「また今度が多いですね」


 「少しずつ、話します」


 エリアーナは、ため息をついた。それから、窓の外に視線を戻した。


 草原の先に、白い建物の屋根が見え始めていた。


 「……あれが、離宮ですか」


 「ええ」


 「大きいですね」


 「慣れます」


 「廃屋の方が、落ち着く気がします」


 エミールは、少し間を置いてから言った。


 「廃屋に似た部屋を用意することは、できませんが」


 「要りません」


 「書庫は、気に入っていただけると思います」


 「……それは、楽しみにしています」


 馬車が、離宮の門へと近づいていった。


 エリアーナは、窓の外を見ながら、胸の中で小さく深呼吸をした。


 新しい場所へ行く。


 怖いといえば、怖い。


 でも、隣に、守ると言った人がいる。


 それで、十分な気がした。


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