第十一話 畑を耕す巨人
森を出てゴーレムが村に姿を現したとき、最初に悲鳴を上げたのは、見回りに出ていた村の若者だった。
「ま、魔獣だああああ!!」
「違います、これは古代の労働力です」
エリアーナが慌てて訂正したが、すでに遅かった。鐘が鳴らされ、村中の人間が武器になりそうなものを手に飛び出してきた。鍬、鎌、薪割り用の斧。
「皆さん、落ち着いてください! これは畑を耕すための機械です!」
「機械が五メートルもあるか!」
「あります、古代文明では一般的な規模だったようです」
「一般的じゃない!」
村長らしき老人が、震える声で叫んだ。エリアーナはため息をついて、ゴーレムに向き直った。
「実演してもらえますか」
「承知しました」
ゴーレムは古代語で答えると、ゆっくりと近くの休耕地に向かって歩いていった。村人たちが息を呑んで見守る中、巨大な両腕が地面に触れる。
次の瞬間、土が、見事な畝になって整っていった。
一往復、二往復。あっという間に、人の手では何日もかかる作業が、目の前で終わっていく。
武器を構えていた村人たちの手が、ひとつ、またひとつと下がっていった。
「……畑、耕してる」
「本当に、ただ耕してるだけだ」
「すげえ」
誰かがぽつりと言った言葉に、空気が変わった。
ゴーレムは丁寧に、畝の幅を均等に整え、最後に一礼するように頭を下げた。
「以上です」
拍手が起きるまで、それほど時間はかからなかった。
◇
その日のうちに、村中の畑がゴーレムの噂で持ちきりになった。
「うちの畑も頼めるか」
「俺んとこも!」
「順番にお願いします」エリアーナが手帳に予定を書き込みながら答えた。「あと、無理な連続稼働はさせられません。暴走防止機構があるとはいえ、適度な休息が必要です」
「機械なのに休むのか」
「動力の安定のためです」
「なんかよく分からんが、丁寧だな」
村人たちは口々に感想を言い合いながら、すっかりゴーレムに親しんでいるようだった。子供たちは早速「テツジン」という愛称をつけて、巨人の足元にまとわりついていた。
「魔女様、これもあんたのおかげだな」
老人が、しわだらけの顔をくしゃっとさせて言った。
「最初は魔女だ何だって、勝手に怖がって悪かった」
「いえ」エリアーナは少し戸惑いながら答えた。「皆さんが受け入れてくれたから、ここまで来られました」
「受け入れたっつうか、腹で釣られたんだけどな」
近くにいた男が笑いながら言った。
「あの紫のスープがなかったら、誰もこの森に近づこうとしなかったぞ」
「それは否定できません」
エリアーナも、つられて少し笑った。
夕方には、村の広場で即席の祝宴が開かれた。誰かが酒を持ち出し、誰かが楽器を取り出し、エリアーナの作った紫のスープが大鍋で振る舞われた。子供たちはゴーレムの足元で追いかけっこをし、大人たちは「魔女様」改め「先生」という呼び方を試したり、結局やっぱり「魔女様」に戻ったりしていた。
エリアーナは、その輪の真ん中で、少しだけ居心地悪そうにしていた。
こんなに大勢の人間に囲まれたことは、王宮にいた頃にも、なかった。
◇
「魔女様、テツジンに乗っていいか」
レオが、すでに何度目かの質問をしていた。
「危ないので駄目です」
「なんでだよ」
「五メートルから落ちたら大怪我します」
「俺、運動神経いいんだぞ」
「五メートルです」
レオはぶつぶつ言いながらも、ゴーレムの足元に座り込んで満足そうにしていた。子供たちに囲まれて、まるで自分が発見の立役者であるかのように胸を張っている。
実際、ある意味ではそうだった。最初に「すごいもの見た」と教えてくれたのはレオだったのだから。
エリアーナがその様子を見て微笑んでいると、隣にエミールが来た。
手には、村人から渡されたらしいスープの器を持っている。
「飲んでいるんですか」
「勧められたので」
「味、どうですか」
「……記憶にある味と同じです」
「記憶?」
「最初にこの森に来た夜、あなたが叫んでいた呪文の後に」
エリアーナの顔が、一気に赤くなった。
「その話は」
「していませんよ、まだ」
「『まだ』って言いました、今」
「言ってません」
「言いました」
二人のやり取りに、近くにいたレオが「なんの話だ?」と割り込んできたが、エリアーナは全力で「何でもありません」と答えて話を逸らした。エミールは、その様子を、口元に薄い笑みを浮かべて眺めていた。
◇
夜が更けて、祝宴も落ち着いてきた頃、エリアーナは少し人混みを離れて、村の外れに立つゴーレムの傍に来た。
ゴーレムは静かに佇んでいた。今日の作業を終え、休息に入っているようだった。
「お疲れ様でした」
声をかけると、ゴーレムの目に、柔らかい光が灯った。
「起動者の喜びを確認。任務、達成」
「これからも、よろしくお願いします」
「畏まりました」
短いやり取りの後、エリアーナは夜空を見上げた。
星が、いつもよりよく見える気がした。
「楽しそうですね」
背後から、声がした。振り返ると、エミールが立っていた。
「ええ」エリアーナは素直に頷いた。「こんな日が来るとは、思っていませんでした」
「思っていなかった、というのは」
「研究が、誰かの役に立つ日です」
エリアーナは、ゴーレムを見上げた。
「王宮にいた頃は、ただ自分の興味のために解読していました。誰にも理解されないし、誰の役にも立たない。それでもやめられなかった。好きだったから」
「今は違うんですか」
「今も好きです。でも、それだけじゃなくなりました」
エリアーナは、村の方角を振り返った。遠くに、まだ祝宴の灯りが見えていた。
「誰かが喜んでくれる。それがこんなに嬉しいことだとは、知りませんでした」
エミールは、何も言わなかった。
ただ、その横顔を見ていた。
星明かりの下、エリアーナの瞳には、まだあの輝きが残っていた。けれど今日のそれは、何かを発見したときの輝きとは、少し違う種類のものだった。
もっと穏やかで、もっと深いところにある光だった。
「エミール」
「はい」
「ありがとうございます」
「何に対しての礼ですか」
「全部です」エリアーナは小さく笑った。「材料も、術式の助言も、ここにいてくれたことも」
エミールは、すぐには答えなかった。
答えるための言葉を、まだ探していた。
「私の方こそ」
ようやく、口を開いた。
「礼を言うべきなのは、私の方かもしれません」
「どうしてですか」
「……それは、また今度」
エミールは、それ以上は言わなかった。エリアーナは少し首をかしげたが、追及はしなかった。
二人並んで、しばらく星を見上げていた。
遠くで、レオがゴーレムを呼ぶ声がした。
「魔女様ー! もう寝るぞー!」
「すぐ行きます」
エリアーナは答えて、歩き出した。エミールも、その後ろをついていった。
星明かりの下、二つの影が、村の方へ戻っていった。




