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『貴様さえいなければ』と追放された悪役令嬢ですが、『深淵の魔女』は黒歴史の設定です。本当に伝説にしないでください。  作者: ましろゆきな
第二章 離宮の研究室

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第十三話 影、近づく


 エミールが戻ってきたのは、夕暮れ近くだった。


 いつもと変わらない足取りで廃屋に入ってきたが、エリアーナはすぐに気づいた。表情の作り方が、いつもより慎重だった。


 「何か分かりましたか」


 「……少し」


 エミールは木箱に腰を下ろした。すぐには話さなかった。


 「教えてもらえますか」


 エリアーナが重ねて聞くと、エミールはようやく口を開いた。


 「あの旅人たちは、エルシオン王国から来たようです」


 息が、止まった。


 「エルシオン王国から……バーンシュタイン公爵領、ですか」


 「いいえ。王都です。王宮からの使いだと、村人に名乗っていたようです」


 エリアーナの手が、無意識に膝の上で握りしめられた。


 「目的は」


 「……はっきりとは分かりませんでした。ただ、追放された公爵令嬢の動向を確認している、というようなことを、村の何人かに尋ねていたようです」


 「私の」


 「ええ」


 エリアーナは、しばらく黙っていた。


 追放されてから、もう何ヶ月も経っている。あれほど自分を厄介払いしたがっていた王宮が、今さら何の用があるというのか。


 「……心当たりが、ないわけではありません」


 ぽつりと、エリアーナは言った。


 「王太子殿下は、私との婚約破棄後、新しい婚約者を立てたと聞いています。でも、その後の評判は、あまり芳しくないとも」


 「評判というのは」


 「政務の判断ミスが続いている、という噂です。直接確認したわけではありませんが」


 エミールは、何も言わなかった。ただ、静かに聞いていた。


 「もし、また何か、私に関係のある話だとしたら」


 エリアーナの声が、少しだけ小さくなった。


 「正直に言うと、戻りたくありません。あの場所には」


 「……戻る必要はありません」


 エミールの声が、いつになくはっきりとしていた。


 エリアーナは顔を上げた。


 「あなたが望まない限り、誰にも、あなたをここから連れ戻させはしません」


 その言葉には、いつもの飄々とした調子がなかった。確信に満ちた、低い声だった。


 「……エミール?」


 「すみません」エミールは、少し我に返ったように言った。「言いすぎました」


 「いえ」


 エリアーナは、首を振った。


 「ありがとうございます」


 ふたりの間に、しばらく沈黙が流れた。


 ◇


 その夜、レオが事情を聞きつけて、慌てて駆けてきた。


 「魔女様、誰か来てるって聞いたんだけど」


 「ええ。でも、もう村を出たそうです」


 エミールが補足した。


 「何の用だったんだ」


 「エルシオン王国の様子を、確認しに来たようです」


 「魔女様を連れ戻しに来たのか!?」


 レオの声が、一段大きくなった。


 「そうとは限りません。今のところ、ただの様子見だったようです」


 「でも、また来るかもしれないだろ」


 「……可能性はあります」


 レオは、エリアーナの方を見た。


 「魔女様、もし誰か連れ戻しに来たら、俺が追い払ってやるからな」


 その言葉に、エリアーナは思わず笑ってしまった。


 「ありがとうございます。十歳の騎士様」


 「ばかにしてるだろ」


 「していません。本当に、心強いです」


 レオは少し照れたように、それでも胸を張った。


 エミールは、その様子を見ながら、何も言わなかった。


 ただ、内心では、別のことを考えていた。


 レオの言葉は、子供らしい純粋な決意だった。だが、現実的に、十歳の少年に何ができるわけでもない。もし本当に王宮が彼女を連れ戻そうとするなら、必要なのは、もっと別の力だった。


 権力。財力。それから、合法的に動かせる立場。


 自分には、その全てがある。


 使う気は、これまでなかった。使う理由が、なかったから。


 今は、違った。


 エミールは静かに、自分の中で何かを決めていた。


 もしこの先、彼女を連れ戻そうとする動きが本格化したら、自分はその全てを使う。躊躇なく。


 それが正しい判断なのか、それとも単なる独占欲なのか、エミール自身にも、もう判別がつかなかった。


 ただ、彼女がここで、この場所で、これからも笑っていられるなら。


 それだけで、十分だった。


 ◇


 夜が更けて、レオが帰っていった後、エリアーナは廃屋の前で星を見上げていた。


 「眠れませんか」


 エミールが、隣に来た。


 「少し、考え事をしていました」


 「エルシオン王国のことですか」


 「……それもありますが」


 エリアーナは、少し迷ってから続けた。


 「私、あの場所に戻りたくないと言いましたが、それは、ここでの生活が、それだけ大事になったということなんだと、今気づきました」


 「……そうですか」


 「最初は、ただ自由になりたかっただけでした。誰にも干渉されない場所で、好きなことだけしていられれば、それでいいと思っていました」


 星明かりの下、エリアーナの横顔は、穏やかだった。


 「今は、違います。レオがいて、村の皆がいて……あなたがいる。それが、いつの間にか、手放したくないものになっていました」


 エミールは、しばらく何も言えなかった。


 「私も」


 ようやく、声を絞り出した。


 「同じです」


 その短い言葉に、どれほどの意味を込めたのか、エミール自身にも測りかねていた。


 エリアーナは、何も言わずに、ただ小さく頷いた。


 夜風が、二人の間を静かに通り過ぎていった。


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