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婚約破棄されたので普通の生活を目指します。なお私は剣聖らしいのですが自覚はありません  作者: 翡翠


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7500PV突破記念SS 追記 白鹿亭のその後



 ――王都、市街。


 白鹿亭の前に掲げられた看板は、今日も静かにそこにある。


 ――アルヴェイン公爵家御用達。


 それだけ。


 だが、最近もう一つ。


 別の“言葉”が、街に広がり始めていた。


 発端は不明。


 出所も不明。


 だが。


 確実に、浸透している。


「……聞いたか?」


 パン職人が小声で言う。


「ああ」


 隣の男が頷く。


「“あのお方は、美食家だ”ってやつだろ」


 沈黙。


 少しの間を置いて。


「……やめてほしいよな」


「ほんとそれ」


 完全同意。


 なぜなら。


 それは“褒め言葉”ではない。


 ――基準が上がるからだ。


 ――白鹿亭、厨房。


「火加減、あと一度見直せ」


「はい!」


 動きに迷いはない。


 だが。


 明らかに、以前より厳しい。


「味のブレを許すな」


「はい!」


 その理由は一つ。


 ――美食家。


 その言葉が、基準をさらに押し上げた。


「……あの方、そんなつもりないよな」


 若い料理人が呟く。


「ない」


 店主が即答する。


「ただ食べて、感想を言っているだけだ」


 一拍。


「だが、それで十分だ」


 それが問題でもある。


 ――評価が“絶対”になる。


 ――別の店。


 同じ現象が起きていた。


「味見、もう一度!」


「はい!」


「これで“普通”と言われたら終わりだぞ!」


 緊張が走る。


 だが、それは恐怖ではない。


 ――挑戦だ。


 “基準に届くかどうか”。


 その一点に集中する。


 ――王都全体。


「最近、どこも美味くなってないか?」


 客の一人が言う。


「分かる」


 別の客が頷く。


「外れが減った」


「なんでだろうな」


 理由は知らない。


 だが。


 結果は出ている。


 ――全体の質が上がっている。


 それが、現象の本質。


 ――公爵邸。


「ねえ」


 エリシアが言う。


「なに?」


 リリアーナが首を傾げる。


「お姉様、“美食家”って言われてるよ」


 沈黙。


「……そうなの?」


 本人は、完全に初耳だった。


「うん」


「街中で」


「へぇ……」


 一拍。


「よく分からないわ」


 正直な感想。


 レオニードが小さく言う。


「問題ない」


「そう?」


「ああ」


 一拍。


「放置する」


「それでいいの?」


「いい」


 なぜなら。


 ――害がないから。


 むしろ。


 利益がある。


 街全体の質が上がる。


 信頼が増す。


 安定する。


「でも」


 リリアーナは少し考える。


「そんな大したことはしていないわ」


 その言葉に。


 エリシアが笑う。


「うん」


「知ってる」


「でしょ?」


「でもね」


 一拍。


「それでこうなるのが、お姉様なんだよ」


 リリアーナは首を傾げる。


 理解はしていない。


 だが。


 気にもしない。


「そうなのね」


 それで終わる。


 ――白鹿亭。


 夜。


 店主が静かに呟く。


「美食家、か」


 一拍。


「余計だな」


 だが。


 否定はしない。


 できない。


 なぜなら。


 その“余計な評判”が。


 店を、街を、全体を引き上げているから。


 そして。


 誰もが分かっている。


 ――あのお方は、何もしていない。


 ただ。


 食べて。


 感じて。


 言っただけ。


 それだけなのに。


 それだけで。


 世界が少し良くなる。


 それが。


 リリアーナ・アルヴェインという存在だった。

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