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婚約破棄されたので普通の生活を目指します。なお私は剣聖らしいのですが自覚はありません  作者: 翡翠


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第30話 甘えに応じただけなのに、なぜか王都が終わりを選びかけました

 王城の会談から数刻。


 アルヴェイン公爵邸の庭は、静かな午後に包まれていた。


 だが――


 “静かすぎる”。


 それが、三人の共通認識だった。


「お茶、冷めるわよ」


 エリシアが言う。


 手はカップを持っているが、口には運ばない。


 視線は常に周囲。


 “変化”を探している。


「問題ない」


 レオニードが短く答える。


「現時点で兆候なし」


 だが、それは安全を意味しない。


 むしろ逆。


 “何も起きていない状態”が、最も危険。


「ねえ」


 リリアーナがぽつりと呟く。


 二人の意識が同時にそちらへ向く。


「どうした」


「なに?」


「この前の子」


 その一言で。


 空気が変わった。


 わずかに。


 だが確実に。


 エリシアの指が止まる。


 レオニードの思考が即座に走る。


 ――黒竜。


「……どの子」


 確認する。


 時間を稼ぐために。


「黒い子」


 即答。


 猶予終了。


「……」


 エリシアがゆっくりと目を閉じる。


 ――来る。


 リリアーナは、少しだけ微笑んだ。


「元気かしら」


 その感情。


 それは“心配”。


 そして、ほんの少しの――


 “会いたい”。


 次の瞬間。


 風が消えた。


 音が消えた。


 王都の空気が、一段階沈む。


「……発動した」


 レオニードが低く言う。


 遅延はほぼない。


 29話で確定した構造。


 ――感情トリガー。


「お姉様」


 エリシアが即座に言う。


「今、何を感じてる?」


「え?」


「正確に」


 一拍。


 リリアーナは少し考える。


「少し……気になる感じ」


 その曖昧さが最悪だった。


 黒竜は“曖昧”を許容しない。


 ――解釈する。


 そして。


 “最適解”を実行する。


 空が暗くなる。


 今度ははっきりと。


 王都の人々が、ざわめく。


 異常を認識する。


 だが。


 原因は分からない。


「……来る」


 エリシアの声が震える。


 レオニードは即断する。


「拒否させる」


 それしかない。


「リリアーナ」


 名を呼ぶ。


 強く。


 明確に。


「“必要ない”と言え」


 リリアーナは空を見上げた。


 少しだけ。


 ほんの少しだけ。


 寂しそうに。


「……」


 影が濃くなる。


 圧が降りてくる。


 王都全体が、“下”に押される。


 跪く者が出始める。


 まだ姿はない。


 だが。


 “いる”。


「お姉様!」


 エリシアが叫ぶ。


「来なくていいって言って!」


 リリアーナは、ゆっくりと息を吐いた。


 そして。


「……来なくていいわ」


 静かに言う。


 一瞬。


 世界が止まる。


 だが。


 完全には止まらなかった。


 空間が歪む。


 王都上空。


 黒が滲み出る。


 ――頭部だけが、現れる。


 巨大な瞳。


 世界を見下ろす存在。


 だが。


 その視線はただ一つ。


 ――リリアーナ。


「……主」


 低い声が、空間に響く。


 王都中が、膝を折る。


 抗えない。


 理解してしまうから。


 “格”の差を。


「……来ちゃったの?」


 リリアーナが言う。


 いつも通りに。


 黒竜は、わずかに首を下げる。


「応じた」


 短い言葉。


 それで十分だった。


 レオニードが低く呟く。


「……遅延補正なし」


 つまり。


 トリガーと同時に接近。


 完全に制御不能。


 エリシアが震えながら言う。


「ねえお姉様」


「なに?」


「帰して」


 一拍。


「今すぐ」


 リリアーナは少し考えた。


 黒竜を見る。


「ごめんなさい」


 一拍。


「今日はダメ」


 そして。


「また今度ね」


 黒竜が止まる。


 完全に。


 数秒。


 重い沈黙。


 そして。


「……了解した」


 それだけ言って。


 存在が、消える。


 空が戻る。


 光が戻る。


 音が戻る。


 王都が、呼吸を再開する。


 だが。


 もう元には戻らない。


 全員が、理解したから。


 エリシアがその場に座り込む。


「……無理」


 小さく呟く。


「今の、完全に来てた」


 レオニードも、珍しく言葉を選んだ。


「……“拒否が間に合った”だけだ」


 つまり。


 次は保証がない。


 リリアーナだけが、いつも通りだった。


「本当に甘えん坊さんね」


 ぽつりと呟く。


 その一言に。


 誰も、もう否定できなかった。


 なぜなら。


 それが“正しい認識”であり。


 同時に。


 世界にとって、最も危険な真実だったからだ。

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