第十五話 断ります
正式な使節団が村に到着したのは、その日の昼過ぎだった。
紋章入りの旗を掲げた馬車が三台。護衛の騎士が十名近く付き従っていた。物々しい行列に、村人たちは何事かと顔を見合わせた。
先頭の馬車から降り立ったのは、壮年の文官だった。仰々しい礼服を纏い、巻物のような書状を手にしている。
「エリアーナ・バーンシュタイン嬢に、王太子殿下よりの伝令である」
文官の声が、村の広場に響き渡った。
エリアーナは、エミールと並んで、ゆっくりと前に出た。
「お久しぶりです」
声は、思っていたより落ち着いていた。
「殿下より、正式な召喚状を持参いたしました」
文官は書状を広げ、朗々と読み上げ始めた。
「貴族の義務に鑑み、エリアーナ・バーンシュタイン嬢に対し、即刻、王都への帰還を要請する。追放令については、撤回の意向あり――」
「お断りします」
エリアーナの声が、文官の言葉を遮った。
広場が、静まり返った。
「……今、何と」
「断ります、と申し上げました」
エリアーナは、まっすぐに文官を見据えた。
声は、震えていなかった。
「殿下からの召喚状であることは、理解しています。ですが、私は、王都に戻る意思がありません」
「公爵令嬢としての義務を、放棄なさるおつもりですか」
「義務、ですか」
エリアーナは、わずかに目を細めた。
「私は十八年間、その義務を誰よりも忠実に果たしてきたつもりです。婚約者としての役割も、令嬢としての作法も、すべて」
「それは」
「その結果が、衆人環視の中での婚約破棄でした。理由は、私が変わり者だから。誰にも理解されない興味を持っているから。友人がいないから」
文官は、何も言えずにいた。
「あれが、義務を果たした人間への扱いだとしたら。今さら、また義務を理由に戻れと言われても、応じる理由が見つかりません」
エリアーナは、一度、深く息を吸った。
「私はここで、自分の意思で生きています。誰にも強制されず、誰かを傷つけることもなく、ただ自分の好きなことに、まっすぐ向き合って」
「魔女様を、無理に連れて行くつもりか」
村長が、低い声で言った。
「俺たちの、大事な先生だぞ」
「テツジンだって、魔女様がいなくなったら、誰が面倒見るんだ」
子供たちの声があちこちから上がった。集まった村人たちが、いつの間にかエリアーナを取り囲むように立っていた。
文官は、その光景に明らかに動揺していた。報告では、孤立した哀れな令嬢のはずだった。目の前にいるのは、村中から守られている存在だった。
「……エミール殿」
文官が、隣に立つエミールに気づいて、声をかけた。
「あなたは、エリアーナ嬢の関係者と伺っておりますが」
「ただの、研究のパトロンです」
エミールは、いつもの飄々とした調子で答えた。
「ただ、ひとつだけ申し上げておきます」
その声に、わずかに重さが加わった。
「彼女の意思は、彼女自身のものです。誰であれ、それを覆す権利はないと思います」
文官は、エミールをしばらく見つめた。何かを探るような目だった。だが、それ以上は追及せず、書状をゆっくりと巻き直した。
「……お持ち帰りいたします、殿下のご意向を」
行列が村を出ていくのを、誰もが固唾を呑んで見守った。
◇
馬車が完全に見えなくなってから、広場に歓声が上がった。
「やったぞ、魔女様!」
レオが、興奮した様子で駆け寄ってきた。
「すごかったな! あんな偉そうな奴、一発でやり込めた!」
「やり込めたわけでは」
「いや、すごかった!」
エリアーナは、ようやく、肩の力が抜けるのを感じた。手が、わずかに震えていた。覚悟を持って言い切ったつもりだったが、内心では、ずっと怖かった。
その震えに、誰よりも早く気づいたのは、隣に立つエミールだった。
「……よく、言いました」
静かな声だった。
エリアーナは、エミールを見上げた。
その目には、これまで見たことのない、強い光が宿っていた。
「ありがとうございます」
エリアーナは、小さく微笑んだ。
◇
村人たちの輪が落ち着いてから、エミールはエリアーナを見た。
今日の彼女の姿を、エミールは、ずっと目に焼き付けていた。
震える手を隠しながら、それでもまっすぐに立って、自分の言葉で言い切った姿を。
あれほどのことができる人間が、それでも内心では怖かったのだと、震えが教えてくれた。
完璧でも、無敵でもない。ただ、必死で、まっすぐで、本物だった。
守りたい、という気持ちが、今日ほどはっきりしたことはなかった。
そして同時に、もうひとつのことも、はっきりした。
このまま、「ただの学者」でいることは、できない。
彼女が今日、あれほどの言葉を言えたのは、十八年間、ひとりで向き合い続けてきた時間があったからだ。その重みに、自分は正面から応えなければならない。
「エリアーナ」
人波が引いた頃、エミールは声をかけた。
「はい」
「少し、話があります。聞いてもらえますか」
エリアーナは、その言葉の響きに何かを感じ取ったように、静かに頷いた。
◇ ◇ ◇
王都では、その夜遅く、使者が戻ってきた。
「報告いたします。エリアーナ・バーンシュタイン嬢は、帰還を拒否いたしました」
「……なぜだ」
「召喚状の読み上げ中に遮られまして。『断ります』と、即座に」
王太子の手から、杯が滑り落ちた。
「村人は」
「全員が、嬢の周囲に集まりました。老人も、子供も。古代の機械人形まで、その場に立っておりまして」
「全員が……」
「はい。『連れて行くつもりか』と、私どもを取り囲む形に」
長い沈黙が落ちた。
「孤立している、はずだった」
王太子の声は、ほとんど独り言だった。
「誰にも理解されない変人のはずだった。友人もいない、惨めな娘の、はずだった」
使者は、何も言わなかった。
言える言葉が、なかった。




